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大人になれてる??!

大人になれていないから、、、

厄介な高齢社会が生まれてるんじゃないの?!

大人になれていたら

高齢化(100歳時代)、ながーく人生楽しめる時代ですよって話よね?!

今日50歳になった この日に考えてみた人生!!!(テーマがヤバ=(^.^)

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大人になり、、社会的自立と自己自立
そして
天へと委ねていく

私、、、

幼少期に思い返せることは、特に苦労を強いられたり辛い経験を負った記憶はない。   ただ周りの輪から外れがちなことにうしろめたさを常に感じていたので、じみめに上手に世を渡れるように歩んでいた。母や親戚の目がひとつ上の姉に向いていたので私はその姉の影にいることで安全地帯を得ていた。不自由はなく育っていたが、自分を表現できない、恥ずかしい思いをしないように立居振舞いし続けていたので、腹の底から楽しいを経験をしていなかったのかもしれない。 私はそんな衣を装い、「手に職をつけるといいよ」と母から言われていたこともあり看護師を目指した。入試の段になって作業療法士の学校への入学の道が決まったことで武器を手に入れた。が、自分の弱さを突きつけられることになる。そこからの経験はひたすら日々をこなす学びだった。(それでも、暖かさで支えてくれる環境がいつも与えられていた ので、なんとかやれていた)  そして、結婚退職をして子育てがはじまった。周りに歩調をあわさず、子供のことだけ感じ考えて子育てができる〜っとワクワクした。 一般的な子育ての苦労はもちろんあったが自分がこうしてみようと思う子育てを存分にした!(子供にとって最善であったかは?? その時の私の精一杯なので、、どうこうはどうしようもないですよね^ ^)  ただここでもやっぱり笑えるのは、世間に叩かれないように常に自分の守護線は張っていたなと思う。子供からは私が創造できないことを見せつけられ、凹んだことも激突したことも、、もちろん沢山の喜びも、、あった中、「オカンは俺のことなんもわかってくれへん」と激反発を受けた。全力で反発され「あー私、母と同じ、、自分の思う正しい世界の輪に入れようとしてる」と愕然とした。子供4人それぞれが個性を見せる時にはイライラと合わさった大きな戸惑いが起こる。この時こそ、私が知り得なければならない学びがあるんだなと思えるようになった。  知らず知らずに持っている縛りや思い込みに気づく機会を得、私自身の本質(魂)が燻っていることを今やっと 知った。とここまで書いておいてですが、私めっちゃこだわりが強くて表面では周りに巻かれながらも自分の思いは曲げないのです!  曲げずに思い続けてきた私の映像があります。ぼやけてはいるんだけど、穏やかな賑やかな自由空間!!!   そこへ向けて、今ここから自分を育てていこう!!!!!!   私にとっては今が成熟への入口、、、自己自立した大人に向けて!です。

父、

自己自立を超えて今武器も下ろし、、母を観る立場となる。私には「悪いな 頼むわ」が言える。けれども、母のこと全てにイライラ怒鳴りつけてしまう。母の重さから鬱症状になるほど気持ちが闇になる。  自己自立から先を今歩んでいるが、社会的大人が強固が故に秩序や論理的にみることから抜けられず、母への理解は難しく感情が突きさかれてしまう日々。

母、

都会・エリートに価値を置き、世間に恥じないよう生きてきたのかなー?!  どこかで田舎者のコンプレックスを持ち続け、自分の価値を保つため子育ては正統派、たくさんの活動参加を巡り巡りしてきた。衣も武器も品数増やしはしたけど、自分の身にしっかりおさまる前に手放す。今もなお、、「何もない」と満たされない思いを追いかけ続けている。自分に目を向けることはなく、「何か」と外付けすることにしか思いはよせれない。社会的大人をぐるぐる回りながら崩れだしている。

父や母を否定 避難しているのではありません!(避難していた時期もありましたが) 時代背景がなせるものの影響があり、そこを生きて私たちを育ててきてくれたことに思いを寄せてみましたということです。そしてこの先の時代をどう向き合っていけばいいのかを考えてみたいと思っています^_^

楽しく生きていくために💚





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