競われて見下されて
人間ってすぐに何か競いたがりますよね。
順位をつけたり優劣つけたり。
そうすることで悔しさをバネに〜とか順位がいいから維持しようとか普通は思うんです。
けど私はいつも順位は下だし優劣だと劣のほうに属していました。
比較されて煽られバカにされただただ自分が
出来損ないであることをわかっているのに順位という紛れもない事実で自覚以上に理解してしまうんです。
自分が劣等生であり失敗作だって。
自分は小説が好きで中学生のとき、休憩時間に読んでました。そのせいか眼鏡も時折かけるようになったんです。
高校にあがっても休憩時間に本を読んでました。そのおかげで漢字テストは得意でした。
自分から自慢したわけではないですがテスト返すときって前後の人に点数見られるじゃないですか。
そのせいで周りからの僕への評価は頭が良いというものでした。授業中に寝ることもなかったし休憩時間も本を読んでる。漢字テストも高得点。これだけ見たらそう思うのもわかります。
ただ私は逆に国語以外がほんとに苦手でした。
暗記がそもそも得意じゃないし数学の考え方も苦手です。
高校の期末テストで数学が赤点になるぐらいには。
そのときでした。
テスト返却のときに担当の先生が
『静かにしろよ〜。今から赤点の奴の名前を読み上げるから追試と課題取りにこ〜い』と言ったんです。
今でも覚えてます。自分の名前が呼ばれたとき
周りの子、体感7割の生徒が『えぇ〜!!』という驚きと少しの笑い声が。自分の中で何かが壊れる感覚でした。恐怖で体が強張り心臓の位置が知りたくもないのにわかってしまうほどバクバクしている。普通を装って用紙を取りに行ったことを覚えてます。これを文字に起こしてるだけで心臓が少しバクバクするぐらい嫌な体験でした。
席に戻ったら野球部の人に
『俺、テスト直前まで練習試合あったけどそれでも平均点は取れたぞ笑。めっちゃ馬鹿やん』
言われたときは頑張って笑顔を作って
『苦手なんだよね〜この単元』と返しましたが
消えてしまいたかったです。
当時、他にも嫌なことがあって家に帰って
自殺する方法を調べて泣いたり自分に懐いてる猫がいたので撫でながら泣いたりしてました。
こういう過去があるので頭ではわかっていても順位や優劣をつけるのが良いことだと思えない
自分が出来る人たちの踏み台になってるだけにしか感じない。出来る人の自信がさらについて出来ない人がより落ち込むだけだと思ってしまいます。
出来る人って努力すれば出来るって言いますけど元々のポテンシャルとか才能とか絶対にあって人間の個体差があるんですよ。
才能のない人が努力して才能ある人の普通以下なんです。
いろんな棋士が努力してても藤井聡太さんに
勝つのが難しいように。
よくこの差を埋めるように頑張れとも言われます。埋めたところで才能ある人の劣化版にしかならないのにね。この世の中は中途半端に出来る人よりも出来る人を採用するんで出来損ないとか普通ぐらいとかいらないんですよ。
ある一定のライン以下の人はみんな切り捨てられる世界で苦手なものを普通ぐらいにすることって何の意味があるんですかね。
長くなりましたがこんな自分でもなんとか大学で精神ボロボロになりながら生きてます。
私は得意なことを伸ばすほうがいいと思いますしチャレンジすることはいいことだと思います。何かがダメでしょぼーんってなるのもわかりますが他のことに挑戦して得意なものを探すのも大事です。この世界で生きるために自分の在り方を模索して頑張りましょう。
頑張りたくないけど。