[不登校]ってヤツをすることの大変さと贅沢さを満喫中
小2次男が学校に行かなくなって今日でちょうど1か月!
パチパチパチパチ!!!
いやー、「学校に行かない」という選択肢、よく選んだ。
次男。そして私、それに夫!!!
今日は、努めてポジティブに不登校をスタートしたはいいけど、これってすんげー大変なことなんだなと、思い知った話しを書きます。
大変って、「困難だ」という意味だけではなく、「大きな変化がある=成長にもなり得る」ということ。
いまはまだ、努めて努めてポジティブに捉えてるのが正直なところだけど、きっと次男が大人になったときには、「あの時、勇気出してよかったね」と言えるようになると思うのです。
学校に行かない日々は、そーとーな自律が求められる
まず朝起きることからして、学校に行かない子どもにとって「必要なこと」でなくなるので、「起きる」習慣を維持することから、はじまる。
幸い、我が家の明るい不登校児は、心身を蝕まれる前に学校に行かない選択をしたので、不調ゆえに朝起きられないということはない。
ただ、もともと「目覚めスッキリ」なタイプではない(これは私に似たと思う)ので、朝起こすのは大変。
学校に行っている時から、寝る前に機嫌よく過ごすことと、9時間睡眠死守と、朝楽しい雰囲気で誘って起こすことは必要な工夫。
日中の(フリースクールのスタートが小学校より遅いし終わりが早いので)過ごし方も、ある程度のタイムテーブルを組んで、楽しくルーティンが過ごせるようにするのは、かなり工夫とこちらの関わりが求められる。
学校に行っていれば、宿題と明日の準備くらいを気にしていればよかったが、今は毎日の勉強と興味に沿った活動やお手伝いとを組み合わせて、遊びの時間を交えながら進めなくてはならない。
1か月でホントに思い知っているのは、「私が不機嫌だと、次男はあらゆることにやる気を無くす」ということ。
在宅勤務しながら、不登校児のホームスクーリングもどきを回すのは、心底無理があります。
(コロナ休校時のツラさに、「みんな行ってない」んじゃなくて、「ウチの子だけ学校行ってない」という焦りが加わったバージョンをご想像ください)
キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴らず、「ハイ、次は〇〇の時間」という強制力も働かず、小2の男子を規則正しく生活できるように(しつこいですが在宅勤務のかたわらで)するって、ほんとーに大変なことです。
いまはまだ、いろいろ私がアレヤコレヤしかけないと、ずーっとマンガ読んでるだけになりそうで怖くてつい手出し口出ししています。
でもだんだんと、自分で決めて自分で動けるようになっていってくれることを願って関わっています。
親が「さ、次はこの時間」なんつって、やるような子は、多分こんな風に不登校になりません!
自分で決めたらガッとやりますが、気分が乗らないととことんやらないのです。
どうしたら、自分は『やる気』になるのか?
いま、次男は自分のココロを研究している最中と理解して、私も一緒に次男の世界を探求中。
この不登校期間を通して、次男の自律が、かなり進んでいくと思いますし、そう願ってやみません。じゃないと、ムリ!!
「学び」って「楽しい」を教える難しさ
学校の勉強を「楽しい」って思えるのって、なにがあればそうなるんだろう?と考えさせられる毎日。
好きなことを深めていく学びは楽しい。
誰かと一緒なら、なお楽しい。
そういうふうに、学ばせてあげたいのだけど、私はどうもソコが下手なようで、うまいこと次男を学びの広がりや深まりに連れて行ってあげることができていない。
私自身、興味関心の幅があって、新しいことはなんでもひとまず知りたい、ある程度できるようになりたいタイプ。
次男は…どうもそうではない様子なので、困っている。
次男は、広く浅く、ちょこちょこっと齧るとポイっと投げ出すような取り組み方しかしない…
面白さを知らせてあげるって、本当に難しい。
まずは基本的な知識がないと、物事ってその「おもしろみ」まで辿り着かないと思うんだけど、どーーーも、その基本的な知識の量を増やすまでの最初の興味すら、うまいこと次男と私は噛み合っていない気がする。
その辺は、もしかしたらフリースクールの中で、より興味が出てくるものと出会えるのかな〜と期待。
学校に行っていれば、楽しかろうがそうでなかろうが、カリキュラムは粛々とすすみ、自然と必要な知識がインプットされていったであろうに、次男はいま、自ら自分で学び、深めていかなくてはならないんだから、これまた、大変なこと。
親子関係も新たな1ページへ
私は基本、仕事をするのが好きで、子どものことはもちろん好きだけど、365日四六時中子ども中心で生きろと言われたら、3日で限界が来ると昔から思っている人間だった。
育休中も、子どもとだけの生活、家の中を中心にした生活に息が詰まりそうで、ボランティアにセイを出していたくらい。
それなのに今は、新生児期と同じくらい(いや、あんなに昼夜問わずではないから100倍マシですが)子ども中心の毎日。
在宅勤務の合間に時間休とってスクールへの送り迎えしたり、半休とって図書室登校に付き合ったり、仕事終わってすぐ晩ごはん支度に取り掛かりたいのに子どもの勉強に付き合ったり虫だのなんだののお世話をしたり…
こういうことが、私の人生にはきっと必要なんだろーな、だからカミサマが敢えて子どもをきっかけにこういう時間を与えてくれているんだろうな、と無理矢理な納得を自分にさせながら過ごしている。
まぁ、仕事も失わず、家族みんな元気で笑いながら過ごせているんだから、意外と幸せな毎日なのだ。
「そんなに自分で考えて決めてる小2の子なんて、いませんから」ってホント?
夫と私だけで元気な不登校児を抱えるのにはむりがある、って早めに心を決めて、いろんな場所や人に助けてもらおうと試みている。
見出しの言葉は、一つの場として検討しようと相談した家庭教師の会社の方に、顔合わせを勧められて言われた一言。
私が「まだどういう不登校生活をしていこうか、私も子どもも見えてきていない中なので、いきなり『家庭教師を検討してる』と顔合わせの場を作ったら子どもがびっくりしちゃうと思うので、少し時間がほしい」と言ったら、この一言が返ってきた。
え?そうなの?と、驚きつつ、0.1秒後には「んなことないっしょ」と正気を取り戻した。
「ウチの子は、頑固なところがあって、納得できないことを流されてやる、みたいなのが苦手なんです。わからないなりに、説明して動機付けというか、彼が自分で選ぶようにしたいんですよね」とご説明。
このことを他人様に言ってみて、私自身「あー、私は次男のことをそういう風に捉えてるんだな」と再認識した。
赤ちゃんのころは、楽しく誘なう(笑)ようにしていたけど、いつのころからか、彼には自分の意図することをまっとうしたいという気持ちがハッキリ現れてきた。
長男も納得しないと動かないけど、長男の方が「空気を読む」し、私がどうしてほしいと思っているかを慮ってくれちゃう。それはそれで気の毒に思うことも多い。
次男は頑固なタイプだなぁ、だから、学校で納得できないことに合わせて生活するの、辛かったという部分あるんだろうなぁと。
それって、全然悪いことじゃないよ、必要以上の協調性を発揮して自分のココロを押さえ込まなくていいよ、と、学校に無理していくのをやめたんだから、家でまた親に無理して合わせるようなことさせたくないよな、と思った。
そんなわけで、家庭教師のことはタイミングを測ってちゃんと伝えて、興味を持ってくれてから、訪問をしてもらった。(素敵なお兄さんが来てくれたので、印象は超良好。でも、いろんなスケジュールを考えるとまだすぐスタートしないで良さそうなので、数ヶ月後に先送りすることに。)
こうやって、ちゃんと一つひとつ自分のやることを自分で決めて実行していくって、学校に行ってたら必要ないプロセス。
調べる、選ぶ、検討する、決定するって、手間もエネルギーもかかるけど、子どもの頃から経験できるのって、悪くないよね、むしろ恵まれてるなぁと思う。
いろんな要素が、次男はラッキーなのだと思う。
親兄弟や祖父母は彼の味方だし、学校に行っている仲間も行ってない仲間両方がいるし、幸いなことに不登校の始まりにそこまで深く心が傷つくことも避けられたし…
いろんな人のサポートや温かな見守りに感謝しきれません。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
大変なことも、味わいながら、楽しみながら、やっていけるといいな。
これから次の1か月、次男にも私たち家族にも、どんな大変と贅沢がやってくるのか、楽しみにしたいと思います!
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