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懺悔

あまりにもうつ病の症状がひどく実家で療養することにした。オーバードース、自傷、やってはいけないとわかっている。
だけど約5年の闘病で精神はすり切れて、疲れてしまった。すれすれのとこで生きてる。

過去の懺悔をする。
私の父は借金の保証人になって、車で失踪したことがある。根が弱い父はすぐ泣きながら電話をかけてきて帰ってきた。家を売って返済する手続きを祖父が知り合いの弁護士さんに頼んだ。

あの時、父からかかってきた電話に

「私の父親はあんたしかおれへん」

と言った。とても芝居がかっいて、頭は冷静だった。だって私はこう考えていた。

幼い頃に両親が離婚している私、ここで父親が自殺したらなんて劇的な人生だろう、作家にぴったりの人生だ。注目される!

最低だ。父は私の子供時代にほとんど関わっていない。祖父がいつもそばにいてくれた。
父は内縁の妻とその子供と同居していた。
だからって。父が車で帰ってきてうなだれた姿を見たとき、情けなくてガッカリしてしまうなんて、娘てして非道じゃないか。

今日、自室でこの経緯を書いた私小説めいたものを見つけた。

「小説を書いている間だけ何もかも忘れられる」

そう書いてあった。私は小説を書くことに没入しこの身を捧げてもいいと思っていた、文学界の寵児となり愛されたかった。

今や死にかけの私である。
35年間生きてきて言える。
一つ残酷な現実に置かれた人間の人生はその後も残酷であると、信じたくない悲劇だ。

わたしの母は、わたしのへその緒を置いていった。そして母と私が写っている写真は一枚もない。愛されていたのかな?
わざと自分を知って欲しくて臍の緒を置いていったの?
それとも嫌だったから?

答えはいいや。知りたくない。
今はなんとか瀬戸際で、残酷で奇妙で容赦なく身を撃つ鬱病に耐えている。

#日記 #悲しい過去 #文学 #鬱病日記

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