都知事選’2024…俺が人生で二度目の投票をしてしまったワケ

縁側に設けられた小さな書斎。肘掛けもない事務椅子に腰掛け、主に健康に関する本を熟読する祖父は、現役引退後、地方都市で政治家として3,4の任期を務めあげ、後、畑仕事に勤しみ、そして死んだ。

俺の政治に対する向き合い方は、彼の影響が大きい。

「選挙に与するんがそもそも体制を肯定する態度じゃけえの」

上京まで数日……珍しく酒を飲んでいた祖父が俺をアジってきた言葉である。そして、今も忘れられない言葉となっている。

思えば、議会で何もできなかった呪詛(祖父は社民党所属の超党派。政治家としての祖父の活躍を俺は知らないが、きっと彼は自身の政治理念を形にできなかったのだと邪推している)がこぼれただけともいえる。

が、当時の、何もかもに対して斜に構える態度の俺は、祖父の意見が一理以上にあるように感じた。

して、俺は投票から縁遠い人間となった。齢30を超えた今も、一度しか投票所に出向いたことがない。その後悔もあまりない。

党派性を嫌うと吹聴する有権者たちが選挙においては党派的な戦いに肩入れするさまは滑稽に見える。

今回の蓮舫候補者のように、文化人が投票先を自ら明かすことで自身のクラスタとステートメントを示威するようなイデオロギッシュな態度は与党政治の悪辣さそのままだと感じる。

投票していない人間が政治について語ることを謗る世間の風潮にもさんざっぱらうんざりしてきた。

今回の都知事選では「どうしてもあいつだけは当選させたくない」という考え方が目立つ。それはそれでなくはないのかな……うん。

とはいえ、党派性主義によって不健全になっている政治においては、都民がそれぞれに立候補者の公約なり人間性なりを見て、それぞれに投票先を判断すべきであると俺は思う。

マスコミが選挙戦を、特に泡沫候補について報道しない事態を陰謀めいて非難するさまは、もはや憐憫すら覚える。候補者全員を取材する畠山氏の記事は集英社から無料で公開されている。テレビじゃなければダメ……? マスコミの範囲を都合に合わせて収縮させるのは勘弁勘弁。政見放送も見られるじゃねえの。

そもそもにして、情勢報道を見て選挙行動を左右するのが、政治に対する真摯な向き合い方なのか? 俺は、上に書いたように、都民がそれぞれに立候補者の公約なり人間性なりを見て、それぞれが票を投じる先を判断すべきであると思う……。

……と、明日は5時起きで取材に向かわなければいけないなか、禁止されている酒を飲み、つらつらと書いてしまった次第。

こう書くと、また投票してないようだが、今回の都知事選で、俺は、俺の一票を投じた。理由はさしてない。あるとすれば、ゼロ打ちにならなさそうな気配があり、それなら直線勝負を楽しみたい。くらいの気分である。

そう。今回俺は投票をした。が、そんなエクスキューズは本当に無用だと思う。投票した候補者が当選した人間、落選した人間、白票を投じた人間、そもそも行かなかった人間、なんでもよく、どこからであろうと政治について語ってもいいし、語らなくてもいい。それが自由主義ってものだろう。誰もの思いを聞いて、受け止めるのが、まずは何かしらの第一歩なんじゃねえの。

以上、床屋談義となる。

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