ひろゆきの騒動で思うことー基礎の基礎的な話ー

某ひろゆきが沖縄の「座り込み」に対する取材で大きな波紋が広がっている。
擁護側は「事実だ」と言い、批判側は「沖縄の歴史を理解していなく、踏み躙っている」と言う。私は後者側であるが、今回はもっと根本的な問題があるように感じる。

それは取材する側、フィールドワークを行う側の「精神」である。私もフィールドワークの経験があるがそれはもう気を張って行ったものである。

まずは、調べてわかることは自分で調べるのが当たり前。それから現地に赴く際には対象の人物、団体に「いつ、何を目的にしてどんなことを調べたいのか」ということを丁寧に説明して了解をもらう。実際に話を聞かせてもらうときには、手土産を持参して常に相手の反応を伺い、少しでも不快な漢字がみてとられたら関係性が出来上がらないうちは深掘りしない。または質問の角度を変える。

これが大学生でもわかる基本である。これは宮本常一の『調査されるという迷惑』を読むとわかりやすいだろう。

某ひろゆきと取材グループは一切そのようなことを行った形跡がない。いきなり訪れて、現地で活動している「市民」に対して一方的捲し立てて勝手に写真を撮り得意げに帰っていく。

これは某ひろゆきが「正論か」どうかの以前の問題である。取り急ぎこれが私の今回の一番の不快ポイントである。

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