境界線を馴染ませる
新しい曲をリリースしました。
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作った時期の記憶が定かではなかったのでデモを遡ってみると、最初のデモが2023年の2月の後半。Phoebe Bridgersの来日公演を観に行った一週間以内にメンバーに送っていた。影響が色濃く残りすぎている。その後に出たboygeniusのアルバムをたくさん聴いた2023年だった。まさにそれらを参考にサウンドメイクをお願いした。
レコーディングはEASTOKLABの日置。ミックスマスタリングはKensei Ogataさん。僕たちは宅録とスタジオレコーディングの間をとるような、他のバンドではやらない方法で制作しているので不便もかけているのですが、微妙なニュアンスを掬い上げてくれて毎度想像以上の音作りをしてくださる。「素材を録る」/「素材を編集」と、ご両人の役割からすれば我々の作業は楽しいものではないのかもなあ、、と考えてしまう時があるので毎度感謝している。ありがとうございます…。
レコーディング時には椅子に座ったまま歌を録った。ニュアンス次第で歌詞の印象が変わること、宅録感を残したかったこと(家でも立って歌う人もいると思いますが)、要はステージではなく生活の空気感を残したかった。
ドラムのパートはメンバーの小松にお願いした。Phoebeのライブも彼と行っていたので共通の認識があった。間奏の部分なんかは自分ではいくら捻っても出てこないようなフレーズになっている。最初聴いた時は歪な感じがしていたけど、その歪さに沿うようにレコードのノイズや逆再生など時間を感じる素材を貼っていったところ不思議なことに暖かみが出た。ドラマーっぽくないフレーズのように思っているがどうなのでしょうか。
アートワークはCGのグラスとコースティクスを書き出したあと、少し油絵で描いたように編集している。疑似的な光と疑似的な手描き。それらが疑似的であることもバレる。
歌詞を書いていた頃の記憶が薄くなっていて、その薄さが消耗を物語っているのだけど、基本ゆったり生きている人生で後にも先にも「自分と他者」に向き合わざるを得ない時期だったのは確かだった。いや「自分と理想の自分」か。その乖離に気が付けたとも言える。
自分は重大な挫折も恥ずかしい失敗もする。それを認められるまでに多くの時間が掛かった。
「誰も介在させない自分」とは他者を排除していく自己受容のプロセスではない。
タイトルにした「ライトラップ」は対象の境界線に背景の光を纏わせることで合成を馴染ませる映像手法を指している。
あれこれと書いては消してを繰り返していると、リリースから一週間経ってしまった。歌詞について書いてみても、自分から意味を言うのは無粋だよなとか、そもそも誰が見てますのん?の攻防があって、負けた。負けたかどうかも知らん。(試しにGPTにキーワードと歌詞を投げて読み解いてもらったら良い線行って驚いた)
しかし、誰にも知られていないのであれば、知ってくれている人にはより丁寧に届けるべきではないか?Xはもう体力的にキツイので文通ぐらいの気持ちでいきたい。
個人的には聴いてくれている人も含めて関わる人を増やしたいのだと思う。これは表現欲ではなく親和欲求であると最近読んだ本に書いてあった。別になんでも良いと思っている。
相互理解が不可能であることを知りながら生きる現代の人と人、社会と自分の隙間、境界を馴染ませることができたらいい。
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