vol.4 忍耐しがたい事情と対応策〜やさしさを育むために必要な「4つのちから」~
本題に入る前に、執筆の意図や方向性、コンセプト記事をご覧くださいますと、より内容をお楽しみいただけるかと思います。
※以前に当記事の内容をご覧くださった方々へ
こちらのシリーズは、以前にアップしていた「やさしさを育むために必要な 4つのちから」とほぼ同じ内容ですが、読みやすさを考慮して分割したものになります。最終的にまとめ編として、以前の記事をそのまま再投稿する予定です。
前回までのまとめ
第1回 人の心を助けるやさしさとは?
第2回 自分にやさしくすると、他者にやさしくなれないのはなぜ?
第3回 矛盾だらけな気持ちに翻弄される私たち
やさしさと一言でいっても様々な考え方がありますが、私は「時に自分よりも他者を優先する思いやり」として「建設的で意図的な、美しい自己犠牲」がやさしさの本質であると捉えています。
やさしさを大きく育むにあたり、ステップを踏むことが大切であると考えていますが、第一段階として「ぐっとこらえる忍耐力」が欠かせないと思っています。なぜなら、これがないと各々が思い思いに好き放題言ったりやったりして、自他共を傷つけてしまうことになりかねないからです。
しかしこれは精神論とか綺麗ごととか言えるものであって、実際は様々な理由から「忍耐しがたい事情」が潜んでいることを念頭に置かねばなりません。だからこそ、方法論としての具体的な解決策を見つけていく必要があると思っています。
結果に至るまでの過程で「なにをして、なにをしなかったか」
綺麗ごとを綺麗ごとで終わらせないために。
しんどい努力をしんどいもので終わらせないために。
「忍耐しがたい事情」にも様々なものがあると考えられますが、そのうちのひとつとして「結果が見えてこない気がする」という、途方もない疲労感があげられるのではないでしょうか。
「こんなにがんばったのに、なんにもならなかった…」
これでは辛いですよね。だったら、好き勝手したほうがいいよねと「気持ちのうえで」思ってしまっても無理はありません。でも、実際にそれをすると…というお話に戻ってしまいます。この堂々巡りを、一体どのように扱えばいいのでしょうか。
ひとまず、このように捉えてみるのはどうでしょう。
結果的にやさしくなれなかったとしても、「自分や他者にやさしくなれた瞬間」という大切な過程を、できるだけたくさんつくることのほうが価値があるように感じます。そのためにも、ひとまずは「ぐっとこらえること」が欠かせないと思うのです。
「なるほど…忍耐力、必要かもしれない」
お腹から得られた納得感が行動への動機につながるため、頭ごなしに綺麗ごとを並べたり、説得することは本意ではありません。また、「やさしさ」についても様々な見解があると思っていますので、無理に納得させようとも思いません。
しかし、他者の考えにふれることで新たな視点が加わったり、混ぜ合わせることでクリエイティブになれると考えています。そのためには、いったん腑に落ちる感覚を得ることが大切ではないでしょうか。
現時点でしっくりこないと感じるかたも、もしかしたら次のお話に「納得感につながる発見」が含まれているかもしれません。ここでは、先に忍耐力を身に着けることを勧めましたが、実際のところ、先に想像力を広げて必要な空間を後から備えることも可能だと思っています。
そのため、納得できそうなかたも納得できる気がしないかたも、執筆の意図である「やさしさが人を助ける」ことの意味を理解いただけるのならば、続きを読んでくださると嬉しいです。
「無理やりガマン」と「理解からくる譲歩」のちがい
さて、ここからは4つのちからをベースに、さらに「やさしさ」について深掘りしていきたいと思います。
結論からお話しすると、先ほどから話題にあがっている「納得できるかどうか」が、ここでの大きなテーマとなります。つまり、これが「無理やりガマン」と「理解からくる譲歩」の違いについてのアンサーにあたります。
答えとなるものを提示された時、頭では理解できても心が追いつかないことがあるというお話がありましたね。このように、頭ごなしにあれこれ言われても納得がいかないことは当然ありますし、あれこれ思考を巡らせたとしても結局、納得いかないことはあるように思います。
だから、ひとまずは今回の内容に関わらず、「結果的に腑に落ちた」という感覚を得るまでの過程を見ていこうと思います。
誰しも、親しみのないものと出くわした時に「納得できない!」といった違和感を感じたり、拒否反応を示すことはあります。自分の世界に存在していないものが現れると、驚くのも無理はありません。それを「ぐっとこらえること」で、ひとまずはトラブルの火種をまかないように配慮しようということでしたね。
「では、こらえたあと、どうするか?」が、ここでのお話のポイントになります。
たとえぐっとこらえることができたとしても、当然、ガマンして自然な感覚に逆らい続けるのはしんどい努力になってしまいますよね。できればしんどい想いをしたくないというのも、おそらく、多くの人が感じる正直な気持ちではないでしょうか。
しかし現実を見ると、あらゆる性質や思想、考えをもった多くの人が同じ地球上で生活しているため、他者に違和感を感じない人のほうが稀なはずです。イヤな人や合わない人と無縁の生活を送るのは至難の業ですから、しんどい努力をせねばならないことは綺麗ごと抜きにしてあると思います。
だから、前提を「ガマンは時に必要なものである」としておきます。この状態が「無理やりガマン」ということで、この先の内容をご理解ください。
では、もうひとつの「理解からくる譲歩」とは、一体何なのでしょうか?
まさにこれが、二つ目のステップである「想像力」に絡んでくるのです。
詳細をお話しする前に、理解とは「なるほど…と思える納得感につながるもの」という解釈をしておきます。また、「理解」と「納得」のちがいについては、次のように捉えています。
まさにこれが、腑に落ちる感覚に近づくための現実的な方法と言えるでしょう。
腑に落ちる感覚が忍耐のモチベーションになる
今回は、「どうして忍耐が辛いのか?」に焦点を当てて、考えを巡らせてみました。何事も、頭ごなしに情報を仕入れても拒否反応を示すことはあるように思います。だからこそ、自然なかたちで無理なく納得感を得ることが大切ではないでしょうか。
とは言え、まだまだ「しんどいのはイヤだよ」と思うのも無理はないお話が続いているように思います。忍耐力や想像力を育んだ結果の、具体的な恩恵について触れていないからです。
結果を焦らず、過程に目を向けて、一口ずつよく噛んで食べるほうが、きっと消化にいいはずです。次回は、ちょっとばかり、ぐっとこらえて、あれこれ想像したくなるようなお話ができるといいな、と思っています。