垣生公園
鬱蒼と茂る森. 人を飲み込みそうなぼっかりとあいた洞穴(古墳)
幼い私はあまり気味の良いところではなかったが
鬼ごっこには充分、かくれんぼにはもってこい
小学生の集合場所は必ずここだった。
かくれんぼで鬼になった日には、おいてけぼりにされたような不安に心の中では大泣きしていた。
中学生になると終業式を終えた春休み入りの集合場所もこの公園。
進級前の所属のない立場が自然と群れたくなるのであろう。
男の子は木に登ったり、はしゃいだり。女の子たちはおしゃべりしたり。
余談だが、ふと思う?
私の育った高度成長期は社会主義の時代だった。ルール厳守、連隊責任、集団主義。
子供達は群れの中でそれぞれ個性を認め、数学の得意な子、科学の得意な子、
運動の得意な子がごちゃ混ぜにされ、集団構成が成り立っていた。
決められたことに疑うこともなく、義務教育とはそんなものだとすんなり受け入れながら未熟な不安を払拭していた。
人も時代も変化をしている、取り巻く環境の中で心のバランスをとりながら生きているのは大人も子供も同じだ。
母が亡くなり父一人になった実家に帰ってくることが多くなった。
公園は綺麗に整備され、崖だった森の奥に道ができ
埴生神社(Habu jinjya)を中心に一回りできる散歩コースができていた。
C11蒸気機関車。煙を吐きながら力強く進む姿は高度成長のシンボル。
先頭に蒸気機関車、後続にディゼルカーが連結されたハイブリット機関車みたいな乗り物で高校生の私は通学していた。
冬場の客席は蒸気の床暖房、夏場は乗り降りのドアも窓も全開にして風を浴びる。
小さな悩みなんかを吹き飛ばしてくれる風が、いつも私の周りに吹いていた。
今日より明日がいい日であることを信じて、この時代の人々は生きていた。