楽しくタンブン(徳積み)♪微笑みの国で学ぶ
「微笑みの国」タイでは、タンブンと呼ばれる「功徳を積むこと」が日常となっています。タンブンの「タン」は「行なう」・「ブン」は「善」という意味です。
現在、私は仕事でタイ文化を調べています。タイの総人口のうち、95%近くが仏教徒だそうです。仏教大国であり「黄色い袈裟の国」と呼ばれるのも納得します。
「善いことをすれば善果、悪いことをすれば悪果がある」と教えられている仏教徒は、善いことをすれば「楽」の多い世界へ生まれ変わる、つまり、「徳を積み来生をより良く」と常々考えているそうです。
タイの人々は足繫く寺院に通い、人目もはばからず、ひざまずいて熱心に祈りを捧げています。日本人の想像以上に、仏教・仏像・僧侶に対して敬虔です。仏教の修行を積んでいる僧侶は、国民から深く尊敬されています。
国民は僧侶へ食糧・金品を寄付したり、寺院へ寄付したりするタンブンが日常となっています。また、生き物の開放もタンブンの1つとなっているそうです。特に魚・鳥を自然に返すことが、慈悲の表れとなります。
魚であれば川への放流、鳥であれば市場で購入した鳥を空に放つのだとか。ある寺院の池では、バケツに入っている魚を購入し、その池に流すことでタンブンとなるそうです。その池の魚は、何度もすくい上げられ、再び流されるようですが。少し形式的で面白いですが、人は鳥や魚のおかげで、命を繋げているのですから、感謝しないといけないと改めて気づかされます。
徳には「陰徳・陽徳」があるそうです。「陰徳」は人目につかぬようにこっそり良いことを。「陽徳」は人々の目に触れる良い行いをします。これらの「徳」をポイントで表すなら、「陰徳」の方がポイントが高いそうです。
そんなタイの人々ですから、微笑みのひとつやふたつ、至極当然なのでしょう。けれど日本では、知らない人にも自然な笑顔で触れ合うなんて、現代ではなかなか難しいこともありますよね。
アメリカの作家・教師であったデール・カーネギーさん、良い言葉を残してくれました。スマイルは永遠に「0円」ながら、尊いものですね。
先日、私は突然、小学校4年生の時の校長先生とのエピソードを思い出しました。当時の私は、周囲から「かわいそうな子」として見られていました。なぜなら、私の父は浮気をして家を出て行ってしまったからです。(数年後には、父は帰ってきたのですが…)
ある日曜日、友人と小学校のウサギ小屋にエサをあげに行っていました。当番でもないのに、学校周辺の草を取ってきて与えていたのです。すると、学校裏に住むおばさんも、自宅からウサギのためにエサを持ってきたのです。
「あら、何年生?」と、おばさんは言いました。
「4年です」と言うと、
「そうなんだね、偉いね!」
そして、続けて
「4年生…そう言えば○○さん(私)のお父さんいなくなっちゃったんでしょ、かわいそうだね…」と言ったのです。
私と友人は、黙ってうつむいたままでした。
その後の私の記憶はありません。
おばさんは、私がその○○さんだと知らずに言ったのです。
ウサギ小屋は、石渡の廊下を中庭に入った所にありました。
別の日には用務員さんに、やはりウサギ小屋の方に手招きされ行くと、「お父さん、どうしたの?」と聞かれたこともありました。狭い田舎では噂はあっと言う間に広がります。人の口に戸は立てられません。
そんなことが立て続けに起こったある日の休み時間、
私は一人で、またウサギ小屋の前に立ち、ボーっと眺めていました。
すると、誰かの指が私の頬っぺを突きました。
ビックリして横を向くと、校長先生が優しい笑顔で立っていました。
そして、校長先生は何も言わず、私と同じくウサギを眺めていました。
チャイムが鳴ると、「さ、始まるね!」と
また優しい笑顔を浮かべてくれました。
何故この校長先生の笑顔を、突然思い出したのか分かりません。
ずっと忘れていたことです。過去に思い出したことも一度もありません。
同時にあの頃の傷ついた心も一緒にフラッシュバックしてきました。
全てもう自分の中で、過去をクリアできたと思っていたのに。
一瞬、悲しみに溺れそうになりました。
けれど、気が付きました。
あの頃の私は、たくさん傷ついたけれど、
守ってくれた人がたくさんいたことを思い出したのです。
担任の先生だけでなく、こうして校長先生や、
他の先生たちも、優しい笑顔を向けてくれていたことを。
「かわいそうな子」であったがために、特別に贔屓されていたかもと思うほどです。
そして、この頃から私には楽しい友達も増えた時期でもありました。
そう、私はたしかに守られていたのです。感謝しかありません。
今思えば、当時の私には、笑顔を浮かべて、そっと寄り添ってくれることほど有難いことはありませんでした。何も聞かずに、そっとしておいて欲しかったのです。校長先生の優しさ・人柄が、子供ながらに伝わっていました。
校長先生の笑顔は、私の悲しみを拭い去ってくれました。
当時も今も。
校長先生の笑顔を、タンブン・徳のポイントで表すと、
ゴミ拾いを1ポイントとしたら…
もう1万ポイント以上です。
「微笑みの国」タイを調べていたから、校長先生を思い出したのかもしれませんね。
私も当時の校長先生と同じ年齢に差し掛かりました。
私は誰かにそっと寄り添ってあげられているだろうか。
笑顔で接しているだろうか。
改めて考え直す良いきっかけとなりました。
以前の私は、「徳積み」と考えて行動するのはおこがましい、自分の事しか考えていない、計算高い人のようで敬遠していました。
けれど、タイの人々のように、笑顔でタンブン!
楽しく徳積みしていこうと思います。
いつしか意識せずスマートに、タンブンできるようになることを信じて!
信じます!笑顔から全てが始まるんです!