《連載小説》全身女優モエコ 上京編 第九話:モエコ怒髪天を衝く!
シンデレラの初の読み合わせ稽古は田平ゴリザの指導で行われたが、完全に三日月エリカありきの稽古だった。三日月がこのセリフ気に入らないから削除してと文句を言ったらゴリザはすぐさま台本を直し始めた。そして三日月エリカ可愛らしいポーズを披露するとゴリザはわざとらしく驚いて早速舞台に取り入れましょうとか言いだした。
役者陣は三日月とゴリザのこのやりとりに流石に呆れ果てた表情をしていた。しかし誰も何も言えない。彼らは身に染みてわかっているのだ。この舞台が自分たちの舞台ではなくて三日月の舞台であることを。この舞台はシンデレラを演じる三日月エリカの実質的な一人舞台であった。その舞台では姉役や魔法使いは勿論、王子様役さえただの添え物であった。三日月エリカはひたすら可愛らしいシンデレラを演じ、その三日月をいぢめる姉さえも遠慮がちに、まるで壊れやすいガラスに触れるかのように対していた。真理子もそうだった。彼女は元から人のいい人間のでいぢめ役などあまり得意ではない。しかも今回の相手はあの三日月エリカなのだ。いぢめようにもいぢめられないではないか。逆に自分がいぢめられそうなほどだ。真理子は若干声を震わせながらエリカ扮するシンデレラを責めた。すると三日月は媚びたような眼差しを真理子に向けると、正面に向き直ってコケティッシュな身振りをブリブリに周りにみせつけながらシンデレラのセリフを言った。
「ああ!お姉さまはどうしてこのシンデレラをいぢめなさるの?お姉さまはそんなにシンデレラがお嫌いなの?」
その稽古をモエコは肩を怒らせながら見ていた。彼女は目の前で繰り広げられる学芸会を見て舞台をバカにするにも程があると思った。さっき自分とやった読み合わせであれほど生き生きとした演技を見せた役者陣や真理子はまるでチュールで釣られた猫のようにおとなしくなってしまっていた。ああ!こんなものが大劇場で演じられるなんて呆れるわ!モエコはこんなものをやるために東京にきたわけじゃない!これだったら小学校の時のシンデレラの王子様役やホセ役のほうがマシよ!だって彼らは舞台に一生懸命だったじゃない!必死で役を演じるために台本まで食べたじゃない!あのブサイクなシンデレラの姉役だって舞台の中で本気になって演じていたわ。演じていたどころじゃなくて本気でモエコを殺そうとまでしたもの。ああ!そんな彼らに引き換えコイツラは何をやっているのよ!実力があるくせにこんなあばずれ女にヘイコラして文句の一つも言えないなんて!。モエコはバックを見つめ、中に眠っているシンデレラのドレスと絵本に謝った。ああ!あなたたちを捨てたいなんて言ってごめんね。あなた達はボロっちくなんかない!紛れもない本物よ!こんな上っ面だけの中身なんかなにもない連中なんかよりずっと輝いているわ!モエコはたまらず床を思いっきり踏み鳴らした。ものすごい轟音がスタジオ中に響き渡った。その場にいたものは何事かと驚いてあたりを見渡した。猪狩はモエコの表情にゾッとした。怒りに満ちたモエコは噴火寸前の火山のようであった。
「アンタたち何やってるのよ!それが舞台なの?それがシンデレラの舞台なの?こんなのただのお遊戯じゃない!こんなお遊戯見せられたらシンデレラだって泣くわ!」
モエコの地響きのような声に一同騒然となった。三日月の付き人たちが一斉にモエコのもとに駆け寄った。なんだこいつは!なんで部外者がここにいるんだ!さっさと誰かさっさとつまみだぜ!と口々に叫ぶ。モエコは彼らに対して、「やかましい!私は真理子と一緒にこの舞台に出るためにここにきたのよ!何が部外者よ!アンタたちこそ部外者じゃない!出ていきなさいよ!ここは役者しか入れないのよ!」と怒鳴った。喚くモエコを見て猪狩はもう全てが終ったと思った。ああ!やっぱりモエコなんか連れてくるんじゃなかった、いや東京駅でモエコを拾うんじゃなかったと彼は自らを悔いた。真理子はモエコに向かって後の人気漫才コンビの片割れみたいに「よしなさい、よしなさい」とモエコをなだめていたが、それも今のモエコにとっては焼け石に水だった。
「真理子!なんで止めるのよ!悪いのはコイツじゃない!このビッチは自分だけええカッコシイ舞台をやりたいだけよ!アンタたちのことなんか何一つ考えていないんだから!」
「おだまりなさい!」
突然思わず肩をすくめる様な冷たい怒鳴り声がスタジオに響いた。皆ギョッとして目を見開く。皆、その声を誰の発したのか検討もつかない。凍りついたように立ち止まった皆の前を三日月エリカが悠然と歩いてモエコのそばに立った。
「あなた、何者なの?随分偉そうな事を言ってくれるけど……。私を誰だと思ってるの?私は三日月エリカなのよ。あなた達のようなゴミみたいな人間とは訳が違うのよ!分かったらさっさとここから出ておゆきなさい。そして出てゆく前に土下座なさい!今すぐ私の前に這いつくばりなさい!」
スタジオの空気は異様なまでに張り詰めていた。モエコと三日月エリカはにらみ合いそのまま互いに一歩も引かなかった。その場にいた者たちは全員固唾を呑んで二人を見守る。私はこの沈黙が終わったら大変な事が起こる予感がした。モエコとエリカはしばらく無言で睨み合っていたが突如沈黙が断ち切られた。
「相変わらずねぇ、三日月エリカ。あなたはまだそうやって威張り散らしているのね。そう言えばあなたモエコに殴られた傷は治ったの?歯は折れなかったの?あんなにクリーンヒットしたんだから歯の二三本は折れてるはずよね!」
「あ……あなたはまさか!あの映画の撮影で無理やり連れて行かされた火山地帯のど田舎の村にいた野獣の雌じゃない!どうりで見た顔だと思ったわ!ああ!あのときのことは忘れるはずもない!あの後どれだけエリカが苦しんだか!だけどあのど田舎は今噴火でマグマの下敷きになっているはず!……だけど何故!何故あなたは東京なんかにいるのよ!」
「モエコは女優になるためにあの大噴火をくぐり抜けて東京にきたのよ!だからあなたにここを出て行けなんて言われても出ていかないわ!そしてあなたみたいな人間のクズには死んでも土下座なんかしないわ!」
「あなたなんかマグマに溶けて死ねばよかったのに。このエリカにあんな屈辱を浴びせてまとも生きているなんて恥知らずにも程があるわ!エリカに屈辱を浴びせたやつにはみんな天罰が下るのよ!エリカを騙してあんなど田舎に連れてきた小島監督も、エリカに対していけ好かない態度をとった神崎雄介も、あなたのど田舎の火山の麓がロケ地がだったせいで映画が上映中止になっててんてこ舞いだっていうのに、一番罰を受けるべきあなたがどうして死なずに東京にいるの?死になさいよ!今すぐあのど田舎に戻ってマグマ飛び込んでしまいなさいよ!」
この三日月エリカの大暴言に怒髪天を衝いたモエコは絶叫し三日月に飛びかかった。三日月もまた自分に向かってきたモエコに死ねと言わんばかり拳を振りかざした。もはやスタジオは稽古どころではなかった。稽古場にいた者たちの阿鼻叫喚が轟くなか、猪狩はこの最悪一直線の事態にどうしていいかわからずただやめろというばかりで、真理子もまたモエちゃんやめてとか悲痛な声で遠くから呼びかける事しか出来なかった。