M/T MERCER STREET 被攻撃海難
2021年7月29日夜、中東のオマーン沖にて邦船社が実質船主であるリベリア船籍プロダクトタンカー「MERCER STREET」がドローンを使用した攻撃を受け、現時点でルーマニア人(船長との情報あり)1名とイギリス人(民間武装警備員との情報あり)1名が死亡と報じられています。船は海難時の非常通信(おそらく遭難通信を発したと思われます)によって来援したアメリカ海軍(空母ロナルド・レーガンと随伴駆逐艦)に付き添われて自力航行で安全海域(おそらくオマーンの某港)に移動したとのことです。
M/T MERCER STREET
タンザニアのダルエスサラーム港(DAR ES SALAAM, Tanzania)からアラブ首長国連邦のフジャイラ港(FUJAIRAH, U.A.E.)へ空船で航行中
多国籍18名程度が乗組み(中国人、フィリピン人、インド人、ロシア人その他との情報ありますが、海難当時の正確な国籍構成は不祥です。ルーマニア人船長が死亡したとの報道もあります。)
IMO番号 9539585
旗国(船籍国) リベリア(船籍港はモンロビア)
船種 MR; Oil Products Tanker(石油製品用の中距離レンジ油槽船)
呼出符号(信号符字) D5CH9
MMSI 636015705
建造 尾道造船(日本)577番船 2013年
旧船名 PACIFIC LAPIS(2014年1月改名)
船級 日本海事協会(NK)
登録船主 Friend Shine Shipping SA(シンガポール)
実質船主 太平海運株式会社(日本)
船舶管理会社 Zodiac Maritime Ltd(イギリス)
船員配乗会社 Zodiac Maritime London(イギリス)
用船者 Zodiac Maritime Ltd(イギリス)
全長 182.5m
幅 32.2m
深さ(上甲板) 18.4m
満載喫水 12.9m
載貨重量トン(DWT) 49,992MT
総トン数(GRT) 28,426
主機関 三井 MAN B&W 6S50MC-C 9,480KW/127RPM
場所
オマーン沖ですが、現時点における報道ではオマーン湾とアラビア海に分かれています。具体的な方位距離が明示されているものもあります。
・AP通信 オマーン首都マスカットから南東に約300㎞離れた海上
・AFP オマーン沖のインド洋
・REUTERS ドゥクム港(オマーン)北東280㎞のアラビア海、から、オマーン沖のオマーン湾に変化 配信を受けた日本の報道ではドゥクム港北東300㎞のオマーン湾(明らかに間違い)としているものもあり混乱している
・朝日新聞 APなどの海外リソースを総合して、オマーン湾と報道
オマーンの北がオマーン湾でイランが対岸となりますが、オマーンの東はインド洋北西部といっても良いアラビア海でインドやパキスタンが沿岸国になります。つまり、イランが仕掛けてくる海域としてはオマーン湾が便宜であって、アラビア海となるとなかなかに遠いわけです。現時点では保険会社などから具体的な情報が出てきていませんので下手なことは言えませんが、APやREUTERSの報道に則して位置を求めると、アラビア海のオマーン沿岸(オマーン沖50㎞程度)、つまりオマーン領海外側すぐ(オマーンの接続水域内)になります。非常にアバウトですが、北緯21度ちょっと、東経060度弱あたりになります。
報道が正しくて本当にこの位置だとすると、イラン犯人説、、、少し考えてしまうのが正直なところです。例えてみれば、中国がフィリピンにダメージを与えるために、南シナ海ではなく、日本の能登半島と佐渡島の間あたりでリベリア籍船に攻撃をするようなものだからです。
早いうちに位置の精度は上がってくると思いますが、現時点では具体的な方位距離報道をベースに、オマーン湾ではなく、アラビア海かなと思います。なお、東アフリカからフジャイラに向かう本船の通常航路としては、前述の緯度経度におかしな点はありません。
民間武装警備員
REUTERSはイスラエル政府関係者の話として、死亡したイギリス人は警備員と報じています。これは民間武装警備員を指していると考えられます。東アフリカ(特にソマリア沖)海域は現在でも海賊危険海域とされており、追加保険料の対象です。多くの商船が民間武装警備員を雇って乗船してもらっています。彼らはダルエスサラーム等の便宜港や、スリランカ沖や紅海に停泊している基地船をベースに危険海域限定での武装警備を請け負うのです。3名から5名でチームを組んで業務にあたります。海賊襲来などの危険な状況では船橋両舷の暴露部(ウイング)に占位して銃撃などを実施します。
今回、ドローンの襲来に対処中であったとすれば、天蓋のない暴露部にいたと推定されますので、ドローンからの攻撃に最前線で曝されたと理解できます。命を懸けた業務とはいえ、船と船員を守護しようとしてのこと、ご冥福をお祈りいたします。
REUTERSは同時に、死亡したルーマニア人は船長と報じています。状況を正確にかつ直接把握するためにドローン攻撃の至近におられたと思われます。長く外航貨物船の船長として世界中を走り回った私としては、他人事とは思えません。やはり、船と船員を守護しようとしてのこと、ご冥福をお祈りいたします。
空船のタンカー
今回、本船はFUJAIRAHに向かって空船で航海中でした。FUJAIRAHは有名な補油港です。補油港は英語でBunker Port、燃料補給地です。補油とは燃料補給のことです。ペルシャ湾に入る(出てきた)船の多くがFUJAIRAHや近傍のKHOR FAKKANで補油をします。これらの港では沖に錨泊して、本船は補油船(バンカーバージ)と接舷して補油をします。
本船は空船でした。空船とは貨物(今回はガソリンなどの石油製品)が空っぽの状態です。貨物が満載の船を満船といいます。爆発危険という意味においては、タンカーは満船よりも空船のほうがはるかに危ない状態です。タンク内には酸素を排除した不活性ガス(イナートガス)を充填していますが、爆発事故は多くの場合、空船で起こります。満船は油流出の危険はありますが、爆発リスクは非常に低いのです。理由は大変専門的になりますので、今回は飛ばします。
日本の関わり
今回も皆さんの疑問は海運の謎である役割(責任)分担に集中しているようです。日本の会社が実質船主であるのだから日本の財産だ、日本政府は何もしていない、怒り。という感じかと思います。
船の世界は「旗国主義」原則です。ですから、本船についてはリベリアが旗国つまり船主国となります。日本は船主国として出る幕はありません。
船員の世界は「船の旗国」第一で、第二に「船員の母国」主義です。日本人が乗っていない船、乗組員母国として日本の出る幕はありません。
本船の荷主はどうでしょうか。航路から考えても日本航路ではないでしょうね。日本輸出入貨物の航海ではないので、日本の出る幕はありません。
船舶管理も用船者(運航管理)も船員配乗もZODIACですから、実質船主である本邦法人は船主業でしか関係していないと考えられます。船主は定期用船者(ZODIAC)から約定通りの用船料を毎月もらい、船舶管理業者(ZODIAC)と船員配乗業者(ZODIAC)に約定通りの管理料を毎月支払って、その差額を得ているだけです。誤解を恐れずに言うと、銀行に本船の建造費用の返済をする業務だけでいいのです。もちろん「主に」です。本船の修理費用や不稼働で船主に損害が出るでしょうが、そのために保険があるわけです。
日本が関係するとすれば、船の整備や修理に際して建造造船所や船級が関係します。本船は尾道造船建造で、船級は日本海事協会(Class NK)ですので、尾道造船やNKはすでに動いているはずです。ですが、どちらも政府ではありません。日本政府の出る幕はありません。
本船の非常通信(おそらく遭難通信)を、調査研究名目でアラビア海に派遣中の海自護衛艦がたまたま受信して、近傍にいて、真っ先に駆け付けていたとすれば、便宜安全地までの保護と護衛活動をしたかもしれませんが、今回はアメリカ海軍にその機会が巡ったようです。
国際海事の世界は、国内の陸上社会の考え方では通用しないことが多いのです。特に役割(責任)の分担は。時代の流れもあります。第二次世界大戦のころの発想では全く遅れているのです。日本の会社の船といっても、日本には寄港しない、荷主は外国法人、外国籍船、日本人船員はゼロ、船級も外国船級、保険会社も外国、用船者も外国、管理会社も外国、という時代です。アタマも現代化しましょう。
商船は準海軍ではありません。生命線を担ってはいますが、もはや実質船主の国の安全保障の一翼などを担ってはいないのです。
国際政治
日本が国際政治の中で中東問題にどのようにかかわっていくか。それは偏に政治が考えることであり、海運、ましてや一法人が船主としてのみ関わっている外国籍船の事件に振り回される、そんな時代ではないのです。
実際に人的被害を強要されたのは、イギリスとルーマニアです。日本は保険填補される物的損害のみ。
まとめ
今回の犯人が誰であれ、ZODIACつまりイスラエルに対する行動であって、日本に対するメッセージはないと思います。日本の法人が実質船主であるということに大した意味はないでしょう。これまでも続いているイスラエル関係船舶への実行を見てもです。
実質船主にまで気をまわして・・・など、簡単にできる程度の単純なつながりの背景ではないのです。いまの国際海運は。