見出し画像

小2男子、学校に行かないスタート②

登校時間が過ぎてからやっと親の説得に負けて、ランドセルを持つ。がちがちに緊張した表情で自転車の後ろに乗り、学校の近くまで行くと「降りる」と言って自分で歩き出す。

でも校門の前まで来ると、足が止まる。親が学校に電話して先生が門まで迎えにきてくれて、ちょっとお話しして気分を取り直して、入って行く。それでも、もって二時限分。「お迎えに来てください」と呼び出し電話がかかってくる。

内心、「なんでだよー」と涙が出そうになりながら、表面的には「よくがんばれたね」と明るく迎え、家に帰ってくるまでには、すでに元気。表情は明るくなり、自分からしゃべり、好きな遊びに飛びつく。翌日は、学校に行かない。土日は元気いっぱい、習い事に熱中する。

そういうことが2週間続いて、私と夫の中で「これを繰り返していいことはなさそうだ」と変化が起こる。

改めて、次男にいまどんな気持ちなのかを確認すると、

●学校に行きたいと思うけど、行こうとするとだるくなる

●行ってもつまらない。

●がんばれる時はがんばって行きたいけど、ダメな時は休みたい

という返答。

「行きたくない」という日は、「行きたくないっていう気持ちがあっても、ちょっとでもがんばろう。行けたら自信になるよ」と励ましてきたが、いまは行ってもそれがよかった体験にはなっておらず(親は喜ぶが、本人の達成感や喜びはない)、本人の気持ちを押し殺して「べき」に従うことを教え込んでいる構図ができていた。

そこから、夫と私はモードを切り替えた。「無理に行かなくてもいい。行けるなら行ってもいい。自分の気持ちを大事にしよう。どちらの選択も、応援する」

それでも、まだ私の内心は(いつか行けるようになってほしい)という要求が残っていたが。

ともあれ、「絶対学校に行け!」というスタンスを変えてみることにした。

次男が自分の気持ちを言葉にして伝えることや、自分の気分の揺れ動きに自分で気がつくように「朝の気分を数字のシールでカレンダーに記録する」=「ごきげんシール」をはじめた。長男にも状況を理解してもらい家族みんなが味方であることを伝えるべく、家族会議で「次男が学校に行けないときにどう過ごすか」を話し合った。次男が学校に行かなくても一人ぼっちにならないように、遅刻して行くなら送って行けるように、早退するならすぐに迎えに行けるように、仕事は上司に頼んで在宅勤務にさせてもらった(仕事面のことは別途書きます)。


私の心の中では、次男は「行きたい」のではなく、「行かなきゃ」と思っているのではないか。「自分が行きたい」のではなく、「親が行かせようとするから、行かなきゃ」なのではないか。

あんなツライ顔をしてまで、学校は行かなきゃならないものなのか?このままこの体験を繰り返させて、「ダメな自分」のレッテルを自分に貼らせるようなことが、今後のためになるのか?

夫と話し合ったり、次男本人と話し合ったりする中で、私の中にある「学校は行くもの。私も行ったし夫も行った。みんな行ってる。次男も行くべき」という無意識な「べき論」があることを認識した。

私たちのスタンスを変えたら、次男は学校に行かなくなった。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?