余命1ヶ月だった私へ~治療編②~
それと同時に、なんと病院での治療が決まりました。ホスピスで死を迎えるのはなく、治療なのです。
もともと、母も乳がんで、手術と抗がん剤治療を受けていました。その担当をして下さったドクターに、私のことを相談していたそうです。
娘は看護師なんですが、頑なに病院に行きたがりません、と。
その母に、1度こちらに連れてきてください、とドクターは伝えていたそうです。
やって来た1月下旬。フラフラしながら、それでも歩いてドクターに会いました。治療する意志があるなら、やってみましょう、と。
この病院には、ホスピスもあります。てっきりそちらに行くのかと思っていましたが、なんと治療を引き受けてくださることに!
影には、父が一筆書いてくれた誓約書がありました。
『いかなる治療により、娘が死んだとしても、訴えることはありません』
つまり、死んでも文句は言わない、ということです。
病院で治療すれば助かるはずなのに、なんで助からなかったんだ!と、仰る方がいます。
お気持ちは分かります。病院に行けば助かる、という安心感。けれど絶対ではありません。医師も看護師も人間です。神様ではない。
全力で治療とサポートしても、助からないときは、どうにもならないのです。
これは私にも当てはまります。
ふつう、抗がん剤治療は、もっと体力のあるときにやります。副作用が出ることを考えるからです。
この時点で、栄養もとれず、痩せていくばかりの状態では、抗がん剤に耐えることができないのです。
検査して、かろうじて丈夫なのは心臓だけ。
リンパにも肺にも骨にも、ガンが転移していたのです。
おそらく、この1回の抗がん剤で耐えきれないだろう。
誰もがそう思っていたと思います。
それでも、本来の80%に減らし、最初で最後の抗がん剤治療が始まりました。