自己紹介Vol.8~運命を変えた出会い~
最初から読んでみようかな、と思われましたらこちら↑からどうぞ♪
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いつのまにか45歳。人生も折り返し地点を過ぎているというのにいまだに今後の生き方が定まらなくて、ひとまずの猶予期間として1年間職業訓練校に通うことにしたわたし。それまでとは分野の異なる専門技術を学びながら、これからの身の振り方を真剣に考えるべく、自分と向き合う時間を作ることにした。
訓練校での日々の学びはそれはもう新鮮で。自分の手でものを作り出す喜びと同時に、緻密で繊細な技術がなかなか身につかない苦しみ。でも不器用ながらも昨日までの自分ができなかったことが少しずつできるようになっていくのは感動で。
新しい技術を習得するために必要なことは、素直さと謙虚さ。先生が教えてくれたことを素直に受け入れて、実直に実践していく。自分におごりを持つと、いい仕事はできない。そして真摯にかつ謙虚に、道具や材料と向き合うことが大事。
これまでの人生でいろんなことを経験してきて、ある程度のことはそれなりに無難にこなせるようになっていたけれど、この訓練校で習得する分野に関してはほぼ未経験。思うようにすんなりと習得できないことで、今まで積み上げてきた慢心がいい意味で打ち砕かれた。日を追うごとに、自分のおごりや慢心が浄化されていくような感覚。毎日がそれはもう充実していて、校に通うのが本当に楽しかった。
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何より一番の喜びは、先生との出会い。訓練が進む中で同級生たちとの関係がぎくしゃくすることがあって。あまりにもやりきれなくて「帰りたい。」と言ったわたしの異変を察した先生は、実習中にも関わらずわざわざ手を止めてわたしのためだけに話を聞く時間を作ってくれた。
先生はバックルームで丁寧にお茶をいれてくれて。それは、お茶の専門店で店主さんにいれてもらったのと同じレベルのおいしさで。そのお茶のあたたかさが傷ついたわたしの心を癒してくれた。そしてお茶を飲みながら、ほかの生徒と何があったのかを話した。先生はわたしの話を途中でさえぎることなく、時々あいづちを打ちながら心に寄り添ってくれた。わたしが何を言っても否定することなく、ただ受け止めてくれた。めったに人に心を開くことのないわたしが、先生に対しては素直に自分の本心をさらけだせた。やがてわたしは冷静さを取り戻し、また実習を再開できた。「悩んだ時は、いつでもどうぞ。」って言ってくれて、わたしは岡山で初めて心のよりどころを得られた喜びでいっぱいだった。
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その後もことあるごとに先生に相談した。突然猛烈な虚無感におそわれて「わたし、生きている理由が見つかりません。」とこの世の終わりみたいな顔で嘆いた時は「どうしちゃったの?」と本気で心配してくれた。どんなに落ち込んでいても、先生と話しているうちに元気を取り戻せる。答えは見つからなくても、なんとかなるさって思える。まるで心の薬箱のような存在。先生はどちらかというと強面で、とっつきにくそうな冷たい印象だったのに、日増しに菩薩様のような穏やかな顔に見えてきて。本当にどれだけ先生に助けてもらったことか。
本人に自覚はないだろうけど、先生は教育者の鑑。経験に裏付けられた確かな技術と幅広い知識。常に生徒の思いに応える優しさと心配りと適切な配慮。かと思えば自分の感情も正直に出したり。完璧じゃないからこその人間味になんともいえない深みと味わいがあって。男性ながら、とてもチャーミングな人で。体調不良や同級生たちとの不調和などで何度も途中で挫折しかけたわたしに、先生がしかるべき役割を与えてくれたおかげで、1年間の訓練校生活を無事に終えてみんなと一緒に修了することができた。そして今でも時々先生のもとを訪ねては、話を聞いてもらっている。わたしにとって、この地域でのお父さん的存在。
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先生との出会いで、わたしに夢と希望ができた。わたし、先生のような人になりたい。生きる理由を見失い、自分の存在意義を感じられず、未来に希望を持てなくなっていたわたしを否定することなく、静かに寄り添い続けてくれた先生。何者にもなれなくても、健やかなる時も病める時も、目の前にいるわたしの存在をありのまま認めてくれる人。ジャッジや条件付けされることなく自分を受け入れてくれる人の存在を通して、わたしは自尊心や自己肯定感を取り戻した。
・・・わたしの父は常にわたしをジャッジし、条件づけした。進学校に合格したら、テストでいい成績を取ったら、父の望む通りに医者になったら、自分の力で稼げる人になったら・・・。父が課した条件をクリアーしなければ、わたしは認めてもらえなかった。わたしという人間の良し悪しは父の判断基準でジャッジされ、基準を満たさなければ容赦なく罵詈雑言を浴びせられた。父にとって当たり前のことができなければ、人間性そのものを否定された。「お父さんはお前の育て方を間違えた。」とまで言われ、わたしはどれだけ深く傷ついてきたことか。そしてそんな父の元でわたしはどんどん自尊心を失っていった。自己評価も自己肯定感も低かったのは、父の影響が大きかった。でもそれでもわたしは溺愛されていたし、父はかけがえのない存在だったけれど・・・。
先生というもう一人のお父さん的存在が、長らくわたしの心を占拠していた虚無感を溶かしてくれた。わたしと同じように親との関係性に傷つき、虚無感を抱いて生きてきた人たちを、先生のように癒せる人になりたい。誰もが本当は生まれ持っている自尊心や自己肯定感を、取り戻す手助けをしたい。
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これまでの人生でたくさんのものを喪失してきたけれど、それでもわたしは”今ここに生きている自分”の肉体的存在までも喪失することはなかった。精神的な意味で”それまでの自分の死”を迎えたことは何度かあったけれど、肉体が滅びることはなかった。この肉体があるからこそ、この世に存在することができる。この肉体があるからこそ、同じ時代を生きる誰かと出会い、その人を支え、癒すことができる。
でもだからこそ、その肉体を大切にしなければならない。この肉体に宿る命は限りあるもの。それが天に旅立つその瞬間まで健やかに生きる上で、自尊心や自己肯定感はとても大切な生の原動力となる。
わたしの今回の人生のミッションがかなりクリアーになってきた。そのきっかけをくれた先生との出会いはかけがえのない宝物。ずっと高知に住んでいたらこんなふうに先生と出会うことはなかったし、大分での暮らしが何不自由なければ岡山に移住しなかったし、地域おこし協力隊にならなければ先生のいる職業訓練校のことを紹介してくれた人とも出会わなかったし、父との関係性に何の問題もなければライフミッションにもたどりつかなかっただろう・・・。
結局は、しかるべきことしか起きないんだ。そしてそれらの出来事を通して、わたしはまぎれもなく自分を生きてきた。わたしが自分を見失っていた時でさえも、わたしはわたしだった。その事実を認めることもまた、自己肯定。わたしがわたしであることに対して、何のジャッジも条件づけもいらない。何者かになろうとしなくても、わたしは常に揺るぎない”わたしという存在”なんだ。
・・・これを書きながら、わたしは自分にものすごく癒されている。本当はほかの誰でもない、今ここに生きているわたしに、ありのままの自分を認めてほしかったんだね・・・。
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自己紹介を書くという形で、自分を認め、自分を癒した今日のわたし。これ、すごくいいな。自己紹介を書くためには、自分で自分と向き合わないといけないものね。自分との対話を通して起こる癒しってものすごくパワフル☆今日のこの体験を、今後の活動に取り入れていこう。
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