【楽曲解説】リューリタンとオルタナと荒野修道院

川﨑ノーチラスでござーます。

去る12/8、ニコニコ動画に『リューリタン』という楽曲を投稿いたしました。

『リューリタン』公開までには昨2024年、特に秋以降にあった出来事を受け感じたことを曲にしたい想いが突如湧き上がり、一気に楽曲にしたという経緯がありまして、どうせならその時の想いや今考えていることを明文化して楽曲解説という形で残しておくのもアリかと思い筆もといキーボードをとった次第です。
公開から時が経ちすぎていることについては言うな。
なお、本投稿はあくまでも「原作者が勝手に言っているだけ」であり、あなたの『リューリタン』に対する解釈に対しなんら介入するものではないことをご理解いただけますと幸いです。

荒野修道院運動

『リューリタン』のモチーフは「荒野修道院運動」です。
は?ですよね。
分かります。
そんなあなたの為、なにより忘れっぽい川﨑自身が後年この文章を読み返したときのためにそれがどういったものか、という概要程度は示しておこうかと思いますが、先ずは川﨑のこの概念との出会いから。

川﨑ノーチラスが産声をあげる数年前のTwitterはアカウント凍結祭りの渦中にありました。
肌色イラストレーターやネット論客、Twitterの体質そのものに愛想を尽かしたもの達が次々と新たな寄る辺を求めネットの海を彷徨い、そして彼らは当時「ポストTwitter」と呼ばれていたような辺境のSNSに押し寄せ、そこの原住民達の生活を脅かすようになりました。

そんな中、原住民の一人が嘆きと諦観混じりに引用していたのが、14世紀ロシアの「荒野修道院」のエピソードでした。
荒野修道院とは、孤独と静寂を求めた修道士達が誰も立ち入らない未開の原生林に分け入り修道院を創設した、というものです。
不勉強者が無理やり要約しているので不正確な部分があるかも知れませんがそれは流石に容赦せい。
さて、修道士達が敬虔で厳格な祈りの生活を続けるにつれ、その評判を聞きつけ感化されたもの達が集まってきます。
そうするうちに、修道院はどんどん賑やかに、豊かになっていきます。
すると、元々孤独と静寂を求めて未開の地に踏み出した修道士達はどうするでしょうか。
当然その場を離れ、より人が来なさそうなところに新たに修道院を建立するわけです。
それが繰り返されることで結果的にロシア国土は開拓されていった、というものですが、辺境SNSの原住民はかつてまだ見ぬ理想郷を求めそのSNSに入植した自身らのことをそんな荒野修道院運動になぞらえたのでした。確かそうだった。筈。

そんな投稿を目にした川﨑ノーチラスはこう思ったわけです。
「これ私のことだ…」と。
まさに移住者たちによって俄かに賑やかになりつつあるそのSNSに住んでいたから、ということもありますが、特に当時お世辞にもメジャーとは言えないジャンルの音楽を演奏する活動に身を捧げていた川﨑には荒野に生きる修道士の生き様はそれはもうぶっ刺さりました。
なんて愛おしい人達なのだ、と。
やはり創作者はマイノリティの中のマイノリティでなくてはならない、だからこそ新たな面白いものが見つかるのだ、と。

そんな「荒野修道院」へのかつての憧憬が『リューリタン』の基礎部分になっています。

制作までの経緯

2024年12月7日、ニコニコ動画にて「ボカロオルタナティブ祭」という楽曲投稿イベントが催されました。

愛に溢れた素晴らしいイベント

『リューリタン』はこのイベントに参加するために用意した楽曲になっており、であるからにはオルタナティブロックとして制作されたものになります。(オルタナティブロックでなければ参加できないイベントというわけではない)
オルタナティブロックを巡ってはその定義を巡ってしばしば創作者やリスナーの間で論争が交わされたりしておりますが、それはまた別のお話。強ち別の話でもないけど。
兎にも角にも、このイベントに参加するにあたり、川﨑は「荒野修道院」から感じたものをオルタナティブロックとして形にしたくなってしまったわけです。
そこに至る経緯としては、2024年11月23日にボーマス57にて頒布されたオルタナティブコンピ「Alter Era」に触れざるを得ません。

誰が何を作ってこようとオルタナのコンピと言い張る。
何度再生しても新鮮な感動があるこの素晴らしい一枚に僭越ながら川﨑参加させていただいておりまして、これについても語り尽くせないものがありますがそれはまたの機会に。

何はともあれ、こちら大変にご好評を博しておりまして、川﨑はというと内心ホクホクになっておりました。
そして迎える前述のボカロオルタナティブ祭。
さあ、どんな楽曲を投稿するか。
話題のAlter Eraの参加曲を早速投稿するか。
いや、今だからこそ新曲でしょう!という考えが過ってしまったのが運の尽きでした。
Alter Era参加を経て開催三度目となるボカロオルタナティブ祭に参加する、その心境を新鮮なうちに楽曲にしておくべきだと思ったところで、地獄の作曲RTAが始まりました(12/3着手、12/8投稿)。

結局何が言いてえんだお前は

「オルタナティブ」の意味するところは「代替品」、「別の選択肢」。
ロックに当てはめた時非常に消費者目線な言葉に思えてしまいますが、何はともあれ主流とされるものでは我慢ならない人が選ぶものが「オルタナティブ」になります。
この時「主流」とされているものの対象は個人や状況によって異なり、それは社会全体であったり身近なコミュニティであったり、ともすれば「オルタナティブロックとされてきた音楽そのもの」が「主流認定」のターゲットになり得るわけですが、ともあれ人が「オルタナティブな選択」をする瞬間だけを見ると、選択の結果選ばれたものが何であれ、必ずその刹那人は「孤独」を感じているのではないか、と川﨑は思っております。

川﨑がAlter Eraに提供した『供花』は、「自身の大切にしている気持ちや思い出を守るために敢えて孤独を選ぶこと」が楽曲のテーマの一部となっております。
孤独は自身のために時として痛みに耐えてでも選ぶ必要や価値のあるもの、敢えて孤独を選ぶことで得られるものがあるはず。
そういった「価値ある孤独」が川﨑の価値観の根底にあり、また音楽を制作する、聴く上でも大切にしたいと考えている概念になります。

さて、「オルタナティブロック」を通じた前述の体験は川﨑の音楽生活に充足感をもたらしました。
そんな中、元来人が集まって楽しそうにしていたらそれを腐さずにはいられない卑俗な性分の持ち主である川﨑は何を考えたか。
厄介なことに、そんな充足感の中にあってこそ「孤独を求める人」を曲の題材にしたくなってしまったんですね。
恐らくボカロオルタナティブ祭やAlter Eraのワイワイガヤガヤを見てそっとその場を離れていった人って絶対居るわけで、そういう選択を取るということについて触れておかないと自身の価値観や『供花』で表現したことを裏切ることになると思ってしまった。
そこでモチーフに選んだのが、心の奥底にあった「荒野修道院」への想いだったわけです。
川﨑自身がどういう身の振り方をするかは別として、自分だけの「オルタナティブ」を選んだ「あなたの行い」に賛辞を送りたかった。
実際にそういう人を観測したわけではないので、「そういう道を選んだ世界線の自分」に対して、が正確かもしれないです。

独りきり祈る廃教会を、拠り所に巡礼者達が集ったら
古ぼけた褥譲り、新しい旅路へ漕ぎ出すさ

リューリタンの歌詞から

最後に

よりマイナーで孤独だったやつがオルタナバトルの勝者だぜ!!
みたいなことを言いたいわけではないことは皆さん勿論ご理解いただいているかとは思います。
ただ一つ、自分自身の「オルタナティブな選択肢を選んだときの気持ち」に寄り添い、報いようとし続けることは大切にしたいと個人的には考えている次第です。
だからこそ、一処に留まったり自身の立ち位置を守ることに拘らず、何かにおもねったりもせず自由に自身のやりたいことをやるのが一番良いよねっていうのが『リューリタン』のテーマになっております。

前述のとおり、オルタナティブロックの定義や価値観を巡っては度々議論が交わされ時には紛糾したりと、中々首の突っ込み甲斐のあるトピックになってまして、それだけに川﨑のオルタナ観の一端を開示したこの記事も中々の長さになってしまいました。
ジャンル論のそのものの是非、みたいなところも語られがちですが個人的にはそれはそれで独立した一個の娯楽だと思ってまして、それが創作論との境界が曖昧になると爆発物になってしまいがちなのが難しいところですね。

ここまで読んでいただきありがとうございました。
『リューリタン』、そしてできればAlter Era収録の『供花』、是非改めて聴いてみていただけますと幸いです。

そんでは。

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