I cheated myself
窓の外は眩しさに満ちている
どうしよう
わたしはまだ夢の味が忘れられない
10時36分
久しぶりの休日
もはやベットと化したソファから身を起こし
身支度する間のBGMをかける
1曲目はAMY WINEHOUSEの<🎵LOVE IS A LOSING GAME>
BGMのつもりがしばし聴き入ってしまう
彼女の曲の時は大体そうなってしまう
今日も彼女はどこも変わりがなかった
聴こえてくるもの全てがからだに突き刺さる
感覚の何もかもが奇妙に壊れている
壊れるところが聴こえてくるのだ
彼女が姿を晒しその存在を記憶した2003年以来ずっと
それは何もかもを与えようとしながら
同時に終始失うこともし続ける独白のように聴こえる
そしてどういうわけだか
それは私にとっては「分け合う」ということが出来ない音楽なのだ
ひときわ素晴らしい音楽の数々は
ある点において不器用極まりない
AMYの音楽は「分ける」という単語や概念をおそらく人並みに知っていないし
あるいは許していない
ただ自分から取り出し吐き出し
そこで搾り取ったものを聴き手に一方的に与え続けた
こちらの都合など頭に入れず
ただ一方的に
聴き手がその音楽と何かを共有したいと望んでいることなど
考えもせずに
少なくとも自分にとっての一瞬を
それが彼女の音楽だったのではないだろうか。。。
イギリスで20歳になったばかりの
ドラッグとアルコールとセックス依存の放蕩女性は
すでにそのドラッグとアルコールとセックスとを腹一杯飲み込んだ
この世の一切を自分のノドに捕える歌手になっていた
人々は彼女の声を聴きながら人間の実年齢とは一体何なのか
それに一体どんな意味があるのかと考えた
それは心とか脳ではなかった
そのノドと声帯ただそれのみが彼女の感情を
彼女の魂それ自体を意味していた
そのノドにこそ心が魂があったのだ
一職業歌手、一職業ソングライターに仕立て上げられてしまったAMYにとって
曲を書くということは
その生きたノドに自分の汚れた手を突っ込むことであり
歌を歌うことは
突っ込んだ後でそこにある暴弱な己の魂を掴んでむしり取り
公の保存記録とぎりぎり引き換えることではなかったのかと思う
売り出されるべき20歳の新人歌手が自分でせっせと書き
売るべきデビュー作の中でリスクをとってわざわざ歌う必要はどこにもない
しかしAMYはそのわざわざを実行した
ありきたりどころではない
その重く沈み込むダークで率直な声の独白は
死に損ねたその生活の上に生きる世界の人々に届いた
どんなわれわれよりも鋭く深く
それにもうひとつ、汚く。。
しかし多くの人はその音楽を好きでいる必要はなかった
それは聴く者の五感に憑り付いて掻き乱し
その日常に勝手に居着いてしまうような
異質な美を携えていたからだ
「リハビリに行けってみんなが言う / 冗談でしょ / そんなのまっぴら」
<🎵REHAB>」
「2階のベッドで元カレと / カレ盛り上がってた / あたしは全然 / あっちがイク時 / 暇であなたの事考えてたよ」
<🎵YOU KNOW I'M NO GOOD>」
ああ…鉛色の空の下うってつけの風が心地よい
もう一度瞼を閉じようか。。いや散歩に出ようか