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#3-1 北海道名寄市あったかICT物語【シーズン3(運用編)】
シーズン3では、2021年7月の本格導入から1年が経った名寄市医療介護連携ICTの運用状況について、引き続き、ICTを活用している専門職の目線で追っていきたいと思います。
最初のエピソード1では、訪問看護ステーションの立場から見ていきたいと思い、尾針真智子さん(一般社団法人北海道総合在宅ケア事業団 名寄訪問看護ステーション所長)にお話を伺います。
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―大曽根 衛(一般社団法人地域包括ケア研究所)
尾針さん、こんにちは。今日はよろしくお願いいたします。
―尾針
はい、よろしくお願いいたします。
★地域医療に携わる私の原点
―大曽根
まずは簡単に、尾針さんのこれまでのキャリアのハイライトを教えていただけますか?
―尾針
出身は名寄市です。高校までは名寄で、東京の看護学校に進学し、保健師の学校は横浜でした。横浜市の保健師をやった後、長野の市町村の保健師をやり、、この訪問看護ステーションの立ち上げの時に名寄に戻って来ました。
―大曽根
横浜の後に、長野にいらっしゃったんですね。
―尾針
はい、人口8000人ぐらいの町で保健師が4人いたところで働きました。
出来るだけ小さな町がいいなと思ってました。町の保健師さんみたいな。住民に密着した保健活動がしたくて行ったんです。
最初はヘルパーさんと一緒に風呂桶持って寝たきりの方の家を回って歩いて、ヘルパーさんに育ててもらったりもしました。
福祉を売りにしていた町長だったこともあり、保健師のほかに理学療法士や栄養士もいて。介護保険前だったのですが、デイサービスを町で作りたいという動きなどもあった、福祉の先進地域だったんです。
その立ち上げにも関わったのですが、政令指定都市の保健師の動きとは違い、在宅死がとても多い地域での経験は大きかったです。
―大曽根
そこでの活動が今の原点になっているんですか?
―尾針
はい。
城下町だったこともあって、お上の世話にはならないという地域だったので、どうやったら人に助けて貰えるようになるか、どうやったらデイサービスに繋がるか、いろいろ試行錯誤しました。
もうひとりいた看護師さんと二人で、寝たきりの方のお宅を全数訪問して身体拭きまくっていると、徐々にですが人の手を借りるってこういうことだって気持ちの変化も町民さんから出始めたんです。
一方で、町で進めているデイサービスのコンセプトが老人クラブに毛の生えたようなデイサービスだったこともあり、「せっかくここは老人クラブが活発な地域なのだから、そんなデイは要らないのでは」、「むしろ寝たきりの方でも預かれるようなデイを作って欲しい!」と伝えたんです。
住民は住民で動いていく、という活動がベースになったことは大切なことだったと思います。
そのうえで、行政や診療所の先生などと連携しながら、必要なことをサポートしていくという取り組みなど、今の私のベースになっていったんですよね。
―大曽根
それは貴重な体験ですね。
★名寄での訪問看護ステーション立ち上げと迷い
―尾針
家庭の事情もあって名寄に戻って来たんですが、ちょうど事業団が名寄訪問看護ステーションの立ち上げをすることになってお声がかかり、長野での自分の経験も活かすことができたんです。
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―大曽根
いつ頃だったのですか?
―尾針
平成7年(1995年)12月ですね。
―大曽根
当然、長野時代との違いや今の名寄とも、構造や課題などもだいぶ違うと思うのですが、どうだったのですか?
―尾針
すごいギャップがありましたね。
改めて名寄市っていったいどんなまちなんだろう、今まで育ったけど実は何も知らなかった。
そして、どうして名寄初の訪問看護ステーションを作ろうとしているのか、などもきちんと理解しきれていませんでした。
名寄は、ベッド数が多くて在宅療養者がほとんどいない地域だったんですね。お家で誰かを介護するって地域ではなかった。
そこからのスタートでした。
訪問看護の必要性が高い地域として立ち上げられたわけではないなかで、「私たちは何が出来るんだ?」、「どうしたらいいんだろう?」、「この地域は何が問題なんだろう?」ってことを色々と考えながらでした。
新しくできた組織で知名度も低かっただけでなく、訪問看護自体も何をするのがよいのか、携わる人でさえも迷い悩みながらという時代だったんです。
―大曽根
そうだったのですね。そのような時期がどれくらい続いてた感じですか?
―尾針
うーん、今も続いてますね。
今もまだ知る人ぞ知るという感じでしょうか。地域にしっかり根付いてるっていう実感はなかなかもててないですね。
理解者や仲間も徐々に増えていく感覚はありましたが、契約に行っても「何してくれる人?」って言われる時もあるし、説明も簡単ではないので、もし訪問看護が入るとするとこういうことができますよ、と私自身が説明をしに伺ったたお家もあります。
―大曽根
徐々に変わってきてますか?
―尾針
うーん、一部の一緒に訪問看護を利用したことがある人や一緒に動いたことのある関係機関、事例を積み上げたお家などではある程度理解いただいていて、こういうお宅は訪問看護に入ってもらった方が、利用者さんの生活も変わっていくなどのイメージが分かるんですけど、当然みんなではないんですね。
だからまだ地域に浸透してる実感はないっていうのがひとつあって。
そして、事業団の訪問看護ステーションは道内54か所あり、その地域地域で何を求められているか、どういう役割を担うかってそれぞれ違うんですよ。
―大曽根
名寄ならではの訪問看護ステーションのありかたですね。
―尾針
そうなんです。
当初は訪問診療してる医療機関も無かったので、訪問看護って本当に何をやっていけばいい?っていう時代を経て、本当にひとつひとつの事例を積み重ねながら今に至っているんです。
なるべくいろいろなところに顔を出していくうちに、あの人うるさいから何とかしてくれとかそんな感じが出てきて、少しずつ知られるようになっていったのかなって(笑)。
―大曽根
なるほどですね。ここまで、ひとつひとつ事例を積み上げながら関係づくりする意識と、場があったら実際に足を赴いて発言するというふたつの意識があったと思うんですが、なにか他に大切にしてきたことありますか?
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★プロとしての立ち位置をさぐる
―尾針
そうですねー。やっぱり介護してる人って孤独なんですよ。
「遠くにいる子供たちよりあなたたちが一番私たちのことを分かってくれてる」っていう言葉をいただくことがあるんです
一方で、仕事としての距離感も大事で、そこはプロとしての立ち位置をどうしていくかっていう難しさは常にありますね。
お家に入っていく、相手の場に入っていくことは、病院とは全然違いますので、訪問という仕事にしていた保健師時代の経験っていうのは私にとっては貴重です。
支える手になりつつ、広い視点で寄り添える。
支える手段も、リハビリも、処置も、お風呂も、薬のセットも・・・とたくさんあって、いざなにかあったらきちんとしかるべきところに繋ぐことができる、そんなオールマイティなところが売りでしょうか。
―大曽根
すごく頼りになりますね!
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―尾針
そいうことを理解いただけるケアマネさんとの関わりは大切です。
また、ケアカフェでいろんな方に繋がれたんですが、そこで酒井副院長にも出会い、「私はこういう訪問看護をやりたいです!」ってことを先生にお話できたことも大きかったと思います。
訪問看護に来るときにいつも感じていたのが、もうちょっと早く繋げてくれればっていう想いがすごくあって、「悪くなる前に、悪くならないように一緒に考えて生活していけるような、それを支えられる訪問看護をやりたいんです、先生!」って。
行政の保健師時代と少しミックスした感じですけど、定期的に家に訪問する看護職としての強みを語ったら、「尾針さんは熱いねえ」って言われた覚えがあります(笑)
―大曽根
わ、そうだったんですね!
―尾針
「緊急入院とか緊急受診を少しでも減らしていくことで安定した生活を続けていけることに繋がると思います」って言った覚えもあります。
実際に自分たちが訪問看護としてお宅に入っていくと、週1回の医療の人間、看護師が来るというだけでも、やっぱり安定して暮らしてい、意識してくれるという実感があります。
利用者さんとしては「あー看護師さん来るなあ」と、こちらとしてもただただ「どう?」って体調の確認に行ったり、お薬飲めてるかなーって確認に行くだけでも違うんだなというのを、仕事を通して私たちが理解できていきました。そして、それを周りに伝えていくことの重要性も。
★ふりかえりと対話のカルチャー「利用者さんが教えてくれる」
―大曽根
その実感っていうのはどうわかるんですか?
―尾針
振り返るんです。
この方、いつ入院したっけ、そういえばって。
私たちが入ってから入院してないんじゃない?かって。
ふと振り返るんです。
先生にも確認しながら、「入院しないで続けられているのは、何がこうさせてんだろう?」と。
定期的に行き続けることが大事なんだとすごく実感することが多いんです。
そして、そのことをどうやったら周りにも分かっていただけかと。
―大曽根
振り返って、起こっていることを捉えなおす意識、プロ中のプロだなと思いました。
―尾針
スタッフ間でも普段から自然とそのような会話をしています。
そして、利用者さんが教えてくれているという感覚も強いです。
―大曽根
組織の文化となっているんですね。すばらしい。利用者さんが教えてくれるというのはどういうことですか?
―尾針
小さい事業所ということもあって、一人の利用者さんのケースにスタッフがみんな入っているんです。
違うスタッフが行くことがあることで、みんな見ている視点が違うので情報共有や話し合いを大切にして、利用者さんとの相性などもその中から把握して、活かしていくようなことをしています。
利用者さんの反応や状態から私たちの会話は始まる感じですね。
―大曽根
なるほどですね。
―尾針
それぞれ困ったことがあったらみんなで相談し合えるし、強みが違うと利用者さんの反応も違う。それによってまたディスカッションができるし、役割分担もできる。
「今度行った時これ聞いてみますね」などなど。
そんなディスカッションをタイムリーに都度おこなうようにしています。
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★ICTが繋がりと効率を促進してくれた
―大曽根
すばらしいですね。
ICTの話にもつながってくる部分が出始めているので、お聞きしたいのですが、ICTは尾針さんや事業所にとってどのような変化をもたらしましたか?
―尾針
トライアルでの最初の説明受けた時には、自分たちに使えるのか、どれくらい時間が取られるのか心配でしたし、さらに、入力してもその情報をどのくらい使ってもらえるのかといった疑問からスタートしました。
でも、とにかくやってみなきゃ分からない。
そして情報交換のツールとして育てていかなきゃいけないという思いもあって。
今は朝昼夕とそれぞれのタイミングでチェックしています。
事業所内で見たかどうかの確認・共有はもちろん、各関係機関とも電話じゃなく、いつでもアップできていつでも見れる。
しかも事務所でも見れるし、利用者さんのお宅でも見れるし、車の中でも見れる。
タイミングと場所を選ばないことが本当に便利だと思ったのと、やはりタイムリーに情報のやりとりをできる良さです。
在宅でのサービスの導入時は、ケアマネさんどこまで手配してくださっているのか、ヘルパーさんやレンタルが入ったのかどうかがすぐにわかると助かります。
そして、利用者さんの状態に変化があって、今日受診させてどうだったかなども、情報がタイムリーかどうか重要です。
ICTの前は、電話でのやりとりだったので、どうしてもすべての方とタイムリーに共有は難しかった。
訪問リハビリが今日こういうことやったんだな、通所サービスでこうだったんだなと、お互いのやっていることが理解できるようになってきたことも大きいです。
逆を言えば訪問看護でこういうことしているんだなと、他の事業所の方にも私たちの理解に繋がっている部分があるのかなあと思うと大切です。
―大曽根
お互いの理解、大事なことですね!
―尾針
それぞれ何をやっている人なのか、何ができる人なのか。
ある意味で期待値ですよね。あの人たちだったらこれをやってくれるのでは、という。それがわかるから、自分たちはここまでやっておけば良い、と。
そのように引き継ぎができれば、役割分担もスムーズになっていくと思うんですよね。
担当者会議以外に普段の情報がやりとりできることで、必要な調整をいつ行えばいいのか、タイミングを計れるということになるわけです。
―大曽根
そうですよね、タイミングを計りやすくなったんですね。
―尾針
はい。
いろいろな人が関わるので均質的にサービスを行うということは難しい状況もあるのも事実です。ただ、みんなで共有した目標を達成していくことを経て、個々に成長していく部分もあると思うので、目標の共有ができるって部分ではすごくICTは有効だと思うんです。
個々のレベルも地域のレベルも、みんなで上がっていくことにつながっていくような気はしてます。
―大曽根
そういうことですね。ICTが無い状態に戻るってことはなかなか考えにくい感じですか?(笑)
―尾針
そうですね、仕事の効率化にも繋がっています。
やっぱり情報がタイムリーに入ってくるってことは訪問などの予定も立てやすいんですよね。
そして、ケアマネさんなど動いている方々に電話するタイミングなどは、遅い時間じゃないといないかな、昼じゃないといないかなど、いつも気にしていました。わたしたちもいつも動いてる。
そういった情報の取りにくさは解消されてきています。
また、Teamでの情報を訪問看護の記録に全部コピーする訳でなく、きちんと取捨選択していますし、本当にタイムリー内容や微妙なニュアンスを伝えたい時は電話するなど、いろいろ使い分けています。
―大曽根
いいですね。
それでは、もう一点、ICTが利用者さんのシーンにどんなプラスがあったのか、印象的なエピソードがあったら教えてもらえますでしょうか。
―尾針
タブレットを持ち歩くことで、いろいろな情報を直接取れることが大きいです。たとえば、利用者さんの浮腫みや皮膚トラブルの様子を写真で撮って記録にアップすると、関係者で、「あ、今こういう状態なんだ」ってすぐわかるわけです。
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―大曽根
なるほどですね。他にはありますか?
―尾針
重い神経難病を持つご主人にリハビリが主で訪問していたんですが、徐々に2人暮らしの奥さんの認知症が進んでいってしまったケースがあったんです。
ご主人は心臓も悪く、いくつか大きな病気を持っているんですが、受診の結果などを訪問時にお聞きしてもわからないことがあったんです。
でもICTで、ヘルパーさんが受診介助ついた情報や、ケアマネや薬剤師さんの訪問時の様子や、奥さんがこんなこと話してました、今度娘さんが来るようです、といったように、自分だけでは得られにくい情報が共有されることで生活の様子が見えてくるわけです。
いろいろな関係者が少しずつ情報を出し合うことで全体の把握ができ、その中で「じゃあ今度私ここ見てみます」というコメントがあったり、突然受診になった後どうなったかなどの共有がスムーズにされたんです。
―大曽根
これ前だったらどうしようもなかったわけですね?
―尾針
いちいち「どうでした?」って電話しないと分からなかった。
利用者さんと家族の家庭の状況を把握できることは、このケースでとても有効でしたね。
一方でいろいろと複雑な事例も多く、ICTの中でどこまでやり取りできるのか、ICTが果たせる役割を何なのかというのかは、混乱ケースなどの時に難しいことが発生していくこともあり得るかなと思います。
―大曽根
たしかに、ICTは万能薬じゃないですからね。
―尾針
そうなんです。
そのあたりを理解しながらICTをみんなで育てていくことも大事かと思います。
―大曽根
たしかにですね。
尾針さんの原点や仕事への想い、ICTの効果や課題に至るまでいろいろな観点でお話いただき、本当にありがとうございました。
―尾針
ありがとうございました。
※内容はインタビュー実施時点(2022年8月15日)のものになります。
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★★名寄市あったかICT物語の構成★★
【シーズン1(導入前夜編)】
【シーズン2(導入編)】
· エピソード6:「医師としての紆余曲折の全てが今につながる」
【シーズン3(運用編)】
· エピソード4「前編:薬剤師だから創り出せる、在宅でのあたたかい連携のカタチ」
· エピソード5「中編:薬剤師だから創り出せる、在宅でのあたたかい連携のカタチ」
· エピソード6「後編:薬剤師だから創り出せる、在宅でのあたたかい連携のカタチ」