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2024年、大好きな香港へ

香港に初めて行ったのは航空会社に勤めていた頃。同僚と3人で香港とマカオを巡った。同僚が選んでくれた食事は口に合わないものばかりで、宿泊したのは重慶マンションの近くのホリデーイン。夜のコンビニに行くと、地元人らしい人は一人もおらず移民ばかりで、とても物騒に思えた。韓国以外のアジアに行ったことのなかった当時の私は

「もう香港には行かないかな」と思った。

ところが、巡り合わせとは不思議なもので、2012年に香港駐在が決まった。香港、シンガポール、インド、ベトナムの4都市から選べる中、香港を選んだ。選んだのにはもちろん理由がある。当時、どうしても海外で働いてみたかった私は、一番長く滞在できる香港を選んだ。

住めば都と言うけれど、昔住んでいたソウルは最後までなじめなかった。
しかし、香港のことは大好きになってしまった。

東洋と西洋、古さと新しさ、富と貧困—それらの正反対の要素が混じり合い、溶け合い、独特で濃密な色彩を生み出している唯一の場所。昔の映画を見ると、西洋と最前線で戦ってきた都市なんだなと思う。2012年の香港は、自由があり活気ある都市だった。

2012年9月、中国で反日デモが上海などで暴徒化し割と大きなニュースになり日本の家族から「大丈夫か?」と心配の連絡がくる中、香港では日本の曲が店頭で流れ、一度も嫌な思いをすることはなかった。

最初は苦手だと思っていた食事も、探せば美味しいものはたくさんあった。たかが数日間の旅行では、何もわからない。帰国後も何度か訪れたけど、コロナもあり、2017年が最後の渡航となっていた。

あれから12年。再び巡ってきた辰年。今年こそは絶対に香港に戻ろうと決めていた。あのころとは何もかもが違うと聞いていたけど、出発が近づくにつれてわくわくした。記念の旅なのでJWマリオットに3泊で予約を入れた。円安と物価高で1泊7万円以上もしたので、1泊だけ香港人の友人の家に泊めてもらい、合計4泊5日の香港旅行へ。

金鐘駅直結のJW mariiotto Hong Kong

アバディーン(香港仔)散策

 あの頃、夢を追いかけていた友人は、今では香港や台湾に店を展開するグローバル企業のCEOになっている。メニューを考えたり、自宅のスタジオで撮影していたことが懐かしい。アバディーンという香港島の南側の街に高層マンションを買って、優雅に暮らしているが、富裕層になっても以前と変わらない生活スタイルでホッとした。それでも日本に移住したいらしい。
 
 香港に住んでいたころ、アバディーン(香港仔) にはあまり行ったことがなく、私の帰国後、地下鉄が通ってからは数分で行けるようになった。湾仔や銅鑼湾と違い落ちついた街で、古き良き香港を味わえる。

アバディーンのお寺へ参拝
ローカル食堂で朝ごはんを

インスタ

インスタがリリースされた頃くらいから、インスタの中だけでやりとりしている香港人の友達と初めて会いました。初対面なのに昔から知っている、不思議な感覚だった。

 私が香港から帰国した翌年、シンガポールから移住してきたらしい。そんな彼女とカナダ人の彼氏と、私の夫と4人で食事をした。初対面、言語は英語、ドキドキしながらトラムに乗り、西営盤のグース料理のミシュランのレストランへ向かった。

 初めて会ったとは思えないほど盛り上がり、そのままタクシーで北角のハイアットホテルのルーフトップバーへ。彼女はパティシエ。お店も経営していて、香港の高齢者貧困問題解決のための活動もしているアクティブな女性。その活動が評価され、アメリカ政府から直接連絡が来てホワイトハウスに招待されたそうです!すごい・・

ルーフトップバーで二次会 (^^♪

夫の教室に通っていた日舞をしていた香港女性とその彼氏にも再会し、一緒に食事をしとても充実した旅行になった。
総じて、香港に住む人たちは自由のなくなった香港を嘆いていて、何がどう変わったのか教えてくれた。それは街の至る所で感じた。12年前とは違うのだと思うと悲しかった。でも、私は香港が好きで、そこに住む人たちも大好きだ。昨年は武漢にもいったけど、やっぱり本土とは違う。香港はまだまだ香港だった。

12年前に住んでいた家の屋上から
旺角のオタクビルはおもしろい
縮小された露天街
ミニバス!
CWB
湾仔のフェリー乗り場より
金魚街
上環
Monster Mansion
ストリートアート
LKF
いつ見ても美しい香港の夜景
めちゃくちゃ美味しいと思ったらミシュランでした
香港ミルクティー





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