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今さら唱歌♪されど唱歌♪ フラットな気持ちで

音楽をこよなく愛する我が母は、ただいま認知症の最中にいます。
瞬間的に記憶が消えていくのに、歌うことは不思議と忘れません。
母のことは以前に書いています。

ある日、母に会うために実家へ行くと、
母は歌いながら、廊下を行ったり来たりしていました。

♪ なつ ~ は、き~ ぬ ~
どこかで聞いたことがあるような、無いような…
聞いていると、懐かしくて優しい気持ちになれる素敵な曲。
何の歌か調べてみると、唱歌の「夏は来ぬ」という曲でした。


数日後、たまたまBOOKOFFへ行ったら、
偶然にも「唱歌ベスト」というCDが目に留まりました。
「夏は来ぬ」も収録されていたので、迷うことなく購入しました。

早速、帰りがけの道中、車の中でCDを聞いてみると、
知ってる曲と知らない曲がありましたが、
思いの外、全曲がとても心地よかったのです。

少年少女合唱団の清らかに澄んだ声と、
私の低音ボイスのハーモニーは不協和音でしたが、
自然と歌っていました。


「唱歌って正直ちょっと退屈」という、
子供の頃のイメージを引きずっていましたが、
それは払拭されることとなります。


唱歌の何が良いか!」って、
それは、曲の世界、想像が広がっていくことです。
そして、作者の心情などが一切入っていないことです。
それから、言葉がやわらかくて美しいことです。

「日本の原風景」とも言えるイメージが脳裏に浮かびます。

里山の彩りから、風、音、時間、時代、季節、行事など、
視・聴・嗅・味・触の「五感」が刺激されるような感覚を味わえます。
色鮮やかな美しい絵画を、次々と観賞しているようで新鮮でした。

そこに、作者の心情(喜怒哀楽)が入っていないことで、
ただただフラットな気持ちでいられることに気が付きました。
ニュートラルな状態で、
なんだかご機嫌なん
です。

言葉の響きも柔らかく、耳に心地よさが残ります。
ただし文語体なので、意味が分からないことが多いですが。

「夏は来ぬ」
卯の花の 匂う垣根に 
ホトトギス 早も来鳴きて 
忍び音もらす 
夏は来ぬ

「夏は来ぬ」の「ぬ」は、「できぬ、やらぬ」など
否定の「ぬ」かと思いませんか?
でも、完了形の「ぬ」だそうで「夏が来た」という意味なんですね。

歌詞の意味は、
ウツギの花が香る垣根に、もうホトトギスが飛んできて
初鳴きしている。夏が来たな。」
という意味だそうです。

現代では理解するのが難しいですが、
そんな難解な言葉も調べてみると、
一つ一つの音の響きが美しく感じられます。


もちろん普段は、唱歌以外の曲を聞いています。
例えばやる気が出ない時は、この曲!
嬉しい時は、この曲!
泣きたいときは、この曲!
など、その時の気持ちに合う好きな曲を選んで
心のバロメーターを調整しています。
曲調や歌詞に共感・同調していると、元気が沸いてきますよね。


ただ、唱歌の素晴らしさ、にも気づいてしまったんです!
フラットな心でいられる軽快な心地よさ。

人に寄り添い共感することも大切だけど、
たまには、それらの感情を排除することも大切なのだと。

原風景は人によってそれぞれでしょうし、
その原風景が心地よいものかどうかも、人それぞれだと思います。

私の場合は、田舎に生まれ育ったこともあり、
懐かしさが伴い、ガチっとハマったのです。
しかし、私が思う原風景は、ヘッダーの写真のような景色なのです。
生まれ育った景色ではなく、不思議なことに心象風景でした。

前世で見たのか?コテコテの日本人だーなんて思いましたが、
とにかく、私は日本の四季折々の景色が、
大好きなことを再確認
しました。


唱歌と言えば、子供の頃、
祖母と一緒に「朧月夜」を歌った記憶があります。
菜の花畑を前にして。
春の柔らかな日差しに包まれて歌った
まるで原風景に入り込んだような
遠い昔が思い出されます。

何気ない一時ほど、大切な時間だったのだと実感しています。

そして、私が日常に追われ、この唱歌の良さを忘れたころ
きっといつか再び、
母と歌う、この「夏は来ぬ」を思い出すのでしょう。



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