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SOUL TWO SOUL まとめ版

連載していたSOUL TWO SOULをまとめました。

KIYOSHI YAMAKAWA

 KIYOSHI YAMAKAWAの再評価ブームはまだ続いていた。いや、ブームではなくもはや山下達郎や角松敏生のようなシティポップの定番となりつつあった。雑誌のシティポップ特集には彼の『アドヴェンチャー・ナイト』は必ず1ページを割いて紹介され、そこにライターや同業のミュージシャンの熱い文章が寄せられた。しかし、そんなブールの中でも肝心のKIYOSHI YAMAKAWAは依然として行方知れずであり、その事が却ってKIYOSHI YAMAKAWAの伝説化に拍車をかけているような状態だった。当時KIYOSHI YAMAKAWAと仕事をしていたミュージシャンや、あるいは芸能プロダクションの人間に尋ねてもKIYOSHI YAMAKAWAの所在は知ることが出来ず、ただ皆一様にため息をついてこうつぶやくだけだった。
「アイツの事については何も知らないんだよ。アイツは自分を見せない奴だったからな」

 KIYOSHI YAMAKAWAの再評価はいつの間にかその代表作、『アドヴェンチャー・ナイト』だけでなく、彼が出した5枚のアルバム全てに向けられていた。特に評価が著しく上がったのはデビュー作の『SOUL TWO SOUL』である。このアルバムは、ソウルシンガーとしてデビューしたKIYOSHI YAMAKAWAが、純粋にソウルミュージックを作ろうとしたものだが、予算がないせいでロクなミュージシャンも雇えず、トラブルまみれの中、やっと完成させた作品である。一部の曲のドラムなどは、ドラマーが16ビートを叩けず、何度もテイクを重ね、たまたま上手くいった部分をループして使用している。KIYOSHI YAMAKAWA本人も気負いが空回りしたアルバムとあまり評価していないアルバムであるが、この不器用なソウル愛に満ちたアルバムは今の若いシティポップファンは勿論、ソウルやR&B好きのリスナーにもアピールするようだ。

 主にソウルミュージックについて書いている音楽ライターの上曽根愛子も、ファーストアルバムを聴いてKIYOSHI YAMAKAWAのヘビーリスナーになった口だ。彼女は音楽ライターとして、昨今のシティポップに再評価に半信半疑であり、KIYOSHI YAMAKAWAの代表作『アドヴェンチャー・ナイト』を聴いても何も感じられないと思った彼女は、そのことを正直にnoteの記事に書いたが、彼女の記事を読んだ読者が『あなたはKIYOSHI YAMAKAWAがわかっていない。KIYOSHI YAMAKAWAは本物のソウルシンガーなんだ。彼のことを知りたいならファーストの『SOUL TWO SOUL』を聴いてほしい。そしてあらためて『アドヴェンチャー・ナイト』を聴き直してほしい。たとえサウンドが変わっていても、そこには純粋なソウルがあるから』とコメントを寄越したので、ちょっとだけ聴いてみようとYOUTUBEで聴いたのだが、お世辞にも上手いとは言えないスカスカのバックトラックのイントロに続いて発せられた、KIYOSHI YAMAKAWAのボイスを聴いて、一瞬にしてKIYOSHI YAMAKAWAの虜になってしまったのである。それから上曽根愛子はKIYOSHI YAMAKAWAのディスコグラフィを調べ、彼女が中身が無いと断じた『アドヴェンチャー・ナイト』も含めすべてのCDを買い、リリース順に聴いていった。それらの音源はソウルミュージックへの愛情に満ちた純粋な音楽であり、彼女はあのシティポップの名盤と言われる、極度に人工的な音作りの『アドヴェンチャー・ナイト』にさえそれを感じたのだった。上曽根愛子はKIYOSHI YAMAKAWAのソウルにディープにハマっていくうちにKIYOSHI YAMAKAWAについて知りたくなり、ネットや雑誌の情報を片っ端から調べ尽くし、そこに載っていたKIYOSHI YAMAKAWAの記事を片っ端から読んだ。そこではデビューへの経緯、事務所やレコード会社との軋轢、そして本物のソウルを求めてアメリカへと旅立ったことなどを知ることが出来た。彼女はそれらを読みながらKIYOSHI YAMAKAWAの人間性に興味を持った。自分と同じようにソウル・ミュージックを愛し、関わり方は違うが、共にソウルミュージックへ深く関わってきた人間だ。しかしこのネットや雑誌の断片的な情報だけではKIYOSHI YAMAKAWAという男の全貌はすることは出来なかった。彼女ははKIYOSHI YAMAKAWAについてもっと深く知るには自分で調べるしかないと思った。そして翌日上曽根愛子は編集長にKIYOSHI YAMAKAWAについて取材させろと直談判し、その勢いに押された編集長は彼女に取材の許可を与えたのだった。

 以下のテキストが上曽根愛子によるKIYOSHI YAMAKAWAの取材記録だ。このテキストは音楽サイトSOUL MACHINEに短期連載されたものだが、取材関係者からの許可を得て、サイトへの掲載時にはカットした部分まで掲載している。これが音楽ライター上曽根愛子による連載記事『SOULへの果てしない旅~KIYOSHI YAMAKAWAを求めて』の完全版である。

SOULへの果てしない旅~KIYOSHI YAMAKAWAを求めて 上曽根愛子

 この記事の書くにあたって、まず読者に対して謝らねばいけないことがある。今日から本連載で取り上げるKIYOSHI YAMAKAWAを、私は無知からくる偏見でディスってしまった事がある。先日、私は今非常に再評価されている彼のアルバム、『アドベンチャー・ナイト』を聴き、なんとたわいないアルバムだと思い、私はそのことを自分のnoteに正直に書いた。それは今から考えるとシティーポップへの偏見からくる歪みから出た感想であっただろうと、今では自分の耳の感度の至らなさを真摯に反省している。

 KIYOSHI YAMAKAWAのファーストインパクトは上に書いたとおり、私にはあまりいいものではなかった。だから私は『アドベンチャー・ナイト』を聴いた感想を自分のnoteに正直に書いたのだが、とある読者から『あなたはKIYOSHI YAMAKAWAがわかっていない。KIYOSHI YAMAKAWAは本物のソウルシンガーなんだ。彼のことを知りたいならファーストを聴いてほしい。そしてあらためて『アドヴェンチャー・ナイト』を聴き直してほしい。たとえサウンドが変わっていても、そこには純粋なソウルがあるから』というコメントを頂いた。人は何かを好きになるとすべてを全肯定したくなるもの。どうせ大した事のないものを精一杯持ち上げているだけ。と思い、しかし一度ぐらいなら聴いてもいいかとあまり気乗りせず、YOUTUBEでKIYOSHI YAMAKAWAのファースト『SOUL TWO SOUL』を聴いてみた。出だしからお世辞にも上手いとはいえず、グルーヴィーにも徹底的にかけているバックトラックを聴いて、私はやはりこんなものかと止めようとしたが、その時いきなり私の耳に熱いソウルボイスが飛び込んで来たので、私はハッとして手を止めてその歌を聴き入ってしまった。
 KIYOSHI YAMAKAWAのボイスはソウルフルで、バックの貧弱なトラックなど、全く関係なくしてしまうほど素晴らしかった。確かに読者の言う通り、このアルバムは素晴らしい。ソウルのクラシックにふさわしいアルバムだ。それからKIYOSHI YAMAKAWAにすっかりハマってしまった私は、彼のアルバムを5枚すべてそろえてリリース順に聴いていった。確かに読者の言う通りどのアルバムもソウルを感じさせるものだった。アルバムを経るごとに、ソウル色が減っていき、ニューミュージックまがいの曲まであったが、KIYOSHI YAMAKAWAのボイスだけはどこまでもソウルだった。読者の言う通りあの世間にシティポップの名盤と言われている『アドベンチャー・ナイト』にさえ奥底に隠されたソウルがあった。
 だけど、と私は再びファーストアルバムの『SOUL TWO SOUL』のことを考える。このアルバムが最高のミュージシャンで録音されたらおそらくKIYOSHI YAMAKAWAの最高傑作になっていただろうと私は思う。そうしたら彼の代表作の『アドベンチャー・ナイト』は制作されることはなかったかもしれない。しかし、そうなったとしてこのファーストアルバムが歌謡曲全盛時代の日本で受け入れられただろうか。いや、やはり受け入れられなかっただろう。結局どっちに転んでもKIYOSHI YAMAKAWAは日本から去るしかなかったのだろうか。音楽ライターとしてではなく一リスナーとしての願いだが、私はこんなことを思わずにはいられない。せめて『アドベンチャー・ナイト』のバンクバンドで『SOUL TWO SOUL』が作られていればと。
 少し前置きが長くなりすぎた。自分の悪い癖だ。私は思い入れのあるものに対しては延々と書いてしまう。この間も、記事のタイトルのボビー・ブラウンとホイットニー・ヒューストンを無視して自分のペットの猫の病気について延々書いてしまった。だからもう本題に入ろうと思う。

 私はまず、KIYOSHI YAMAKAWAの再評価に一役買った、現在最も注目されているトラックメーカーであるDJ・OSUGIクンから取材を始めることにした。彼とは大学の先輩後輩の関係で、同じ音楽サークルにも入っていた。今でも時たま会って他愛もない世間話をする間柄だ。だけど彼はどちらかといえばJ・POP寄りの人で、私はソウル・R&B専門だから、対面で取材する機会はなかなかなかった。だから取材を始める時、お互い妙に緊張してしまった。だけどICレコーダを置いて会話が始まったらいつの間にか普段の会話に戻っていた。

OSUGI:へぇ~、姉さんがKIYOSHI YAMAKAWAねえ!姉さん、シティポップなんかインチキだってずっといってるじゃん!日本には本物なんか生まれないって!ソウルも、R&Bも、ラップも、全部日本に入った途端にファンシーグッズみたいになっちゃうって!
私:OSUGIさあ!その姉さんてのはもうヤメてって何度も言ってるでじゃん!で、今回はそのKIYOSHI YAMAKAWAについてあなたに聞きたいわけ!ねえ、どうしてKIYOSHI YAMAKAWAを知ったのよ?彼のアルバムってCD化されてなかったし、誰も彼について発言したことなかったじゃん。
OSUGI:姉さん、そんなこと今更聞くのかよ!俺いろんな媒体でKIYOSHI YAMAKAWAとの出会いについて喋ってるぜ!まあ俺がシティ・ポップ好きだってことは姉さんは当然知ってるよな?まあ姉さんは昔俺がシティ・ポップの良さをいくら語っても、全く聞きもしなかったけどな!で、その姉さんがなんで今さらシティポップの取材なんかするのよ!
私:うるさいわね!姉さん姉さんって!やめろって言ってるのがわかんないの?とにかくさっさと話しなさいよ!こっちは時間がないんだから!
OSUGI:姉さん!時間とってやってるのはこっちなんだぜ!ただでさえ忙しいのに、姉さんだからわざわざ時間割いてやってんじゃねえかよ!……まあ、お互い時間がないってことで、とにかくどうしてKIYOSHI YAMAKAWAを知ったかって言うとだなあ~。俺はその日たまたまレコード屋に入って盤を漁ってたわけだな、そうしていたら山下達郎と名前のよく似た山本達彦って人の音源まだ聴いていなかったことを思い出したんだよ。達郎は勿論聴いてたけど、達彦は名前しか知らない。これはシティポップDJとしちゃありえない話だし、だから聴いておかなきゃって「や」行の盤を漁ってたら、すっげえジャケットに、それに輪をかけてすっげえ帯のコピーのレコードを見つけたんだよ。それがKIYOSHI YAMAKAWAだった。姉さんは帯のコピー知らねえだろうな。どうせCDしか聴いてねえんだし。ホントに凄えんだぜ!レコードの帯のコピーは!『シティポップのキング登場!スティーリー・ダンの完璧さと、ボズ・スギャックスの熱いソウルを持つ男が歌う危険な恋のアドベンチャー!』な、ヤバいだろ!俺、帯のコピー読んで、山本達彦なんか忘れてKIYOSHI YAMAKAWAのレコード即買いしたんだよ!
私:で、聴いたら良かったってことでしょ?だってあのアルバムあなたのストライクゾーンだもんね。
OSUGI:なんだよ、そのいろんなものを含みまくった言葉は。姉さんだってKIYOSHI YAMAKAWAに興味を持ったから、俺みたいな忙しい人をわざわざ呼び出して取材してるんじゃないのか?
私:忙しいアピールはヤメなさいよ。そうやってると実は仕事がない人だって思われるよ!で、OSUGIクン。あなたは勿論KIYOSHI YAMAKAWAの全アルバム聴いてるよね?それで、ファーストアルバムについてはどう思ってるの?
OSUGI:ああ!そういうことだったのか!どうりでおかしいと思ったんだ。そういえば姉さん、noteで『アドヴェンチャー・ナイト』ディスってたもんな!
私:そうやって人の傷をほじくり返すのヤメさないよ!私だって悪かったと思ってるんだから!あのアルバムだって今では評価はしてるよ。やっぱりみんなが評価するだけはあるね。で、ファースト・アルバムについては?
OSUGI:なんだよ、その気のない返答はよ。まあ、姉さんはどこまでも頑固者だからな、わかってるからいいけど。で、ファーストについて喋れっての?まああのアルバムを姉さんがスキってのはわかるんだけど、俺は正直ダメだな。なんかあからさまにソウル目指してますってのが出すぎてるのよ。バックが下手だからなおさらそれが目立っちゃってな、姉さんには悪いけど俺にはそれが耐えられないのよ。
私:やっぱりあなたならそういうとおもったわ。そこが私とあなたの音楽感の違うとこね。
OSUGI:まあ姉さんはディープなのが好きだからな。
私:ところであなた、前にtwitterでKIYOSHI YAMAKAWAとコンタクトとったって言ってたけどあれ結局どうなったの?
OSUGI:いや……それが……あのいくら姉さんでも恥ずかしくて言えねえよ。ちょっとした手違いがあってな。
私:手違いってなによ!せっかくKIYOSHI YAMAKAWAに会えたんじゃない!どうしてコラボしなかったのよ!
OSUGI:いや、あっ、もう時間だ!悪いな姉さん、俺もうすぐテレビ局の収録があるんだ!
私:逃げるなOSUGI!まだ話は終わってないのよ!

 後半のOSUGIクンとKIYOSHI YAMAKAWAのコンタクトの部分は今回初掲載の部分だ。OSUGIクンは結局KIYOSHI YAMAKAWAとなにがあったかについて何も語ってくれなかった。ただ別れ際に彼がこういった事は今でも覚えている。

「姉さん、KIYOSHI YAMAKAWAは二人いるんだ!KIYOSHI YAMAKAWAをこれからも取材するつもりなら気を付けろよ!」


SOULへの果てしない旅~KIYOSHI YAMAKAWAを求めて 上曽根愛子 その2

 OSUGIクンと別れた後、私は彼が別れ際に何故『KIYOSHI YAMAKAWAは二人いる!』とまるで忠告するように言ったのかをずっと考えていた。KIYOSHI YAMAKAWAは二人いる。これは実際に本人に会っていないと言えないことだ。OSUGIクンはKIYOSHI YAMAKAWAに会ってどう思ったのだろうか。彼の口ぶりからするとあまりいい印象を持たなかったようだ。コラボも中止になっすたようだし。『KIYOSHI YAMAKAWAは二人いる』もしかしたらありふれた話なのかもしれない。偉大なるアーチストが必ずしも偉大な人間ではない。どうしようもない人間が偉大な作品を生み出すことだってある。マーヴィン・ゲイがそうであったように。それをOSUGIクンは言っているのだろうか。KIYOSHI YAMAKAWAには会っちゃいけない。あの男の中には純粋な芸術家と人を破滅に追い込む最低のろくでなしがいるんだ。だから会っても幻滅するだけだと。だけど私はOSUGIクンほどナイーブなわけでもない。恥ずかしい過去の話だが、男に騙されたこともあるし騙したこともある。男に騙された日にヤケクソになって別の男をLINEで自分のマンションに呼んでそのまま最後までやったこともある。だからOSUGIクンに比べたら多少は人間について知っているつもりだ。それに私はあくまで音楽ライター。私の仕事は読者に素敵なミュージックを紹介して、その素敵なミュージックを作ってくれたアーチストのストーリーを綴る仕事をやっているのだ。どうやらまた喋り過ぎたようだ。こうして自分のことをペラペラ喋るのは、エミネムとマライア・キャリーのことを書いた時以来だ。

 というわけで私はそれからもKIYOSHI YAMAKAWAの取材を続けていたが、今回は誰もが知っている超大物ミュージシャンがインタビューに応じてくれることになった。驚いたことに向こうから取材に来てほしいと言ってくれたらしい。私は編集長からそれを聞かされた時、喜ぶよりも、KIYOSHI YAMAKAWAという存在が、彼と同時代に生きた人たちにどれほど衝撃的だったかを肌身に感じて体が震えた。その人は私がKIYOSHI YAMAKAWAを取材していると聞いて、あの毒舌ライターの上曽根愛子さんががKIYOSHI YAMAKAWAを取材しているなんてね。実は僕、彼女の記事を愛読しているんだ。よかったら僕にKIYOSHI YAMAKAWAについて語らせてくれないか。と言ってきてくれたらしい。
 そして取材の日がきた。私は約束の店に早めに着いてその人を待った。やがて店のドアが開いて、そこからテレビや雑誌でおなじみの、ワカメを被ったような長髪を生やした、額のやたらに広い海坊主みたいな人が私の席に近づいてきた。もうあえて語る必要はないだろう。今回私がインタビューするのは、今もなおトップで走り続ける日本音楽界の大御所山上達郎氏だ。彼はそのワカメみたいな髪を靡かせながら広すぎるおでこを店のライトに照らしながら私に向かって笑顔で挨拶してきた。こうして実物を見るとあらためて歌声と顔のギャップに驚く。こんな顔の人があんな美声で歌っているのかと。いや、失礼!つい口が滑りすぎてしまった。このテキストを彼が読んでいないことを祈るしかない!
 というわけで山上達郎氏は本人がそれを認めるかはともかくとしてシティポップ界の大御所である。私はシティポップに関して厳しい味方をする人間だと思われがちだし、自分でもシティポップに厳しい人間だと自認しているが、山上達郎氏に関しては全くの例外だ。そのソウルやドゥーワップに根ざした彼のボーカルは勿論、彼のソウルやファンクに対する該博な知識は私などの及ぶところではなく、いつも氏のラジオやテキストを拝読する度に自分の知識の無さを思い知らされ恥ずかしくなる。

私:はじめまして山上さん、わざわざご連絡ありがとうございます。今回はKIYOSHI YAMAKAWAについていろいろお聞きしたいのですが。
達郎:こちらこそはじめまして。どうぞお手柔らかに。
私:お手柔らかになんて、私こそお手柔らかにですよ!
達郎:いやいや、何を言っておられるのですか。あんな毒舌レビューを見たらこっちだってうかつなことは言えやしない。後でなんて書かれるかわかったものじゃないしね(笑)とにかく今日はKIYOSHI YAMAKAWAについて何でも聞いてくださいよ。
私:では早速達郎さんにお聞きしたいのですが、KIYOSHI YAMAKAWAとはどこで知り合ったんですか?
達郎:KIYOSHI YAMAKAWA、って言うよりはキヨちゃんだね。一時期よく会っていたことがあるんだ。僕がシガレット・ベイビーってバンドやってたころだよ。で、その時キヨちゃんはまだソロデビュー前で、ムード歌謡の大御所の後川キヨシと、あと、僕が金がないときにバックでギター弾いてた演歌歌手のなんとか川キヨシと一緒に三途の川のきよしトリオっていうのをやってたな。僕はその三途の川のきよしトリオのバックで一回だけギター弾いたことがあるんだけど、その時キヨちゃんが声をかけてくれたんだ。彼さ、シガレット・ベイビーのライブよく観にきてたらしいんだよ。まあライブはいつも石なんか投げられて悲惨なものだったけどさ。でも、彼はシガレット・ベイビーを凄い褒めてくれたよね。日本で16ビート演れるのは君たちぐらいだよって。あとアイズレー・ブラザーズみたいだと思ったってことも言ってたな。まあ過褒だとは当時も思ってたけどさ。僕はそれ聞いてびっくりしたよね。まさかムード歌謡演ってる奴にそんな事言われると思わなかったからさ。でも話し込んでるとやっぱり違ったのね。彼はもともとソウルをやりたくて業界に入ったわけよ。でも入ったところが運の悪いことに演歌の事務所だったらしくて、演歌歌手かムード歌謡にさせられそうになったって事を言ってた。まあ、そのトリオ自体食い合わせが悪すぎたのか、案の定売れなくて消滅したみたいだけど、その時からすでにキヨちゃんは我が道をいってたね。あのとりあえずムード歌謡と演歌を合わせましたって曲で一人でソウル歌ってんだもん。僕はバックで弾きながら思わず笑ったね。それからしばらくしてからだな。キヨちゃんがソロ・デビューしたのはさ。
私:貴重なお話ありがとうございます。私もKIYOSHI YAMAKAWAのデビューまでの経緯については調べたんですけど、こうしてあらためてお話を聞くとKIYOSHI YAMAKAWAのキャリアはなんというか最初からボタンの掛け間違いがあったような気がしてきますね。それでKIYOSHI YAMAKAWAはソロデビューして早速ソロアルバムを出しましたけど、達郎さんはそのソロアルバムについてはどう思っているんですか?
達郎:今だから言うけどさ。あのアルバムシガレット・ベイビーが参加するはずだったんだ。
私:ええ~っ!そうだったんですかぁ?
達郎:そう。キヨちゃんが声かけてくれてさ。せっかくアルバム出すんだから最高のバックで固めたい。君のバンドには女性もいるし、よかったら彼女たちにコーラスをやってもらいたいって言ってさ。まあでも、いろいろあってね。まあ大人の事情で今も話せないけど、とにかくその話はナシになった。
私:残念ですね。私、KIYOSHI YAMAKAWAのアルバムの中でファーストアルバムの『SOUL TWO SOUL』が一番好きなんですよ。一番いい彼のソウルボイスが聞けるから。だけど演奏は……
達郎:酷い?
私:まあ、ハッキリ言ってしまえばですけど……。
達郎:さすが毒舌ライターだな。ズバリいうか!
私:言ってるのは達郎さんですよ!
達郎:フフフ。まあ演奏の酷さは時代のせいでもあるんだよ。当時は黒人音楽をまともにやろうとする人間は限られていたからね。で、ファーストアルバムの話に戻るけど、実は僕もあのアルバムが一番いいと思ってるんだ。というかあのアルバム、僕だけじゃなくて当時黒人音楽をやろうとしてた連中にとっちゃ結構衝撃的だったんだ。なんというかやられたって感じだったな。こっちが必死になって目指していた境地にすでにたどり着いちゃってるんだもの。完全に黒人音楽を我がものとしちゃってさ。非常に肉体的なんだよね彼の声は。あれは僕には出せない。だって声だけでビートを刻んじゃってるんだもの。

 私はKIYOSHI YAMAKAWAのファーストアルバムへの達郎さんの意見を聞いて我が意を得たりと思った。達郎さんは私がKIYOSHI YAMAKAWAのファーストを聞いて感じたことを的確に表現してくれた。KIYOSHI YAMAKAWAはソウルを完全に自分のものとして、そして全身でソウルを歌っていたが、だけど当時の日本のリスナーは彼のソウルを全くといっていいほど受け入れなかった。当時の日本人には彼の音楽を受け入れるほどの素養ななかったといえばそれまでだけど、もし彼の『SOUL TWO SOUL』が当時のリスナーに受け入れられたら日本の音楽シーンは今とは全く違っていただろう。私は完全に後追いのリスナーだが、何故か当時のKIYOSHI YAMAKAWAの心情を思うと彼のために悔しい気分になる。KIYOSHI YAMAKAWAはおそらく自分の心血注いだ作品が一部の音楽関係者を除いて世間に全く受け入れられなかったことにショックを受けたに違いない。そして彼はどういう物が世間に受けるのかを必死に考えたに違いない。ファースト・アルバム以降のKIYOSHI YAMAKAWAのアルバムは、ハッキリいえば世間との妥協点を模索したものである。セカンド以降はファーストと違いまともなバックミュージシャンを揃え少なくとも演奏に関してだけいえば、ファーストよりも大分マシになっている。しかし曲に関していえばファーストに比べてソウル色は徐々に後退し代わりに当時のAOR色が段々現れてくる。だが、まだソウルの範疇だし、当時の本場のリオン・ウェアも同じような方法性を打ち出していたのだ。しかしそれがあの『アドベンチャー・ナイト』で一変する。ここでは完全にソウル色は後退し、代わりにAOR、そしてそれを更に脱色したようないわゆるシティポップの要素が前面に出てきたのだ。このアルバムへの私の感想は、noteに書いたが、 その後読者からのご指摘で再度視聴して、初めて聴いたときよりも悪くはない気がして、たしかに読者の言うようにただの雰囲気音楽ではなく、奥底に微かにソウルを秘めた、世間の評判も納得のいく作品だったと今では思える。しかしそうであるにしてもファーストの『SOUL TWO SOUL』を聴いて激しく衝撃を受けたものからすれば、やはりあのアルバムは徹底的な商業主義との妥協の産物であり、録音とアレンジと演奏が完璧であってもそこにはKIYOSHI YAMAKAWAが目指したソウルはないと私は思う。有名なエピソードでKIYOSHI YAMAKAWAのデモテープを元に、プロデューサーとアレンジャーが勝手にバックトラックを録音してリリースしたというのがあるが、それを聞いても私のアルバムへの評価は変わらない。何故ならKIYOSHI YAMAKAWAのボーカル自体が、ファーストの比べると露骨にリスナーへの媚が見え、ソウルとしてとても認められないものになっているからである。私は『アドベンチャー・ナイト』について達郎さんがどう思ったかを聞きたかったが、同時に聞かぬほうがいいとも考えた。何故なら達郎さんもKIYOSHI YAMAKAWAと同じように商業路線に舵を切った頃の話だからだ。だが私はKIYOSHI YAMAKAWAの記事を書くライターとしてどうしても聞かねばならない。私はありったけの勇気を振り絞って達郎さんに聞いた。

私:KIYOSHI YAMAKAWAはファースト以降三枚アルバムを出しましたが、世間からは全く注目されませんでした。その状況を打開しようとしたのか、彼は完全に路線変更して、あの『アドベンチャー・ナイト』を出しました。達郎さんは『アドベンチャー・ナイト』を出した頃のKIYOSHI YAMAKAWAとは交流はありましたか?
達郎:まずキヨちゃんが『アドベンチャー・ナイト』を出す前ね。僕はキヨちゃんと毎日飲み歩いたんだよ。たまに後でテクノポップのZORで有名になった博士号なんかと一緒にさ。その時キヨちゃん言ってたね。俺はこのアルバムが売れなきゃ契約切られるって。そしたらまた三途の川のキヨシトリオみたいなものをやらされる。だからどうしても売れなきゃいけないんだ。俺はそのためなら何でもやるってさ。でもまあ案の定売れなかったんだな。彼と同じ頃に僕がバックやってたなんとか山キヨシって演歌歌手も同じような路線でやっててさ。しかも気恥ずかしいコピーつけてやってたんだよ。シティポップの帝王とかなんとかいってさ。なんだよシティポップの帝王って!キヨちゃんもそのあおりで同じようにシティポップのキングってコピーつけられて、しかも演歌歌手のアルバムのジャケットを使いまわしさせられてて、これじゃどう考えても売れるわけないよな。
私:それはどう考えても売れないですよね。なんかコミックバンドみたい。
達郎:キヨちゃんは当然事務所やレコード会社にブチ切れてね。もうこんな業界ヤメてやるってずっと言ってたんだ。それを僕らが必死で思いとどまらせようとしたんだよ。君の『アドベンチャー・ナイト』はいいアルバムだよ。早くもっとまともな事務所を移籍しなよって。彼の苦しみは僕にもわかったからね。できれば僕が当時いた事務所に移籍させたかったんだ。僕も当時売れてなかったけど、創作環境は彼の事務所に比べたら遥かにましだったからね。でもキヨちゃんはもう完全に業界不信になっちゃてて、『日本には本物のソウルなんかない!俺はアメリカで本物のソウルを探す!』って僕らにも雑誌にも喋りまくってそれから彼はホントにやめちゃった。
私:悲しい話ですね。結局事務所もレコード会社もKIYOSHI YAMAKAWAを理解することが出来なかったのでしょうか。あるいは理解しようとも思わなかったのでしょうか。それで達郎さんはあの『アドベンチャー・ナイト』についてどう思われますか?正直な意見をお聞かせください。
達郎:当時僕もキヨちゃんとは似たような状況だったから、辛いものはあるよね。僕もこのままいったら終わりだと思ってたし、なんとしても売れるものを作りたかった。それはキヨちゃんも同じだったと思うよ。だから彼の『アドベンチャー・ナイト』を聴いたときにはまず彼の苦労を感じたね。ああ!アイツも売れたがっているんだって!それと同時に少し失望も感じたんだ。あんなにソウルフルな曲をやってたやつが、こんなパチもんみたいな事やるなんてさって。でもまあ、自分も同じことやろうとしてたんだし、その言いぐさはないよな。彼も僕もアルバム聴いて同じことを思っていたのかもしれない。だけどそんな事今はもうわからない。ひょっとしたら彼がもう少し耐えて活動していれば僕なんかよりずっと評価されていたと思う。だけど彼の純粋でありすぎたから結局この業界とは合わなかったのかもしれない。
私:達郎さんのおっしゃることはなんとなくわかります。彼はこの業界を行く抜くにはあまりにも不器用だったのかもしれませんね。でもその不器用さがあったからあの『SOUL TWO SOUL』を生み出しせたのかと思います。達郎さん、本日はわざわざ時間をくださってありがとうございます。
達郎:ところで君、KIYOSHI YAMAKAWAはどの媒体で聴いたの?まさかCDじゃないよね?
私:へっ?そのまさかのCDですけど……。
達郎:ダメじゃんそれ!それってKIYOSHI YAMAKAWAを聴いたことにはならないよ!僕は若い人たちにはよく言うんだけど、CDなんかじゃまともな音楽は聴けないんだよ!キヨちゃんの音は、いや世界中のソウルはやっぱりレコードで聴かなくちゃ!君今からレコード屋いってキヨちゃんのレコード全部買ってきなさい!
私:はい、わかりました!
達郎:ってのは冗談だけどさ(笑)


SOULへの果てしない旅~KIYOSHI YAMAKAWAを求めて 上曽根愛子 その3

 山上達郎氏のインタビューが終わると私はまっすぐレコード屋に駆け込んだ。達郎氏がインタビューの最後に言った一言が引っかかったせいだ。KIYOSHI YAMAKAWAのアルバムはレコードを聴かなければわからない。CDをちょろっと聴いただけではKIYOSHI YAMAKAWAの音楽なんてわからない。達郎氏が冗談めかして言ったのはそういうことだった。どうせ冗談なのでそのままやり過ごすことは出来た。だけど私は氏の口ぶりに所詮は女的なものが無意識に出ているのを感じてしまった。私は本気でKIYOSHI YAMAKAWAの歌に惚れ、大げさでもなんでもなくライター人生をかけてその人生を追っている。バカにされてなるものか、よし!KIYOSHI YAMAKAWAのレコードを買って聴いてやろうじゃないか!そう思ってレコード屋に駆け込んだ私を待ち受けていたのは、愛とかでは決して叶えられない現実というものの厳しさだった。

 KIYOSHI YAMAKAWAのレコードはたしかにあった。私の愛する『SOUL TWO SOUL』も『アドベンチャー・ナイト』もあった。しかしそれらのレコードは壁に飾られ、とてもじゃないが手持ちのお金では買える値段じゃなかった。ああ!どうしたらいいのだろう!見ると私の周りにも恨めしそうに壁のレコードを見ている人たちがいる。彼らはレコードの値段を見るなりため息をついてその場を離れる。しかしその中にいつまでもKIYOSHI YAMAKAWAのレコードを見ている若い男がいた。おそらく私より年下だろうその男の子は一心にKIYOSHI YAMAKAWAのレコードを見ていた。私は彼に同士みたいなものを感じてその子に声をかけた。
「あなたもKIYOSHI YAMAKAWA好きなんですか?」
 突然見知らぬきれいな(おいおい!)お姉さんから話かけられた男の子はビクッと震えて私を見ると、声を震わせて答えた。
「あ、あ……好きですけど……それが何か?」
 私は、別にあなたをパクリと食べるわけじゃないのよ、と彼を安心させるために必死で愛想笑いを浮かべてもう一度彼に話しかけた。
「レコード高いですよね。私KIYOSHI YAMAKAWAのレコード買いここにきたんですけど、値段見てこりゃダメだって諦めました」
 そうやって話したら男の子は警戒心が解けたようで、私に向かってフランクに話しかけてきた。
「ああ……そうなんですか。俺なんか大学の帰りに毎回ここに来てますよ。俺KIYOSHI YAMAKAWA『アドベンチャー・ナイト』欲しくてここだけじゃなくていろいろ廻ったんですけど、結局どこもなくて……。今の時点でレコードあるのこの店だけなんてすよ!今このレコード買うために必死でバイトしてるんですよ。そのためにここに来てはレコードがまだあるか確認してるんです。なんでもついこの間まではKIYOSHI YAMAKAWAのレコードは100円コーナーの常連だったみたいなんですけど、ブームになってから急に値段が跳ね上がっちゃったみたいですよ。こんなバカ高いレコードを買う人間なんてそうはいないし安心はしてるんですけど。でも正直に言うとこんなレコード一枚買うために必死こいてバイトしてる自分がバカバカしくなりますよ。どっかの店の100円コーナーに『アドベンチャー・ナイト』置いてねえかなぁ~!」
「そうだよね!」
「あっ、でもこの間ミアミス見たいのはあったんですよ!俺あるレコード屋でKIYOSHI YAMAKAWAのレコード見つけたんです。それで高い金出して買ったら中身が全く違ってたんですよ!なんかひっでえ歌謡曲みたいなやつで。で、レコードのレーベル面見たらそっくり同じスペルでKIYOSHI YAMAKAWAって印刷されてる。それで何だこりゃって思って翌日レコードに駆け込んだんですけど、来てみたらそのレコード屋、昨日で閉店したとか張り紙出してて……。まったくムカつきましたよ。ムカつきついでに中身はフリスビーして割ってやりましたけどね!」
「それはちょっと気の毒だね」
「俺も正直なんでKIYOSHI YAMAKAWAにこんなにハマっているのかわかりませんよ。だって俺音源もロクに聴いてないんですよ。CD持ってないし。まあKIYOSHI YAMAKAWAのパチもんみたいな奴は嫌になるぐらい聴かされてるんですけど。さっきのレコードもそうだけど、シティポップの帝王とかいうやつ」
 シティポップの帝王?私は達郎さんがインタビュー中にその究極にダサいキャッチコピーのことを言っていたのを事を思い出した。そういえばそのシティポップの帝王のなんとか川キヨシとかいう人はKIYOSHI YAMAKAWAと同じ事務所だったはずだ。そしてその事務所には日本歌謡曲界を代表する大御所の後川清がいて、彼は一時期KIYOSHI YAMAKAWAとそのシティポップの帝王のなんとか川キヨシでトリオを組んでいる。しかし私にとって完全に専門外の分野だし、どうやってコンタクトをとっていいかすらわからない。だけどKIYOSHI YAMAKAWAのすべてを知るには後川清は絶対にインタビューしなくてはならない。彼を避けてはKIYOSHI YAMAKAWAのすべてを知ることは出来ないのだ。

 私は男の子にお別れの挨拶をすると編集室に戻り、編集長に後川清にインタビューをしたいと希望を伝えた。KIYOSHI YAMAKAWAを知るためには彼の事務所の先輩であった後川清のインタビューがどうしても必要なのだ。だが編集長も歌謡曲の世界は知らず、二人で悩んだ末、とりあえずメールしてダメだったら電話で対応しようということになった。その相談のついでに編集長からあることを教えてもらった。なんでも御茶ノ水にレンタルレコード屋さんがあって、そこではプレミア物のレコードが一週間レンタルできるそうだ。
 それを聞いた私は仕事が終わるとまっすぐレンタルレコード屋さんに駆けつけてKIYOSHI YAMAKAWAのアルバムを探した。案外すぐ見つかった。KIYOSHI YAMAKAWAのレコードはここでもやはり壁に飾られていたが、レンタル価格は通常のレンタルレコード価格の二割増しぐらいで決して借りられない値段ではなかった。それでも出費はかさんだが、しかし愛するKIYOSHI YAMAKAWAのためにこれぐらいのことは出来なくてどうする。私は店員に向かって壁のKIYOSHI YAMAKAWAのレコードをすべて借りたいと言い、そして会員証を作って代金を支払うと、袋に入れてもらったKIYOSHI YAMAKAWAの五枚のレコードを持って家に帰った。

 家に帰ってジャケットからレコードを取り出した途端、年季の入ったポリ塩化ビニールの匂いがツンと鼻を突き刺した。その匂いは私にKIYOSHI YAMAKAWAが生きていた当時の雰囲気を想像させて、何故か懐かしい気分になった。そしてレコードをプレイヤーにかけると、いきなりKIYOSHI YAMAKAWAのボイスがCDよりも遥かにダイレクトに私の耳に届いた。彼のボイスはCDよりも遥かに生々しく人間の熱いうめきを感じさせる。私は彼のボイスを聞きながら、『ミュージカル・マッサージ』『セクシャル・ヒーリング』などソウルの名盤のタイトルを思い浮かべていた。彼のボイスはまさにミュージカル・マッサージであり、セクシャル・ヒーリングだった。私はKIYOSHI YAMAKAWAの熱く激しく、そして優しいボイスに一晩中愛撫されていた。

 翌日、私は一晩中セックスした後のような気だるい気分で目を覚ました。そして虚ろな目で何故か隣に誰かいないかとベッドを見た。しかし見てもそこにはKIYOSHI YAMAKAWAのレコードがあるだけだ。私は頬を叩いてベッドから抜け出してシャワーを浴びた。そしてさっと着替えてバッグを持つと、仕事場に向かって駆け出した。KIYOSHI YAMAKAWAの取材に行くために。
 編集部につくと編集長から呼び出され、昨日私が送ったはずの取材要請のメールが相手方に届いていないと言われた。なんでもホームページの更新自体が10年も前の事らしく、アドレス自体も間違って入力されているかも知れないと言うことだった。
「まあ、古くせえ演歌の事務所だし、PC扱える人間なんかほとんどいねえみたいだから、もう電話で対応するしかねえよ。お前電話かけろ。だってこれはお前の仕事なんだから責任を持ってやり遂げろよ!」
 そう編集長にハッパをかけられた私はこれもKIYOSHI YAMAKAWAのためと思い、震える手で受話器を手に取って電話をかけた。なんと言っても相手は芸能界の大物後川清なのだ。インタビューすると言っても何から話を切り出していいか分からない。私は話せばわかるという2.26事件で殺された政治家の言った言葉を思い出し、緊張しながら相手が出るのを待った。しばらくすると相手が出た。野太い声の男だ。私は受話器を持った手が震えるのを押さえながら用件を言った。すると、電話口の相手はいきなり怒鳴りだした。
「ああん?いきなり電話してきたと思ったらインタビューさせろだあ?お前、誰に向かって話してると思ってるんだゴラァ!お前なぁどこの雑誌のもんだ!後川さんに挨拶するんなら菓子ぐらい持ってくるのが常識じゃねえか!ああん?音楽サイトのSOUL MACHINE?なんだそりゃ!で、その韓国機械さんが何のようなんだ!えっ、キヨシヤマカワ?何だソイツは!昔うちの事務所にいたぁ?知らねえよバカ!なんで後川さんにわざわざそんな奴の事聞くんだゴラァ!」
 けんもほろろの対応だった。私は一方的に相手に押され、ずっと相槌を打つしかなく、やっと向こうの話が終わってのでこちらの言い分を説明しようとしたら突然電話が切られてしまった。さすがにいきなり電話したのはまずかったかもしれないと今では冷静に考えることが出来るけど、その日の私は悔しくて悔しくて思わず編集部の奥にあるスピーカーの音量を最大にしてジェームス・ブラウンの『セックス・マシーン』をかけまくってみんなに怒鳴られた。その後も後川清とは何度かコンタクトを取ろうと試みたけど、電話にすら出ずガチャ切りされる始末だった。

 それからも私はKIYOSHI YAMAKAWAの取材を続け、いろんなつてを当たったが、彼の新情報は何も発見することが出来なかった。唯一彼と会ったことのあるOSIGIクンに再度KIYOSHI YAMAKAWAの事を聞いても、彼はKIYOSHI YAMAKAWAの住所も知らず、連絡もとっていないと言う。そして私に向かってもう一度警告するようにこう言った。『KIYOSHI YAMAKAWAは二人いるんだ!姉さん気をつけろよ!』

 私はKIYOSHI YAMAKAWAを求めて取材を続けているうちに、もしかしたら、彼は蜃気楼のようなもので世間からその身を守っていると思うようになった。私のような特に音楽的な才能のない普通の音楽ファンは、蜃気楼に遮られて決して彼には近づけないのだ。OSUGIクンが一回だけでも彼に会うことが出来たのは彼が才能あるアーチストだったからだ。もしかしたらKIYOSHI YAMAKAWAはこのままみんなにほっとかれるのを望んでいるかも知れない。昔のとある有名な人が言った言葉がある。『芸術は作者が死んでから初めて生き始める』KIYOSHI YAMAKAWAが残したアルバムもそうだろう。KIYOSHI YAMAKAWAは音楽的にはとっくの昔に死んだ人間だが、彼のソウルが詰まったアルバムは今確かに生き始めている。その圧倒的な官能性に満ちたソウルは私たちを幸福に導き、しばしこの世知辛い現実を忘れさせてくれる特効薬になるだろう。私はこれからもKIYOSHI YAMAKAWAを追うつもりだが、今は一旦この連載を閉じることにする。読者の皆さん、本連載に短い間でしたがお付き合いいただきありがとうございます。またどこかでお会いしましょう!

*

 上曽根愛子の連載はここで終わっている。彼女はその後もKIYOSHI YAMAKAWAの取材は続けると本文で書いているが、しかしそれから彼女の書く記事にはKIYOSHI YAMAKAWAの名前が一言も出なくなった。彼女はそれからいつものように昔のソウルや最新のR&Bについて語り、邦楽について全く触れなくなった。邦楽で触れるのは個人的に交流のあるDJ.OSIGIぐらいのものだ。彼女はKIYOSHI YAMAKAWAのことなど忘れてしまったのか?いや、忘れていなかった。彼女はKIYOSHI YAMAKAWAについてそれからも書いていた。しかし彼女はそれを絶対にあらゆる媒体に載せることを拒否した。これから紹介するのは彼女の特別の許可を得て初めて公開されるKIYOSHI YAMAKAWAとの対面記事だ。みんな心して読んでくれ! 

SOULへの果てしない旅~KIYOSHI YAMAKAWAを求めて 最終章 上曽根愛子

 奇跡とは得てして予想外の方向からくるものだ。いや、来るべきところから来たら奇跡ではないか……。というツッコミは置いといて本題を始めよう。私が編集部でいつもどおり記事を書いていたら、突然電話がかかってきた。私が電話に出ると、後川清の所属の事務所のものだと名乗ってきたのだ。私は毎日後川清の事務所にキッチリ一時間ごとに電話をかけていたので、とうとう警察に訴えるという脅迫かなと思いビクビクものだったのだが、電話口の人はいつものあの怖い人ではなくて声の感じからしてお年を召した方で、なんだか話の分かりそうな人だと感じた。私がどういうご用件ですか?と聞くと、その人は私にアンタが何度もキヨシについて取材を申し込んでいる人かい?逆に聞いてきたのだ。私はもしかしたら警察沙汰になるのかもと怖くなったけどしかし答えなくてはいけないので、ためらいがちに「そうです」と一言だけ言った。するとその人はこう答えた。
「この間うちの若いもんから後川の兄貴にキヨシヤマカワの事が聞きたいって電話がやたらかかってくんだって言われてね。で、その野郎がキヨシヤマカワって誰ですかとか俺に聞いてきやがるから、オマエ指でも詰めるかコラ!って叱ってやったんだよ。したらその野郎はそれだけはやめてください!とか言って泣きやがってよ!全く今時の若えもんは根性がねえ!いくらこっちが冗談で言ってもドスとまな板持ってきて指詰める気概がなきゃ極道なんて……。いやこれも冗談だよ。うちはいたって品行方正な芸能プロダクションですよ」
 よく喋る人だった。私は彼の話を聞いて私はKIYOSHI YAMAKAWAはとんでもないところにいたんだと思ってゾッとした。しかし悪くない感触だとも思った。私はあらためて後川清にインタビューさせてくれるようお爺さんに頼んでみた。しかし、お爺さんはそれは出来ないとピシャリと断ってきた。その後お爺さんは続けて私に言った。
「まぁ、俺は昔キヨシのマネージャーをやってたんだが、キヨシの奴が後川の兄貴と揉めちまってなぁ、それ以降兄貴とキヨシは完全に絶縁状態になっちまって、キヨシは芸能界を追われてアメリカかどっかに旅立っちまったけど、兄貴は未だにそのことでキヨシにたいして根にもってるんだな。アイツが俺の前に現れたら下駄でぶん殴ってやる!って言ってな」
「あの後川さんとKIYOSHI YAMAKAWAが揉めた理由ってなんでしょうか?」
「知らねえな!二人とも真相話してくれねえしな。でも又聞きだけど誰かが噂してたのは聞いたな。キヨシが調子に乗ったか知らんが後川の兄貴の前でこんなこと言ったらしい。『俺はソウルをやるためにこの世界に入ったんでムード歌謡曲やるために入ったわけじゃねえんだよ!』ってな。本当に兄貴に対してそんな事言ったとしたらとんでもねえ話だ!指詰めじゃ済まねえぜ!いや……なんか別の人間のことも混ぜて話しているような気がしてきたな。俺もボケが入ったかな?まぁそんなわけで後川の兄貴はおたくのインタビュー受けねえからな。済まねえ」
 私はそれを聞いてもうこれ以上インタビューのお願いをしても無駄だと思ったので、「今日はいろいろなお話しを聞かせていただいてありがとうございます。貴重なお時間を割いてしまって申し訳ありませんでした。と言って電話を切ろうとしたのだが、その寸前だった。突然お爺さんが電話口から私を呼んだのだ。私が慌てて下ろしかけた受話器を取ると彼はこう言った。
「おい、アンタ!そんなにキヨシについて知りたいならいっそ本人に会ってみたらどうだい?」
 お爺さんの言葉を聞いた途端、私は思わずデスクから立ち上がった。というより飛び上がった。KIYOSHI YAMAKAWAに会える?正直に言って今まで会えるとさえ思っていなかった。なんてことだろう。KIYOSHI YAMAKAWAは蜃気楼のようなもの。彼に会えるのはたとえばOSUGIクンのような音楽的な才能に恵まれた人だけ。私は連載『SOULへの果てしない旅~KIYOSHI YAMAKAWAを求めて』の最終回の末尾にそう書いたけど、もしかしたら私のKIYOSHI YAMAKAWAを深く知りたいという思いが彼の蜃気楼を晴らしてくれたのかもしれない。逸る心を押さえられなくなった私はいつの間にか「あなたはKIYOSHI YAMAKAWAの居場所をご存知なんですね!彼はどこにおられるのですか!」と必死で居場所を教えてくれるよう頼んでいた。お爺さんは丁寧に居場所を教えてくれ、記入に間違いがないように復唱までしてくれた。私はお爺さんに何度もありがとうございます!とお礼を言った。そんな私にお爺さんは電話を切る前にこう言ってくれた。
「キヨシのやつも幸せだよ。アンタみたいな若い子がこんなにまで自分に夢中になってくれるんだからな!」

 私はその翌日KIYOSHI YAMAKAWAが住んでいるらしい横浜の外れの寂れた街に向かった。ここは一応繁華街らしいが、いくつかの店は潰れており、華やかさなど見る影もない。本当にこんなところにKIYOSHI YAMAKAWAはいるのだろうか?いや、いそうだなとも私は思う。アメリカに行ったはいいが、彼のソウルはアメリカでも受け入れられず、しかたなしに日本に戻ってきて自暴自棄になって落ちぶれた男がたどり着いたのがこのうらぶれた街だった。というストーリーは容易に描けるからだ。私はKIYOSHI YAMAKAWAの居場所を求めて繁華街を彷徨っていたが、途中キャバクラのスカウトらしき男が私に向かってティッシュを配ってきた。真っ昼間なのに忙しいことだ。私はスカウトに向かってティッシュをフリスビーみたいに投げ返してやった。そういえば、いつか会った男の子もシティポップの帝王とか言う人のレコードをフリスビーみたい投げて割ったんだっけ?私は何故かそれを思いだし道中で思わず笑ってしまった。そして更に奥に行くと、より陰惨な光景が私の前に現れた。落書きがそこら中に描かれ、崩壊寸前の店が並んでいる。おそらくKIYOSHI YAMAKAWAがいるのは、お爺さんを信じるとするならば、この辺だろう。私は左右を確認して彼がいるらしい店を探す。すると私から右の店上の壁にKIYOSHI YAMAKAWAの文字が描かれている大きめの看板が見えた。

『シティポップ●●シンガーKIYOSHI YAMAKAWAのカラオケ教室! 生徒さん随時募集中!』

 この看板を見た瞬間、私は幻滅や失望よりも深い悲しみを覚えた。こんなことだったら会いに来なきゃよかったとさえ思った。看板には下手くそな字で上記のような宣伝文が描かれ、その下手くそな字の宣伝文をよく見るとシティポップの次の部分が明らかにペンキかなにかで消されており、その上にこれまた下手くそな字でシンガーの文字が上書きされていた。多分元はあの酷いキャッチコピーそのままにシティポップのキングとか描かれていたにちがいない。おそらく後で自分で恥ずかしくなって消したのだ。なんてことだろう。あのKIYOSHI YAMAKAWAがカラオケ教室なんかやっているなんて。なんてことだろう。あれほどシティポップを嫌っていたのに、シティポップが注目された途端シティポップにすがるとは。私の知っているKIYOSHI YAMAKAWAはこんな人間だったのだろうか。ソウルを愛しその音楽活動をソウルシンガーとして全うし、そして日本の芸能界や音楽会に失望して、アメリカに本物のソウルを求めて旅立っていった男。私の知っているKIYOSHI YAMAKAWAはそんな情熱あふれる男だった。こんな昔の肩書を使ってカラオケ教室なんかやる男ではなかった。彼は昔の彼ならず。と誰かが言った言葉が私の頭の中に浮かんでくる。だけど私はそのまま彼に会わずに帰ることは出来なかった。どうしてもKIYOSHI YAMAKAWAには会っておきたい。それが失望しか生まぬにしても。
 店のドアは半開きで開いている。おそらく昼間だし客もいないだろう。私は勇気を出してドアを開けて中に入った。
「失礼しま~す」と私は恐る恐る店に入ったが、その時ガタッと誰かが椅子から立ち上がる音が聞こえてそれから暗闇の中から私に向かって誰かが怒鳴った。
「誰だ!」
 男の声だ。私が突然の怒鳴り声に動揺して何もいえずにいると男が再び怒鳴ってきた。
「おい!カラオケ教室は今日は休みだぞ!店も開けてねえんだからさっさと出ていけ!」
 私は追い出されたら取材がパーになると思い慌てて言った。
「と、突然入って来てすみません!あ、あの、あなたはKIYOSHI YAMAKAWAさんですか?」
 男は「そうだ」と答え、ライトを付けるために壁の方に歩いていった。しばらくするとパチンという音とともに店内が映し出された。想像した通りの寂れた店だ。そしてその店の壁際に立っている老人があのKIYOSHI YAMAKAWAだ。私は彼の姿がジャケットと雑誌で見たのとあまりにもかけ離れていることに衝撃を受けた。歳月はこうまで人を変えるのであろうか。もう昔のあの舘ひろし似の端正な顔はどこにもない。たしか彼は舘ひろしよりも年下だったはず。やはり一線を降りると人は変わってしまうものなのだろうか。今ここにいるのは若干太り気味の金の太いネックレスを付けた服装のやたら派手な老人でしかない。そんな彼を見ていると、私は急に彼が憐れに思えてきて、彼がアメリカに旅立ってから今までどうやって生きてきたかを知りたくなった。取材する決意を固めた私はKIYOSHI YAMAKAWAの目の前で自己紹介した。
「あの、私音楽サイトのSOUL MACHINEの上曽根愛子といいます。今回はYAMAKAWAさんの取材がしたくてお邪魔したんですけど、お時間大丈夫ですか?」
 私の自己紹介を聞いてKIYOSHI YAMAKAWAの表情が急に固くなった。やはり取材は無理なのだろうか。私はしばらく彼の表情を伺って確かめた。やがてKIYOSHI YAMAKAWAはニヤッと笑って言った。
「別にいいけど。どうせカラオケ教室も休みだしな。夜までなら時間はあるぜ」
 その不敵な表情に現役時代に醸し出していただろう、雄のフェロモンを感じて私は一瞬たじろいたが、気を取り直して取材を始めることにした。
「あの、YMAKAWAさん。私ずっとあなたの取材をしてきて、関係者にあなたの事をいろいろと聞いてきたんです。まずあなたが昔仲良くしていた山上達郎さん、達郎さんはあなたのことをすごく評価してました。あんなにソウルの事を理解して、表現出来る人は日本にはいないって」
「おお!達ちゃんか!アイツそんな事言ってたのか!確かにソウル料理のことをアイツに教えてあげたからな!」
「ええっと、次にDJ.OSUGIクンです。YMAKAWAさんは彼に会ったことありますよね?彼とコラボする話まであったとか」
「ああ!あのガキか!アイツ何を血迷ったか俺の曲をミックスジュースにするとか言って全く違う曲寄越しやがったんだ!今でも腹が立つぜ!あのガキにはよ!」
「ミックスジュース?それってRemixのことですか?」
「何でもいいんだよそんなものは!俺がいいたいのはあのガキが持ってきたのが俺の曲じゃなかったってことだよ!俺が金がねえからって人の足元見やがって!しかも俺が奴に本物の歌を聴かせてやったら、奴はそんな歌じゃねえとか抜かしやがった!全くどこまでも舐め腐った野郎だ!」
 KIYOSHI YAMAKAWAによるOSUGIクンへの汚い罵倒を聞きながら私はOSUGIクンの言ってた『KIYOSHI YAMAKAWAは二人いる』という言葉を思い出した。確かにそうだ。この人は唖然とするほど極端な二面性を持っている。まるでジキルとハイドのようだ。ひとりは純粋なソウルの心を持った男。もうひとりは、今私の目の前にいる、人の真摯な質問を笑えない親父ギャグであざ笑い、手を差し伸べてくれた人間を口汚く罵る金に汚い男だ。しかし私はOSUGIくんほどナイーブではない。前にも書いたけど人を騙したこともあるし、人に騙されたこともある。人間がきれいな水でいつまでも生きることは出来ないことぐらいわかっている。私はここまで悪様に罵られているOSUGIクンのために彼がどれだけシティポップミュージシャンとしてのKIYOSHI YAMAKAWAを愛しているかを教えようとした。
「だけど、彼はあなたをリスペクトしてたんですよ!シティポップミュージシャンとしてのあなたを!」
「シティポップだぁ!」
 あたりをつんざくようなKIYOSHI YAMAKAWAの叫びがガランとした店内に鳴り響いた。私はあまりの大声に思わず耳を塞いだ。私と彼はそのまま一言も言わずにしばらく睨みあっていたが、やがてKIYOSHI YAMAKAWA私から目を逸らし、額に手を当ててこう呟いた。
「情けねえよな……。お嬢ちゃんも今そう思ってるだろ?シティポップなんかゴミだと思ってるのに、今じゃそのシティポップの看板掲げなきゃ食ってけねえんだもんなぁ!」
 このKIYOSHI YAMAKAWAの突然の告白に私は目頭が熱くなるのを感じた。ずっとソウル一直線でやってきた彼が食べていくために自分の忌み嫌っているシティポップの看板を掲げなきゃいけないなんて。私はKIYOSHI YAMAKAWAに向かって彼を慰める意味合いも込めてこう聞いた。
「YAMAKAWAさん、ソウルミュージシャンとして活動していたあなたにとってやっぱりシティポップは音楽として認められないものだったのでしょうか?」
「その通りだ。あんな魂の感じねえものはねえ!あれは坊ちゃん向けのおもちゃだ。アイツらは俺みたいに血反吐を吐きながら声を絞り出して歌ってねえんだ!大体あんな坊ちゃん連中にまともな歌が歌えるわけねえんだ!俺は中学を出てすぐに集団就職で東京に上京したんだ。それから船町徹先生に弟子入りしようと三日三晩門の前で座ってた。その後北風三郎親分のパンチの縫い付けまでやった。地方のキャバレー廻りはトラブルの連続だった。歌が下手だって酒ぶっかけられたことだってある。ギャラをピンパネされたことだってある。一番酷かったのは歌ってる最中に客の中にいた対立していた組の組員がいきなりドンパチ始めちまったことだ!あのときは頭に弾丸がかすめてもうちょっとで死ぬところだった。アイツらそんな経験したことねえだろ!だからアイツらの歌は心に響かねんだ!」
 私はKIYOSHI YAMAKAWAの壮絶な半生を聞いて、だからあんな深い人間そのものを感じさせるようなソウルが歌えるのかと思った。彼の半生は一種の演歌的なエピソードの連続だが、それは公民権運動の頃の黒人も、そして今なお差別に苦しむ黒人にもある共通のエピソードだ。その環境から脱出するために黒人たちは喉を振り絞って歌い続け、そしてソウルを愛するKIYOSHI YAMAKAWAもまた同じように喉をふり絞って歌っていた。彼は話を続けた。
「でも惨めなもんだぜ。自分の出したレコードは全く売れなくて、事務所とレコード会社に騙されてシティポップなんてガキのおもちゃみてえなことやらされてよ。それでもダメでいろいろあってアメリカくんだりまで出かけてよ。で、アメリカでもラスベガスで歌えなくて、結局カジノですっからかんになって日本に戻ってきたんだ。結局俺の人生ってなんだったんだ!今まで俺が魂込めて歌ってきた曲が無視されて、今になってあんなゴミみたいなシティポップのアルバムが注目されるなんてよ!まるで恥の上塗りじゃねえか!」
 そう叫ぶなりKIYOSHI YAMAKAWAはテーブルを思いっきり叩いた。私にはその叩く音が彼の心の痛みに思えて辛かった。私は彼に今は何をやっているのか聞いた。するとKIYOSHI YAMAKAWAは顔を上げて今はこのバーで夜の営業と昼間はホステスを相手にカラオケ教室をやっていると答えた。
「まぁ完全に余生さ。最近マネージャーやってた女にも愛想尽かされて逃げられちまったし、俺には何もねえんだ。俺はもう二度と自分の歌を歌うことはねえ。ただ恥を忍んで昼間に昔の名前でカラオケ教室をやって小遣いを稼ぐだけだ」
 私は彼の人生を全て諦め切った言葉がたまらなかった。あのソウルシンガーKIYOSHI YAMAKAWAがこのまま人生からフェイドアウトしていくのを見たくはない。私はいつの間にか彼に向かってこう叫んでいた。
「バカ!あなたはあのKIYOSHI YAMAKAWAでしょ!今みんなあなたに注目しているのよ!私がなんでわざわざこんなところまで会いに来たかわかる?それはあなたを必要としているからよ!私だけじゃない!あなたのボイスを愛する人たちみんなあなたがもう一度歌ってくれるのを願っているの!ねえ歌ってよ!もう一度歌って見せてよ!」
 KIYOSHI YAMAKAWAは私の言葉を聞くと俯いて黙りこくってしまった。そして震える声で小さく呟いた。
「お嬢ちゃん、でも俺自分の歌なんて殆ど忘れちまったぜ……」
 私を席を立ってKIYOSHI YAMAKAWAのすぐそばに立った。そして彼を抱きしめて彼の耳元で優しく囁いた。
「いいの、なんでもいいのよ。あなたの覚えている曲を歌ってくれれば」
 KIYOSHI YAMAKAWAはハッとした表情で私を見た。私の間近に顔の至る所に人生の苦渋のシワを刻んだ男の顔がそこにあった。彼は照れたように私から顔をそらしてその身を離すと「お嬢ちゃんのために歌うよ」と言って店の奥に入って歌う準備を始めた。危うかった。もう少しでKIYOSHI YAMAKAWAとキスするところだった。

 やがて歌の準備を終えたらしいKIYOSHI YAMAKAWAがラジカセとマイクを持ってやってきた。左腕にも何か抱えていた。形からすると恐らく自分のレコードだろう。私は彼がやはり過去を忘れていない事を嬉しく思った。彼の持っているレコードが『SOUL TWO SOUL』だったらどんなに嬉しいだろう。あの甘いセクシャルな響きをもったボイスを生で聴けたら……。だが過度の期待は禁物だ。今ここにいるのは三十年以上現役から離れている、しかも六十代半ばの老人だ。今、彼はラジカセからテープを取り出し、それをまるで時を戻すかのようにテープの最初のところまでクルクル巻いて戻している。そして、彼は戻し終わったテープを中に入れてラジカセのボタンを押した。ラジカセからノイズが聞こえ、やがて官能的なストリングスが聴こえてくる。そしてKIYOSHI YAMAKAWAは歌い始める!そのソウルフルな声で!

「ああ〜っ♪アヴァンチュール・ナイトぅ〜♪熱海の夜はぁ〜♪」

 な、なんだこれは!私はこの酷すぎる歌とも言えぬ代物に頭が真っ白になった。流石に冗談かと思ったが、KIYOSHI YAMAKAWAはいたって真剣な表情で歌っているのだ。やがて歌い終わった私に向かってレコードのジャケットをバーンと見せながらこう言った。

「聴いてくれてありがとう!これがシティポップの帝王KIYOSHI YAMAKAWAの代表曲『アヴァンチュール・ナイト』だ!」

 このジジイが自慢げに突き出したレコードをみると、その『アヴァンチュール・ナイト』なるレコードのジャケットは、KIYOSHI YAMAKAWAの『アドベンチャー・ナイト』と瓜二つで、ただ帯のコピーが微妙に違うだけだった。帯のコピーはこうだ。『シティポップの帝王登場!スティーリー・ダンの完璧さとボズ・スキャグスの熱いソウルを持つ男が歌う危険な恋のアヴァンチュール!』

 私は今やっとOSUGIクンの言っていることがわかった。KIYOSHI YAMAKAWAは二人いる。それは名前の同じ人が二人いるから間違えるなという意味だったんだ!達郎の言ってた演歌歌手ってのもコイツだ。こんな奴を追ってわざわざこんな辺鄙なところまで来て、しかも抱きしめたりなんかして!私のバカ!バカ!バカ!悔しさが止まらない!するとジジイが涎垂らして私に迫ってきた「今度はベッドでお嬢ちゃんを歌わせてやるぜ!」とか言って私に抱きつこうとしてくる!私は怒りのあまり思わずジジイをぶん殴って店内が揺れるほど叫んだ。

「お前誰だよ!」

SOUL TWO SOUL

 上曽根愛子のKIYOSHI YAMAKAWAを求める旅は惨めな大失敗で幕を閉じた。彼女はそれから記事でKIYOSHI YAMAKAWAについて書くことを一切やめた。しかし独自にKIYOSHI YAMAKAWAの取材は続けており、資料が集まったら出版社に売り込むつもりだった。彼女は取材を続けていくうちに妙な噂話を聞いた。なんでも韓国に今のK-POPの礎を築いた伝説の日本人がいて、その男は今世界で活躍するK-POPのプロデューサー達から多大なるリスペクトを受けているという話だ。所詮噂話なのでその真贋は不明だが、話よるとその男は周りの人間によくこんな冗談を言うらしい。

「俺はソウルで、ソウルを見つけたのさ」


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