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美術館で会った人だろ、アンタ。 14


ということで神戸市立博物館。
関西でも開催ということで
関西人としてはありがたい。

上の写真にもある通り
本展はMetaphysical Journeyであるとのこと。
で、そのMetaphysicsとはなんやねん
ということなんだけど
キリコの世界には二つの流派のMetaphysics
を感じるのだね。

ひとつはグーテンベルク教団のそれ。
芸術は意味の象徴によって構成されなければならない。
よって形象はすべからく
信仰であるとか物語であるとか
その意味であるとか意義であるとか
を表現するものでなければならない
ということ。

もうひとつはユークリッド教団のそれ。
世界は純粋な図形の複結合体として成立している。
美を形象として表現するという行為は
その純度と強度を追求するという行為に他ならない
ということ。

さて、それを踏まえてこの展覧会に臨むのであるが
興味深い事実がある。
先ず本展はretrosupectiveではないということ。
つまり作家の意識の変容というやつが
ナカナカに読み取りづらい。
デ・キリコという作家がこのような意味を提示しました
ということで分類されて展示されている。
その点でMetaphysical Journeyは難航することになる。
デ・キリコの意識の変容の過程が読みにくい
ということだね。
オトナの事情もあるし、資料を参照すりゃいいんだけどね。

ぢゃ自分勝手に旅を始めることにしよう。

沈黙の像(アリアドネ)(1913)

主役のアリアドネさんはなんかデッサンが変だね。
頸椎がどうにかしちゃったんかな。
でも主題で登場ということは
作家がいる世界の物語が下敷きになっているんだね。
でも何か表現が粗削りな感じがする。
物語を表現することに何か違和感を覚えてるのかもしれない。
背景はなんだか作家の中で図形として組み込まれてしまった
イタリア広場っぽいものであるね。
こちらの表現は平坦で純度と強度を意図しているみたいだ。

作家はアンリ・ルソーからの影響を語られることがある。
(本人はあまり認めていないみたいだけど。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/眠るジプシー女

確かにルソーの表現は、作家のイタリヤ広場の表現と
類似したものを感じる。
つまり図形としての純度と強度が感じられるということだね。

でもね、ルソーが表現したかったものは
彼自身の中の物語(ファンタジー)でわないかと思うんだね。
まぁ、人それぞれということかな。

予言者(1914-15)

で、これ。
余談になるけどタイトルに掲げた画像は
これを加工したもんぢゃないよ。
うちに転がってたLPのジャケだから。

作家の物語の中の予言者を図形として表現してみた。
純度と強度を追求していくとこんな図形になっちゃった。

興味深い表現がいくつか見られる。
先ずひとつ。
陰の表現がヘン。
まぁ、そんなもんなんだから、といわれればそうなんだけど。
そして
黒板に描かれている図形が妙に現実的。
ついでに腰掛が妙に木質。

それが味だろう、ってことなんだけど
このあたりがどうなっていくんだということだね。

形而上的なミューズたち(1918)

表現の純度というよりも強度を求めて
ミューズそのⅠは穴をあけて色も分けてみました。
なんとなく穴をあけたり三角をくっつけたりしました。
強度は稼げたんぢゃないかな、
ミューズそのⅡはパターンを変えて紐をたらしてみました。
物語性は少し後退しましたね。
窓の外にはなんか雑な風景がのぞいています。
とか、いいながら、
なんか三角っぽい図形がワラワラとわいてきました。
このワラワラが今後に活躍してくれるんだね。

風景の中で水浴する女たちと赤い布(1945)

こーゆー手のひら返しも愉快だね。
ふたつのMetaphysicsをとりあえず棚上げしちゃった。
題材はまぁ伝統的なんだけど
表現が現世的というか、なんだかドラマチック。
生々しさを感じる。
いえばドラクロワみたいなんだけど
足元の果物たちはなんかシャルダンみたいだろ。
ご時世がシュルレアリスムだったから
一石を投じたかったのかな。

17世紀の衣装をまとった公園での自画像(1959)

手のひら返しその2。
アナクロジジイを気取ってみました。
グーテンベルク教団の物語を相手にとって
戯れてみた
、ということ。
自画像ってことがみるものに
作家自身の人生というものも投射する。
イイ性格をしておられますね。
これはまた当時の時代の空気に対する
異議申し立てでもあるんだろうね。

オデュッセウスの帰還(1968)

これは先ず作家自身の物語世界への帰還
ということなんでしょうね。
右には作家にとってクリシェになった
ような風景が窓の外に。
窓の大きさと位置がヘンだけど
毎度のことだね。
で左にはイタリア広場っぽい風景画。
そして半開きのドア。
だから帰還なんだということだね。
でもね、どうにもマグリットっぽいんだよね。
描写の精度とかとかも含めて。

瞑想する人(1971)

この人かなり短足だね。
であいかわらずデ・キリコの部屋。
狭いし窓の位置もヘン。
窓の外はいつもの風景。
室内の光と影もヘン。
まぁ、そんなことは些細なことで
瞑想している内容については
グーテンベルク教団ならではの
深遠な物語にかかわること
なんだろうね。

球体とビスケットのある形而上的室内(1971)

これは過去作のレプリカなんだって。
でもすごく図形のエッジが効きまくっていて
スゲー感じにポップな香りがするね。
しばらく影を潜めてたユークリッド教団的な
図形たちが大活躍してる。
陰は相変わらずヘン。
あとビスケットはおいしそうだね。

孤独のハーモニー(1976)

ユークリッド教団の図形がてんこ盛りだね。
で、室外にはイタリア広場が広がる。
これもまた陰がヘン。
以上2点pop_artとの共振みたいな感じがするなぁ。

てな感じで写真撮影をした作品について
ごタクを並べてみたけど
他にも結構面白い作品があった。
特にタマゴ面の人たちとか
なんだか、キース・ヘリングみたいの表現とか。
擬古典調の作品の数々とか。
写真にとれなかったのは残念至極だけど
おもいっクソ愉しませていただけましたよ。
当初この人のことを
ユークリッド教団の使徒だと思ってたんだけどね。
いや、認識を修正させていただけました。
判りにくかったけど、(感)謝(感)謝であります。

このあとさ、ちょっと早いかなとは思ったんだけど
串カツで熱燗をやっつけたんだよ。
あぁ、3合もやっちまった。
当然ご機嫌だね。

E.N.D.


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