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全身女優モエコ 第四部 第十五回:モエコ動揺する!

 私はどうにか最初の難関をクリア出来たことに一安心した。が、まだ仕事は終わらない。次はロケでの収録が待っているのだ。海老島や三日月とはとりあえず離れる事は出来た。しかし本日の収録最大の難関が既に大口を開けて私とモエコを待っているのであった。

『海辺のバイブル』の本日の撮影はこれから二手に別れて行う事になる。上代夫婦とその長女を演じる海老島権三郎三添薫と三日月エリカはそのままスタジオで収録。そして杉本愛美と上代達夫を演じる火山モエコと南狹一はロケ地で収録を行う。私はこのロケを一番恐れていた。このロケに参加するメインキャストはモエコと南だけだ。となると二人はより密に関わる事になる。私は南がモエコを言葉巧みに口説き肉体関係へと持ち込む姿を想像してゾッとした。南は元の杉本愛美役の女優にどう迫ったのか。噂では強姦まがいの事までしたという。もしモエコにそんな事が起こったら……。いや、起こりうる可能性の方が遥かに高い。なぜならモエコは単純な田舎者で芸能界に対して全く免疫がないからだ。彼女は芸能界を煌びやかな世界だと単純に思っており、その世界の闇を知らないからだ。数え切れないほどいる芸能界の悪しき誘惑に取り込まれて身を持ち崩していった人間たち。モエコもその中の一人になるかもしれない。

 先程の演技を見て誰もが火山モエコが天才であることを知ったであろう。私も、モエコの演技を見て改めて彼女は大女優となるべくして生まれたのだと確信した。そのモエコがペラペラなアイドルの南ごときに拐かされて女優生命を断つことがあってはならないのだ。今モエコは楽屋でシャワーを浴びている。私はそのモエコが出てくるのを楽屋の外で待っているのだが、モエコのやつはシャワーに入ったきりいつまで経っても出てこない。そろそろロケ地に出発しなければ集合時間に間に合わない。私はいい加減早く出てこいとドアから怒鳴りつけようとしたが、その時突然南の奴が現れて勝手にドアを開けてしまったのだ。

「モエコちゃん、時間だよぉ〜!おいでよぉ〜!ボクと一緒にピクニックに行こ」

 こう奴はドアを開けるなり楽屋の中にいるモエコに声をかけてそのまま入ろうとした。私はこの無礼者を見過ごす事は出来ず、咄嗟にドアを塞いで奴を止めた。

「おい、君いきなり何するんだい?ボクはモエコちゃんに用があるんだよ?さっさと退けよ!」

「いいえ、お引き取り下さい!モエコはただ今支度中なんです!」

「何モエコちゃんは支度に戸惑っているのかい?じゃあボクが手伝ってあげなきゃ!ホラ、どけよ!オマエなんかお呼びじゃないんだよ!」

「やめてください!南さん!」

 南のバカがドアから私をどかそうと暴れ出したので揉み合いになってしまった。南の奴は意外に力が強く抑えようとしても抑えきれなかった。ああちくしょう!殴れるならとっくにこのエロガキに一発お見舞いしてやるのに!その我々の前に突然バフローブを巻いたモエコが現れた。彼女は濡れた台本を手に私たちを怒鳴りつけてきた。

「アンタたち!モエコが愛美ちゃんにお清めをしている時に何で入ってくるのよ!さっさと出ていきなさいよ!お清めはまだ終わってないのよ!」

「モエコちゃん、そんな大事な時間に来ちゃってごめんね。だけどボク、君に会いたかったんだよ。共演者に挨拶に来るなんて普通だろ?モエコちゃんはそう思わない?」

 私はモエコの一喝を受けて全く平常心でいられる人間がいた事に驚いた。大抵の人間はモエコの一喝を受けるとビビるか激怒するかとにかく平常心ではなくなるのだ。だが南は全く平気でモエコにズカズカ入り込んでくる。モエコもそれに気づいたのだろう。急に自分がバスローブ一枚なのに気づいて顔を赤らめた。ああ!南はそのモエコの表情を見逃さなかった。貪婪な両生類みたいな目でモエコを見つめて中に向かおうとした。だがその時廊下から見知らぬ中年女が自分の名を呼びながらやって来たのを見ると彼は急に止まり黙りこくってしまった。

「キョウちゃん!何やってるのよ!私何度も言ってるでしょ?女は悪魔なんだから騙されちゃダメって!」

 それから女は何故かモエコに文句を言ってきた。

「あなたが代役の子ね?一応自己紹介しておきますけど、私、新しく南狭一のマネージャーになった木達磨政子っていいますの。今後お見知り置きを。あなた、そんなバスローブ一枚の格好なんかして何やってるのよ!あの、うちのキョウちゃんを誘惑したらどうなるかわかってるの?いい?私は今までのマネージャーのように甘くありませんからね。あなた撮影以外の時にちょっとでもキョウちゃんに近づいてご覧なさい。うちの事務所の力で元の役の女優みたいに芸能界に二度と足を踏み入れないようにしますからね。覚悟なさい!」

 この女マネージャーはこう捲し立てるだけ捲し立てると南の耳をつまんで共に去っていった。私は心配になってモエコを見たが、彼女はあれほど大事にしていた台本を床に落としたまま胸元を押さえて呆然と立っていた。何という事だ。あれほど何事にも動じないモエコがこれほどなまでに動揺するとは!モエコよ!しっかりしろ!私は慌ててこんな事に動揺するんじゃない!と思いっきりモエコの肩を揺さぶったが、突然我に返ったモエコに平手打ちを食らわされて部屋から叩き出された。

 そうしてそれからも色々ありすぎていちいちここでは言えない揉め事があった後、私はようやく車にモエコを乗せてロケ地まで向かった。モエコはいつの間にかすっかり元通りに戻っていた。彼女ははじめてのロケで舞い上がっており、ああ!一般のファンの方にサインねだられたらモエコどうやって断ったらいいでしょうとか、車に載っている間モエコはずっとこんなおめでたい妄想をずっと喋り続けていた。

 やがて車はロケ地に着いた。私は指定された駐車場に車を停めたのだが、近くには撮影機材の運搬車が何台も止まっており、スタッフたちがそこから機材を運んでいた。私はまさか南はそばに止まっていないだろうなと思い周りを確認したのだが、その時後ろからクラクションが鳴った。私はゾッとして後ろを見たのだが、ああ!後ろの車には助手席に乗った南がモエコに手を振っていたのである。木達磨とかいうマネージャーも運転席に座っていた。彼女はクラクションを鳴らした南を叱り飛ばしている。私はこの女マネージャーが先程言った言葉を思い出してゾッとしたが、しかし同時にこのやたらと厳しそうなマネージャーが南狭一のお守り役をしてくれる事に感謝もした。彼女が南を監視していればモエコには何も起こらない。このまま何事もなくドラマ撮影を終える事が出来ると安心した。一方モエコはそんな私の心配など全く素知らぬ素振りで並ぶライトの列や、立て付けられるクレーンや、そこに登ってテストをするカメラマンを見ていた。彼女は興奮のあまりあたりに響きすぎるほどのデカい声で叫んだ。

「ああ!あの眩しいライト!そしてクレーンに乗ったカメラマン!みんなモエコを撮るために呼ばれたのね!モエコ行かなくちゃ、あの眩しいライトとカメラの下に行かなくちゃ!今すぐに!」

 そのモエコの大声でライトは倒れかけ、クレーンは揺れ、クレーンに乗ったカメラマンは落ちかけた。だがモエコはそんな事を気にせずクレーンの元に向かい、クレーンを揺さぶったてカメラマンに言う。

「カメラマンさん!今日はモエコを誰よりも美しく撮って!春の目覚めに恥じらうヴィーナスのように。ギリシャの永遠に輝く大理石の彫像のように。今のモエコをあなたのカメラに残して!」

 モエコはそう言うといきなりクレーンを揺らし始めた。カメラマンは大慌てでクレーンに掴みながらオマエ俺を殺す気かとモエコを怒鳴りつけた。私は慌ててモエコを取り押さえようとしたが、しかし完全に浮かれているモエコは蝶のように巧みに私をすり抜けた。ああ!こんな冬空のしたで追いかけっこなどしたくはない。モエコよ!と前を見た時私はモエコが目の前で呆然として立っていることに気づいた。ああ!彼女の目の前に南狭一が立っているではないか。彼は例の両生類みたいな顔でモエコに言う。

「モエコちゃん、はしゃぐのはおやめよ。もう撮影の時間だよ」


 それからモエコはロケバスでメイクと衣装をセットして私と一緒にバスでスタッフの呼び出しを待っていた。ロケバスにはホステス役や客役などを演じる他の共演者たちも乗っていたので、私は早速モエコを連れて役者たちに挨拶に回った。挨拶の時役者たちはモエコを綺麗な子だと褒めた。するとモエコはすっかり調子に乗りサイン書いてあげましてよと言ってマジックを取り出した。しかし役者たちは当然のように全員断った。私はそのモエコを見て南とのことは尾を引いていないととりあえず安心した。その南はあの木達磨とかいうものすごい顔した女マネージャーの監視のもとに自分の車で待機していた。

 腕時計が16時をまわった頃、ようやくスタッフが私たちに撮影準備が出来たことを伝えてきた。モエコはそれを聞くなりすくっと立ち上がり、「さあ、皆さんモエコについていらっしゃい!」と呼びかけたが、役者たちは彼女を鼻で笑って各々勝手に出ていった。本日一本目の収録現場であるキャバレーだが、このキャバレーは芸能関係者御用達の店らしく、本日は貸切で使う。恐らく撮影が終わった後でスタッフがあんなことやこんな事、それこそ週刊誌に取り上げられたら大変な事をするのだろう。私は先立ってバスを降り、続いて降りてくるモエコを見守った。彼女はいつものように自信満々な足取りでバスを降りてくる。私はそのモエコを見て改めて彼女を守らなければならぬと自分に誓った。



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