お金をあげるから同情して
昔の私は、人から同情されてたくて仕方がなかった。
家なき子の安達祐実のセリフ「同情するなら金をくれ!」を聞くたびに、違うよ「お金あげるから同情してよ(懇願)」と思っていた。
小説や漫画などで「同情なんてされたくない」というセリフを見かけると「この人たちは同情してもらえるという至上の喜びを得ているから、そんな凄いものをドブに惜しげもなく捨てるようなことが出来るんだ」と嫉妬心まで感じた。
30代の前半ぐらいまではそうやって、人から同情されたくて、されたくてたまらなかった。
私の人生の不幸を曝け出して、一生懸命に同情されたいと願う反面、「それぐらい大したことないでしょ」とか「何を悲劇のヒロイン気取りに」と言われることも、とてつもなく恐れていた。
だから人に簡単には「同情して」とは言えなかった。
家なき子の反対だ、お金をあげるから同情してもらう、そうすれば同情を求めている私は責められたり、非難されることは無いんじゃないかと考えた。
それからは「宝くじで一億円当たったら何に使う?」の夢は、私に同情してくれる人にお金を渡す、になった。
今振り返ると、卑屈の塊みたいなこんな私が「お金をあげるから同情して!」を強く思わなくなったはいつからだったのだろうと思い返してみても、ハッキリしたきっかけは無い。
多分色んな人に出会い、文章を書き、いつの間にか思いが浄化されていたのだろう。
結婚はその中でもかなり大きなものだとは思う。だけど夫は特に何か言う人ではない。
20年前の私に言いたい、「大丈夫、あなたは幸せになっているから」と。
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