見出し画像

歴史の真実:小野妹子

 飛鳥時代、遣隋使として派遣された小野妹子は隋の皇帝煬帝にあの有名な『日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無しや』の言葉で始まる国書を手渡した。伝わるところによるとその書を読んで煬帝は大変怒ったが、結局遣隋使を追い返すこともなく国交を結んだという。しかしこれは真実なのだろうか。煬帝と聞けばとんでもない独裁者。もうわがまま放題で、気に入らないやつは全て皆殺しの男である。そんな男が彼らにとって野蛮人に等しいジャップの連中にあんたんとこもう終わりだしウチんとこは上げ上げだから的な事を書かれて黙っていられるのだろうか。彼の性格だったらすぐに妹子とその連れを捉えて凌遅刑にでもするはずではないか。だが妹子は凌遅刑にもされず日本と隋は何の問題もなく国交を樹立してしまったのである。私は歴史書のこの記述に疑いを持ちあらゆる手を使って調べ上げてとうとう歴史の真実を突き止めた。

真実は次のとおりである。小野妹子はやっぱり女性であったのである。あの頭の良すぎる聖徳太子はこう考えたのである。煬帝におんにゃの子を合わせれば多少のわがままも許してくれるに違いない。しかも名前が小野妹子である。妹で子供ってヤバくない?もうこれだったら暴君の煬帝だって即落ちでしょ!と考えて派遣したのだ。そして妹子から手渡された国書を読んで確かに煬帝はブチ切れたのだが、妹子が猫のポーズで「許してニャン!」と言ったので萌~!となってしまい、見事日本と隋の国交は樹立したのだった。なお、これ以降煬帝の性格は萌~!とおかしくなってしまい隋はすぐに滅んでしまった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?