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<ファンタジーの世界>
"ファンタジーの世界”
それは
こどもたちが
見えない“何か”を
感じる時間
目に見えない"何か"
ちょっと不思議で
ちょっと魅力的で
ちょっと愉快で
ちょっと恐ろしいものの存在
ドキドキしたり
ハラハラしたり
こどもたちは今
ファンタジーの世界と
リアル(現実)の世界との【間】に
生きているのかもしれません
わたしたち大人にとっては
たいしたことのない
もの(こと)であっても
笑っ
<あめふりのたからもの>
あめふりだからこそ、気づくこと
あめふりだからこそ、見えるもの
あめふりだからこそ、大切にしたいこと
大人にとっては、少し憂鬱な雨も
こどもたちにとっては少し違うようです
大好きな長靴を履けることが
嬉しくてたまらない子
大きな水たまりを見つけては
チョンと足の先をつけている子
雨が降るとお母さんに
抱っこしてもらって帰れることを知っている子
…そんなこどもたちの嬉しそうな顔を見ると
<“自然”が先生 体験こそ学び>
広大な自然がなくても
学びとなる体験はいくらでもある
「園庭がないから」
「駅前だから」
「知識がないから」
と言い訳するのはあとにして
まずはできることから
そこにあるものから
始めてみませんか?
こどもたちが
自然の中で経験することを
見守りながら
「フシギだな」
「おもしろいな」
と感じるこどもたち
一人ひとりの気持ちに
丁寧に共感することを
大切に取り組んでいます
園庭のない
<自然あそびを考える>
自然あそびの持つ魅力のひとつ
【こどもたちが身近な自然の中で
様々な出会いを通して
自ら育っていくこと】
そう考えたとき
自園では、地域の材(財)をまだまだ活かしきれていない
テラスも、もっと有効的に使えるはず
園庭はないけど
駅前だけど
0〜2歳だけど
ここにだって【自然あそび】はある
むしろ、このちいさなひとたちこそ
【自然あそび】が必要なんじゃないかという想いは
園長になると決
<いつでもそこにあること>
“自然”や“アート”は
【特別な何か】
ではなくて
当たり前の日常の中
いつでも身近にあることに意味があると思っています
いつでも
どこにでもあって
感じることも
触れることも
自由にできる
当たり前にあるからこそ、安心して関われる
いつでもそこにあるから、ちょっとした変化にも気づく
“保育者”としての立ち位置も
こどもたちにとって、そんなふうでありたい
きっと
今までも当たり前に“そこ
<見て触れて関わって>
【ネイチャーボトル】のご紹介
散歩先やテラスでこどもたちが拾ってきた
木の実
鳥の羽根
種
などなど…
どれもこどもたちにとっては魅力的な“たからもの”
でも、以前は職員から
・誤飲の心配
・衛生面
から、“危険”と認識されることが多かったんです
でも!
こどもたちの発見を一緒に喜んだり、継続して楽しんだりするためにどうしたらいいのか…
と考えました
0〜2歳児のこどもたちが、“自分で拾
<自然の中では全てがアート>
こどもたちと暮らしていく中で
“最大のヒント”だなぁと思うことがあります
【アート】ってなんだろう?
※ここで言う【アート】は、一般的なアート (いわゆる芸術や美術)とは
持つ意味合いが違いますが…
ここでは
<アート=それを見る人・触れる人に対して
なんらかの“影響”を与えるもの>
と考えてみてほしいと思います
そう考えると、自然の中で触れ合う全てのものが
【アート】だと思いませんか?
<こどもの【気持ち】を決めつけない>
こどもは自分の感じている【気持ち】の
「名前」をまだ知りません
そばにいる大人が、その気持ちを先取りして、決めつけて
“この気持ちは◯◯だ”
と「名前」をつけることは、こどもが自分の【気持ち】と向き合うチャンスを
奪うことになるのかもしれません
(これはなんだろう?)
(なんだか、気になるな…)
(もういっかい、さわってみようかな)
こどもは、まだ「名前」のないその【気持ち】を確かめる
<結果や成果は大人からは求めない>
大人のわたしたち、こどもの行為(あそび) に
<結果・成果>を求めていませんか
大切なものは、どちらかと言えば“過程” であり
もっと言えば“こどもの中”にしかありません
この子は、やり切ったんだろうか
この子は、満足しているんだろうか
この子は、悔しがっているのだろうか
この子は、楽しんでいるのだろうか
こども一人ひとりの中に“気持ち”があって
それは、周りの大人はその表情や
<手段や方法は1つだけではない>
何かをしようと思う時、その<手段・方法>は1つではありません
どんなやり方でも、やりやすさも、その子が選ぶ
効率が良いとか悪いとか
無駄がないとか多いとか…
※もちろん、“生命に危険が及ぶ可能性”があるものについては
ストップをかけたり、一緒に考えたほうがいいこともあるとは思います
でも、“こうあるべき・ねばならない”
そんな固定概念を取り払って
その子なりのやり方を認めてみませんか