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『おにぎりの文化史』を読む
お弁当について書かれたnoteが話題になっていた。
「お弁当」が「母親」の中身を作り、女性抑圧の再生産をしているという話
現代日本社会を専門に研究するアメリカの文化人類学者アン・アリソンの文献をわかりやすく紹介したもので、大掴みにすると、
「お弁当」は、半ば強制的に母親が作るお弁当が、親子の幸せの象徴のようにみせかけられている、という前提のもと、幼稚園や保育園、学校でのお弁当教育を通じて母子を操作するイデオロギー的、そしてジェンダー的な意味がお弁当には込められている。さらに、母は社会の安価な労働力の供給源になる……
というものだ。
氏の指摘についての是非はアカデミックな方面の方に任せるとして、「お弁当」と聞いて思い出したことがある。
というのも、俺は学生時代、祖母のつくるお弁当に、ある種の誇りを持っていたのだ。いや、今思い返すと、それはお弁当ですらなかった。力士の拳ほどの大きさで、隙間なく海苔が巻かれた球体のおにぎり。三角でも、平べったいそれでもなく、巨大な球体のおにぎりを持たされていたのだ。
祖母は人と違う行いを面白がる精神の持ち主で、お弁当をおにぎりスタイルに変えたその日は「今日から、これにしたわ」と破顔しながら、俺におにぎりを渡してきた。
俺は俺でまた、人と違う行いを面白がる精神の持ち主であったので、祖母の決定を喜んで受け入れた。「ウケる。最高」だ。
巨大な黒い爆弾のような塊の中身は、大抵が唐揚げとマヨネーズ、そして昆布を和えたもので、それ以外が具だった記憶はない。いま振り返ると、日々のお弁当メニューを考える手間を避けただけだったように思えて仕方ないが、とにかく、俺は周りの同級生の品数の多いお弁当よりも、祖母のつくるおにぎりが好きだった。
『おにぎりの文化史』(初版2019年)は、そんな個人のどうでもいい話ではなく、地に足のついた考古学で、日本人はどうやってお米を食べてきたのか、日本人はいつからご飯をおにぎりにしていたのかを検証している本だ。
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おにぎりの呼称、絵巻物や浮世絵に登場するおにぎりの姿を追いながら、日本人にとってあまりに日常的な存在だった、おにぎりの歴史を追っていく。
生活に当たり前に存在していたものであるがために、地方色豊かなおにぎりがつくられていたはずなのに、それらの記録がほとんどされていないこと。おにぎり=三角というイメージはコンビニエンスストアの普及によって統合されたということ。世界を見渡しても、日本以外では、タイ・ラオス・雲南地方にしかおにぎり文化圏が存在しないこと。握れるご飯を炊けるようになるまでには炊飯技術の進展が必要だったこと……。
たかが、であるが、一方、されど国民の日常食でもあるおにぎり。新しい発見に興味は尽きず、ページをめくっては「ほ〜」だの「へ〜」だのと言いながら、一気に読み切った。
なかでもよかったのは、古墳から発見された「銭入りのおにぎり」だ。葬儀のお供えだと推測されるも、そんな風習はどこにも残されていないのだという。ではいったいなぜつくられたのか。その理由は本書に譲るとして、銭入りのおにぎりとは、人と違った行いを面白がる祖母にすらなかった発想だろう。あまりにも自由だ。
孫である俺としては(祖母のつくるおにぎりも喜んで食べていたが)、唐揚げマヨネーズ昆布おにぎりではなく、銭入りのおにぎりを渡されたら、いたく喜んだように思う。
読後には、認知症を患っている祖母に、電話で、かつて作ってくれたおにぎりについて話を聞いた。すると、戦後の貧しい時代に育った祖母は、その昔、同級生が食べていた丸く巨大なおにぎりが羨ましく、あれをいつか子孫に食べさせたいと思っていたのだという。お弁当メニューを考えるのが面倒なだけだと勘繰っていたが、どうやら、あのおにぎりは祖母なりの愛情だったようだ。
今はもう、おにぎりを握りながら、おにぎりを握っていることを忘れてしまう祖母、であるのだが。