ブッツァーティ『タタール人の砂漠』を読む
自分がその本といかにして出会ったのかをいつも覚えているわけではない。でも鮮烈な印象をもって僕の人生に飛び込んできた本のことは覚えている。『タタール人の砂漠』は、そういう本の一つだった。
士官学校を出たばかりの若き将校ジョバンニ・ドローゴは、とある辺境の砦への任官が決まり、母を一人残して故郷の町を出る。険阻な山をいくつも越えて辿り着いたバスティアーニ砦は、いつ来るとも知れない、存在すら疑わしい北方のタタール軍を迎え撃つために存在していた。砦で働く上官や同僚の面々は、皆その未然の事態を、兵士として勇敢に戦い、人生に花を添えるために待っている。若く、青春と栄達を夢想するドローゴは、こんな辺境で虚しく日々を過ごすことに不安を覚え、始めは上官に転地を求めるが、申し出はうやむやにされ、本人も結局、自分は若い、いくらでも時間はあるのだと承服する。しかしそこから時の「遁走」が始まる。儀礼的にこなされる軍隊のルーティーン。昇っては沈む太陽、月。茫漠とした荒野に影を落とす雲の流れ。少しずつ変わりゆく季節と自然。しかし事件らしい事件はほとんど起こらない。ひょんなことから砦を抜け出した同僚が事故で射殺される。霧深い北の彼方に動く黒い点が現われる。砦の人々はそれを敵軍と考えて色めき立つが誤りであった。調査のために砦を離れた同僚が寒さと疲労で衰弱して死ぬ。それでさえ英雄的死にざまと評されるぐらい停滞した雰囲気の中で、砦の時は過ぎる。そうこうしているうちにドローゴは1年、4年、20年を無為に過ごし、老年に至る。かつて笑っていた上官たちのか細い期待を、今度は自身の胸に抱きながら。
「時があまりにも速く過ぎ去ったので、心が老いる間がなかったのだった。」
時間は皆にとって一様に流れるわけではない。確かに私たちには時計があり、カレンダーがある。1日は24時間であり、1か月は28日から31日、1年は365日もしくは366日。この暦の中で生きているほとんどの現代人にとって、時計の針は平等に一秒を刻む。しかしその一秒の軽重は人によって違う。赤子はそもそも時間という概念を持たないだろうし、幼稚園児や小学生もせいぜい明日明後日、週末から次の夏休み、冬休み、ぐらいのことを考えるのが関の山で、中学生や高校生になってようやく「将来」という言葉が漠然と響いてくる。それでもその時間は際限のはっきりしない広がりに過ぎない。「老年」や「死」を自分ごととして捉えるのは難しい。20代になるとその広がりには色や彩がつく。それは青年が自立する過程で世界がより近づいてきて、自分に実現可能な物事の予感が具体的な形を帯びて浮かび上がってくるからだ。その可能性を取捨選択していくうちに30代になると、あるとき自分が乗っている船が他人の乗っている船とはずいぶん違う風であることに気づく。
ドローゴは暗い砦の寝室で、谷間を轟と吹き抜ける風を聞きながら、町で人生を送る同世代の知人の姿を想像する。遊興、冒険、恋愛、結婚、出世。かたや自分にできるのは、遠く砂漠の向こうに運命を変えるほどの出来事を同輩と想像し、蜃気楼よりもあやふやな期待を口にして、宙づりとなった意気地をなんとかくじけないようにさせることぐらいだった。
砦に勤め始めて何年も経ったある時、同僚の一人が望遠鏡から砂漠の彼方に何か不審な動きがあることを認めた。何度も期待を裏切られたドローゴは、己は信じまいとしながらも、毎日観察を続ける同僚と一緒になって望遠鏡を眺めるようになる。どうやら軍用道路を敷設しているらしいと同僚は結論づけるが、材料に乏しくそれによって判断を下し、上官に通達することはできない。そのうち噂が砦に広がると、風聞が砦内の風紀を乱すという警告を受け、同僚は望遠鏡を自ら上官に提出し、口をつぐんでしまう。ドローゴが詰め寄るも、同僚は「遊びだったのさ」「冗談もわからないのか君は」とにべもない。今度こそ、という期待が芽生えかけたのも束の間、それを共有する友人と、それが現実となるのを確かめる術の両方を失ったドローゴは、孤独の淵に沈んだのだった。
人間はひとりっきりで、誰とも話さずにいる時には、あるひとつのことを信じ続けるのはむずかしいものだ。
その時期、ドローゴは、人間というものは、いかに愛し合っていても、たがいに離ればなれの存在なのだということに気づいた。
ある人間の苦しみはまったくその人間だけのものであり、ほかの者はいささかもそれをわがこととは受け取らないのだ。ある人間が苦しみ悩んでいても、そのためにほかの者がつらい思いをすることはないのだ。たとえそれがいかに愛する相手であっても。そしてそこに人生の孤独感が生じるのだ。
アメリカの民謡に、「You've got to walk that lonesome valley」という歌がある。
You got to walk that lonesome valley
君はその孤独の谷を歩かねばならない
Well, you got to walk it for yourself
そう、自分の足で
Ain’t nobody else can walk it for you
誰も君のために歩いてはくれない
You got to walk that valley for yourself
自分の足で歩かなければならないんだ
このあと、2番、3番と続くにつれて、主語が「君」から「父」、「母」、そして「ジーザス」に変わっていく。「君の父さんも、母さんも、あのキリストでさえ、一人で歩かねばならなかった。」だから、「君も一人で歩いていかなければいけないんだよ」、というわけだ。
『タタール人の砂漠』を読んで、私はこの歌を思い出した。山に囲まれた砦、いつ果てるともしれない砂漠といった、作中を通して繰り返し描写される風景が、この歌を一層彷彿とさせる。
しかしその荒涼とした自然は、寂寥のトーンを作品に与えはするものの、絶望の表現として描かれているわけではないように思える。ドローゴが抱えている孤独感は、あくまでも「人間」としての出世欲や他者への羨望、自己実現に向けられたロマン主義的願望に根差すものであって、「そんなものと我々は何の関わりもない」という超然とした自然の立場がその無言の描写の内に聞こえる気がする。そしてブッツァーティ自身が、むしろどこかでそういった自然の立場に共感乃至は、自分の人生観を託して語らせているような向きがあるようにも思える。
ブッツァーティが『タタール人の砂漠』を上梓したのは1940年。イタリアが第二次世界大戦に参戦したのはその翌日のことだという。文字通り開戦前夜のことで、国威を発揚しいざ戦に向かわんとする国にはあまりにそぐわない。反戦的な主張こそ見られないものの、この一種間延びした雰囲気の中で、軍人の栄光に対する執着に冷や水をかけるような内容の本を出すからには、やはり作者自身にそういったものから距離を取ろうとする志向があったのではないかと想像する。
イタリアにおいてカフカに比肩する不条理文学の作家、という評をよく見るが、カフカが極めて特殊な状況を設定して、不条理な人間の心理や行動をカリカチュアライズすることに長けていたのに対して、ブッツァーティはよりリアリスティックな人間描写をしていると私は思った。
世界を一変させるような出来事に対する漠然とした期待、それを頼りにしてやっと、変わらぬ、退屈な日々を過ごす人。かつて抱いていた希望が枯れかけているのに、それを受け入れられずに、水をやり続け、そこから動けない人。あまりに早く時が逃げていくので、それに気づくこともできずに、ようやく悟ったときはもう手遅れで、過去の自分を咎め今を苛める人。こうした人は、私たちの心の中にも住んでいる。ブッツァーティの文学は、幻想文学のような体裁をとりながらも、巧みなモチーフの構成によって、多くの人に共感できる形で人間の潜在意識の一部分を表象しようとするものなのかもしれない。他の作品はどうなのか、読んでみたい。
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