なろうとなめろうは別物、 そこから話を進めよう1
では話を始めよう。
なろうというのは小説家になろうというサイトの通り名である。
所謂、「なろう系」といわれる
アマチュア中心に創作されアップされた小説
たちの総称であると認識いただきたい。
なめろうというのはわたしが好むところの
酒の肴である。
残念なことであるが我々は文字面だけで
その中身までを決めつけてしまいがちである。
なぜこのような悲しいマチガイが起きてしまうか
ということについては
論考が必要となるがここで論ずることとは考えていない。
ここで考察してゆくことはなめろうではなく
(混同されがちではあるが)
なろう系小説を攻略していくためのtactics(戦術)
である。
これまた見落とされがちなことであるが、
tacticsはその基盤をstrategy(戦略)によって
支えられていかなければならない。
刮目して大局を見よ!
面白ければそれでいいいのだ。
まずは状況を俯瞰してゆこう。
Dramaturgieが成立していくためには様々な要素が
必要とされる。
なろう系の独自性としてあげられるところは
その構成要素のヒエラルキーであろう。
①ジャンルの設定
かみ砕いていうとsituationの設定である。
この設定が作品の飛距離(面白さ)を基礎づける。
リアリティ等という眠たい足かせは
妄想エンジン(創造意欲)の発動を妨げる。
②キャラクター設定
ここでもリアリティ等という眠たい足かせは
妄想エンジン(創造意欲)の発動を妨げる。
頻繁にみられる設定としては
俺tueeeeまたはわたしtueeeという設定である。
これに加えて勘違い系という属性が付与されると
きわめて香ばしい設定となる。
③intimacy
これはリアリティを踏みにじることの代償である。
前項前々項の要素のみではエンタメとしての存立が
困難となる。
そのために様々な方法論が模索されている。
代表的なものとして読者のintimacyの獲得である。
「わかるわーの喚起」というと分かり易いだろう。
乙女ゲームの世界に転生してしまったら
とか
聖女様は残業代をご所望です
とか
意識不明だった主人公が目覚めたとき
「知らない天井だ。」ともらしたり
とか
「足なんて飾りです。エライ人にはそれが判らんのです。」
とかとか
④モチベーション
かつてMARX BROTHERSは映画作品の制作にあたり
先ずは劇場で当該作品のサーキットを実施しネタを繰った。
なろう系にも同様のシステムが実装されている。
作品に対するコメントの存在である。
とはいえ、
出版物における編集者の存在等も別にふつーのことである。
なろう投稿者にとって
このcall&responceに果たす役割は大きいといえる。
現実にもこのコメントの過疎化によりエタる
(エターナルに未更新となる)作品も多い。
長文となり恐縮ではあるが以降個別作品の検討を進めていきたい。
E.N.D.