2022年振り返り/東京ヴェルディホッケーチームでの初シーズン
最後にnoteを投稿したのが、2021年の大晦日だったので、一年越しの投稿になります。
2022年は私にとって「実行の年」と思って臨みました。
それは具体的には、
シンガポールから日本に帰国する、
東京ヴェルディホッケーチームに入団する、
ホッケー日本リーグに出場する、
フランスの友人の結婚式に参列する、
仕事で成果を出す、
人生のパートナーを定める、
といったイメージがありました。
叶えたことしか覚えていない、おめでたい頭なのかもしれませんが笑、有難いことに、それぞれ確実に実現もしくは進捗させられた一年でした。
今回はその中で、ヴェルディ入団に至るまで、チームで9ヶ月過ごして思ったこと、そして来年に向けて考えていることを書いていきたいと思います。
ヴェルディ入団に至るまで
ヴェルディホッケーチームの始動を知ったのは、誰か知り合いがSNSで、ヴェルディのクラウドファンディングについて共有していたことがきっかけだったと思います。
それまで東京にはエンジョイのチームは一応有るものの(現在のメトロの前身)、リーグは無いし、社会人になってホッケーを競技として続けられる環境が整っているとは言えない状況でした。女子においては。
そこに、「ヴェルディ」の冠を付けたチームを発足するということで、私は胸が躍りました。
当時(2019年)、私はシンガポールに居たので、「私が帰国するまで絶対に残っていて欲しい」という気持ちも込めて、結構まとまった額をクラファンに注ぎました。笑
今でも、クラファン参加で貰った、今やチームメイトのみんなのサイン入りTシャツは手元にあります。
そして2022年早々、会社から日本帰国の辞令を受けてすぐ、元々知り合いだった監督の真由美さんに連絡して、チームに入りたいと希望を伝えました。
実は受け入れてもらえるかドキドキしていたところもあったのですが、とりあえずは入れそう!ということで、「実行の年」の幸先の良いスタートを喜んだのを覚えています。
大阪シリーズでのデビュー
3月下旬に帰国・隔離期間の後、船便の到着も待たずに練習に参加し始めたものの、4年ぶりの日本で生活を整えるのに少し時間がかかり、
1ヶ月強は思ったようにチームに参加できず、岐阜シリーズ(東海学院・SONY戦)、山梨シリーズ(山梨学院)は見送りでした。
チームとして良い試合もあったので、焦る気持ちはありましたが、正直、生活以前に私のフィジカルも相当整える必要がある状況でした。
シンガポールでは、現地のチームでシンガポールのトップリーグに参加していましたが、コロナ禍で丸2年、試合は一切できない状況で、
少人数でのホッケー練習や、ホッケー以外に趣味レベルのフットサルやソフトボール、バスケなどに参加、パーソナルトレーニングである程度の筋力は保っていたものの、
高い強度、高い競技レベルのホッケーに耐えうるフィジカルではありませんでした。
ただ、ここで無理しても怪我につながる、半年くらいかけて徐々に思うレベルに上げていく必要がある、と自分に言い聞かせて、出来る範囲で練習に参加していました。(その辺は年の功、、と感じます。)
そんな感覚を抱いたまま、5月7-8日の大阪シリーズ、vs南都銀行、vs立命館大学で日本リーグデビューを迎えます。
立命館も南都銀行も、私が学生の頃からすれば超格上の相手です。
(私の簡単なホッケー歴:慶應でホッケーを始め、卒業後に母校のコーチ3年、監督を3年間務め、シンガポール駐在を機に現地クラブチームに選手として参加)
大学でホッケーを始めた自分が、33歳という歳で日本最高峰のリーグの場に立てていること、日本トップレベルのチームと対峙できていること、その相手が対等な相手として自分たちを見ていること、
それが不思議で嬉しくて、でもそれだけじゃいけない、勝たないといけない、自分に何が出来るんだろう、でも失うものは何もない、今出来ることを出し切るしかない、と色んな感情が入り混じった二日間でした。
勝利という結果は得られませんでしたが、東京から大阪まで4-5時間の距離をバスで往復したり(みなが色々話題振ってくれて有り難かった)、キャプテンの燦と相部屋になったり、
チームの一員として少し馴染むことができた有意義な時間でした。
国体選考、アムステルダム、コロナ
5月、6月とようやくコンスタントに練習に参加できるようになり、少し体力も戻ってきたか?という頃。
国体東京チームの選考を兼ねた練習が始まりました。
国体本戦は実は、2013年の東京都開催の時に開催地枠で出場したことがあります。
国体は予選は16人(18人?ちょっと忘れました)、本戦は14人という、選出されるのはかなり狭き門です。
2013年当時の東京は先に述べたように、通年で趣味以上のレベルで活動しているチームがない状況だったので、まだ25歳で元気に学生に混じってホッケーをしていた私は手を挙げれば参加できるような感じでしたが、
ヴェルディというチームができ、代表レベルの選手もいて、メトロの女子チームも盛り上がっていて、現役大学生もいる中、34歳でフィジカルがまだ戻りきってない(スキルレベルもまだまだの)私が選出されるのは難しいだろうなというのが本音で思っていたところでした。
それとは全く別の観点で、7月初旬はヨーロッパに行く予定があり、10日ほど練習から離れてしまうというのもありました。
同時期にホッケーのワールドカップ(女子)がスペインとオランダで行われているということで、用事を終えた後、ユーロスターに乗って、アムステルダムまで1人で観戦に行くことにしていました。
生でワールドカップを観て、特にオランダ代表の試合を観れて、感激し、刺激を受けた旅でしたが、
帰国後すぐに発熱。。
予想通りコロナで、発熱は3-4日程度で収まったものの、その後も倦怠感が続き、本調子と言えるようになったのは7月末頃でした。
国体は選考練習もほぼ出れず、選出外。
戻ってきていた体力もリセット、またイチからスタートという感覚でした。
怒涛の10月、戻ってきた11月
8-9月は、4月からやり直す感覚で練習。
10月は、仕事では残業続き&海外出張、週末は遠征・試合、またイベント参加もあり、怒涛のスケジュールでした。
ジムに行く時間はほぼ作れなかったのですが、筋肉は割とつきやすい体質なので、試合が続く中でフィジカルが少しずつ出来ていくのを感じていました。
そんな10月を乗り越えての11月。
ようやく、体力・筋力面が、最低限の思うレベルに戻ってきつつある、、そんな感覚を得ていました。
始まりの12月
12月は試合もなく、イベント参加もあまりなく、粛々と練習に取り組めた1ヶ月でした。
体力が多少思うレベルにあがってきたので、その分、ボールを持った時のプレーも半年前よりは余裕が持てるようになりました。
12月24日、クリスマスイブはチームとして最後の練習だったのですが、監督からはクリスマスプレゼントと称して、30-15テストが言い渡されました。笑
30-15は、私も6月の国体選考の際に初めてやったのですが、
20m程の区間を3つに分け、30秒走って15秒レストを繰り返し、段々と走らなくてはいけない距離が伸びていき(時速が上がる)、指定のタイミングで指定のエリアに到達できなくなったらお終いというものです。
6月にやった際は、レベルは17.5位だったかと思いますが、今回は19まで記録が伸びて、自分の感覚が可視化されたのが良かったです。
振り返ってみて、アップダウン有りながらも、着実に前に進むことが出来た9ヶ月だったなと思います。
もっと練習の時間を取りたかった、もっと早く成長したかった、と言えばキリはないですが、2年のブランクを埋めるのに必要な時間だったとも感じます。
どうしても20代の時と比べて、リカバリーに時間がかかるので、根性論だけではなく、「休むことも練習のうち」というのを実践する必要がありますが、入団にあたって、自分に約束していた「大きな怪我をしない」ということは達成できました。
自分としては、フィジカル面は、マイナスからゼロになった感覚で、ここからどれくらい上げていけるか?どれくらい自分にチャレンジ出来るのか?本当の意味での始まりだなと思います。
2023年に向けて
選手としては、12月の状態をスタートにして、どんどん上げていきたい、フィジカルだけじゃなくてスキルも「これが出来るようになった」と言えるシーズンにしていきたいと思っています。
一方で、選手だけではなく、クラブの運営にも少しずつ携わって行きたいと考えています。
そもそも私が東京ヴェルディホッケーチームのクラファンに参加したのは、選手として入団したい気持ちがあったのもそうですが、日本に「クラブチーム文化」が根付いて欲しいと言う想いからでした。
日本の女子ホッケーは企業チームが中心です。
選手が整備された環境で、経済的にも安定して競技に取り組めると言うのは、素晴らしいことだと思います。
ただ、それ以外にも裾野が広がることでホッケー人口に厚みが出て、競技力の底上げや、ホッケーファンを増やすことに繋がると思っています。
大学や高校を卒業する際に、ホッケーは好きだけど、企業で働いてみたいという気持ちを持った学生、また、企業チームには入れないけど、ホッケーを競技として続けたい気持ちを持つ人もいます。
そんな層の為に、クラブチームという選択肢があると良いなと思います。
そして、その中にトップレベルの選手も点在して、企業チームと伍するような、そんな文化を醸成していきたいと考えています。
私に何が出来るのか、何をしたら良いのか、まだまだ思案中でしかないですが、とりあえず、「東京ヴェルディホッケーチーム 選手・経営企画」という名刺を作らさせて頂きました。
これをどう使えるかは私次第ですが、非常にわくわくした年末を迎えています。
という訳で、2022年は、実現したいことの素地が整った一年でした。
2023年は、創意工夫をもって、夢に目標に取り組んでいく年にしたいと思います。
2023年もどうぞ宜しくお願いします。