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ジンジャーブレッドラテと父の思い出。最初で最後の受け取れたプレゼント。
スタバにジンジャーブレッドラテが出てくると
「あぁ、クリスマスだなぁ」と思う前に
私は父のことを思い出します。
父が最後に私に買ってくれたもの
それがジンジャーブレッドラテだったから。
父は気前のいい人で
よく「買ってやるぞ」って
言ってくれてたんだけど
私はいろいろこじらせてしまっていて
欲しいものも思い浮かばないし
あったとしても「買って」とは言えなかったの。
それに、お金だけポンと渡されて
「買ってこい」って言われるのが嫌でね。
気持ちがこもってないようで。
一緒に買いに行ったり
買ってきたよって渡されたかったの。
なんというか…
私はお金や物より、父の「思い」が欲しかったし
そうやって父自身が手間をかけることが
「思い」だと思っていて。
「私が欲しいのはお金じゃない」
ずっとそう思っていました。
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地域にドイツの方が多く住んでいるので
ヨーロッパの雰囲気溢れる本格的なマーケットです
こどもが生まれて
初めてのクリスマスが近付いた11月
父が「一緒に買い物に行こう」と言ってきました。
こどもへのプレゼントを買いたい、と。
いつものお金を渡して
「これで買ってこい」じゃなくて
一緒に行きたいって。
でも何を選んでいいか分からないから
一緒に選んで欲しいって。
その頃の父は足腰が弱ってしまっていて
母が付き添いで歩くのを支えながら
一緒に絵本とお洋服を選んで買ってもらいました。
初めての、クリスマスプレゼントを。
母も、私も、びっくりしていました。
元気な時だったらまだしも
こんなに体力がなくなってフラフラなのに
初孫のためだったらこんなにするんだねぇって
笑って話していました。
買い物を済ませたらもう父はフラフラで
どこかに座ろうと
近くにあったスタバに入りました。
父とスタバなんて、初めて。
その時に父が言ったの。
「何飲みたい?好きなの買ってやるぞ」って。
それで、ジンジャーブレッドラテを
買ってもらったんです。
それが、父との最期のお出かけになりました。
父はあちこち不具合はあったけど
大きな病気があった訳でもなく
入院もせず、ある日突然亡くなりました。
ジンジャーブレッドラテは
父の最期のプレゼントに思えてならなくて。
正確には孫のためだったかもしれないけど
その時の私は素直に「これがいいな」って
父に買ってもらって受け取れたの。
そんなの、最初で、最後だった気もします。
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(甘くなくてスパイスが効いてるの)
デンマークを思い出すなぁ
父への気持ちのわだかまりは
解ける前に父はいなくなってしまって。
あまりに急なことに涙も出なくて
亡くなってからも淡々と
父への気持ちと向き合ってきました。
スタバにジンジャーブレッドラテが出ると
ひとりでスタバに入り
父のことを思いながら飲むということを
毎年繰り返してきました。
亡くなって、5年。
5年経ってやっと、わだかまりはなくなって
素直にさみしいな、会いたいなって
涙が出るようになりました。
今年は少し、遅くなっちゃったけど
やっとスタバに来れました。
今日は少しの間
父と、ジンジャーブレッドラテと共に。
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どんなに離れていても、亡くなってしまっても
和解の時は迎えることができると
経験から言い切れます。
そう望みさえすれば。