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《連載小説》全身女優モエコ 上京編 第二話:モエコの女優宣言
前回 第一話:派手なドレスの少女 次回 第三話:久しぶりの再会
猪狩はこの時白星真理子がモエコに声をかけてくれた事を後々まで感謝していた。この心優しい女性がいなかったら彼が火山モエコのマネージャーになる事はなかったし、大袈裟でもなんでもなく全身女優火山モエコの誕生はなかったと思うからだった。なぜならもし真理子が声をかけなかったらモエコはそのまま九州の田舎に送り返されていただろうし、そこでひょっとしたらあまり幸せでない人生を送っていたかもしれないのだ。しか今にして思うと真理子はこの時すでに女優としての勘でモエコに対して女優のオーラを感じ取っていたのではないかと。
真理子に促されて少女は桧山萌子と自分の名前を言うと涙ながらに自分の過去を話しはじめた。モエコは身振り手振りを交えて自分の過去を話していたが、聞いている内に私も真理子もいつの間にかモエコの話に飲み込まれていた。モエコの話の内容は冷静に考えれば俄かに信じられぬものであるが、その話を切々と語る彼女の口調には異様な真実味があった。まず生い立ち、どうしようもない毒親、テレビから始まるあまりに悍ましいお友だち遊び、文化祭でのシンデレラ、高校時代の演劇大会での惨劇、そして火山の噴火で故郷の村が焼かれ、身一つで上京してきた事。彼女は話しながら溢れる涙を何度も振り払い、そして何度も休憩を挟みながら、とめどなく語るのだった。そしてひとしきり語り終えた後、モエコはすくっと立ち上がり拳を振り上げてこう言ったのだった。
「モエコは女優になるために東京に来たの!だってモエコは女優になるために生まれてきたんだもの!」
モエコのこの力強い女優宣言に猪狩と真理子は驚きのあまり呆然としてしまった。彼女の言い放った言葉にその場にいた人間も立ち止まって女優宣言をした派手なドレスを着た少女を見つめた。その時の猪狩はモエコのこの自身がどこから出てくるものなのか全くわからなかった。だがそう語るモエコには頭のおかしい少女の妄想とは片付けられぬ絶対的な確信が感じられたのは彼は今もはっきりと覚えている。それはモエコと相対していた真理子もそうだった。彼女は猪狩よりも遥かに強くこの少女に圧倒されていたようであった。のんびりやであまり自己主張しない真理子が猪狩に向かって珍しくハッキリとした口調でこう言ったのだ。
「猪狩さん、この子うちの事務所で預ることできない?私なんだかそうしなきゃいけない気がするの?」
「真理子、お前何言ってるのかわかっているのか?お前も大学行ってるんだから少しは社会の事は知ってるはずだろ?こんな身元不明の子供を連れて行くなんてできるはずないだろ!事務所だってそんな事許しちゃ……」
「まぁ!あなたがモエコをどこかに連れて行ってくれるの?モエコ嬉しいわ!東京でいきなりお友達が出来るなんて!ああ!田舎じゃお友達なんて誰ひとりいなかったわ!私が可愛すぎるからブサイクな田舎の子は私に嫉妬していぢめたの!ああ!私ほどじゃないけどあなたも可愛いわ!大人っぽいって言うか、この山の天然水のように美しくて可愛い私が思わず憧れてしまいそうだわ!」
真理子とモエコは猪狩の言葉など全く聞いておらず、二人でキャッキャと盛り上がっていた。モエコは真理子の言葉にすっかり感激して、彼女に感謝の言葉を言って歓喜のあまり彼女に抱きついた。都会人の真理子はモエコのあまりどストレートな感情表現に戸惑ったが、まんざら悪い気はしなかったようだ。真理子はモエコの肩を抱きながら私に言った。
「ほら猪狩さん、この子もこんなに喜んでるんだし、一緒に連れて行ってあげようよ」
これが全身女優火山モエコの生涯唯一の友達であった白星真理子との出会いであった。猪狩はその時無邪気そのものの表情で真理子に抱きつくモエコと、そのモエコに対して照れたように微笑む真理子を見て妙に心温まるような気分になった。彼女たちを見ているうちに猪狩もモエコを真理子と同じようにモエコを一緒に連れて行った方がいいような気がし始めてきた。この時すでに運命は動いていたのだろう。モエコが女優になるために生まれてきたと宣言した時からモエコと猪狩のゆく道は決められていたのだ。猪狩は軽く舌打ちをしてから二人に言った。
「ちっ、仕方がねえな。とりあえずこのガキも連れて行くか。ピーピー流れちゃたまらねえからな」
とはいっても、その時の猪狩には実の所、この派手なドレスを着た少女を連れてどうするかなどほとんど考えていなかった。勿論猪狩はモエコの存在に尋常でないものを感じてはいた。だがそれとこれとは別である。現実問題としてこんな身元の怪しい少女を連れてゆくことなど本来あってはならない事だ。しかしその猪狩が白星真理子に同調してこの少女を連れて行こうと決心したのは、彼女に対する憐れみではなく、真理子と同じようにモエコに何か得体のしれないものを感じていたからであった。その得体のしれないものがなんであったかはもはや語るまでもあるまい。あの時猪狩が女優になりたいとのたまう田舎の無邪気な少女の中に垣間見たものは後の全身女優火山モエコの姿だったのである。
そういうわけで猪狩はこの派手なドレスを着た少女をとりあえずは一緒に連れてゆくことにしたのだった。この私の決断に二人は喜んだ。普段あまり感情を出さない真理子が珍しく喜びをあらわにして、モエコによかったね〜、と頭をナデナデすると、モエコのヤツも大袈裟な身振りであなたは地上に降りてきた天使よ!と言って真理子に涙ながらに感謝して抱きついていた。猪狩は彼女たちに事務所にモエコの事を報告するために電話してくると言って二人をその場に待たせて駅の公衆電話へと向かった。二人は猪狩の不安げな表情を読み取ってか、彼を心配そうな表情で見ていたが、いざ猪狩が電話をかけてみると、やっぱりというか断られるどころか思いっきり怒鳴りつけられた。
「ゴラァチンポ野郎!おんどれ、ガキ連れて何しとるんじゃボケ!ウチの事務所は保育園やないんやぞ!さっさとそのガキ捨ててこんかい!こんかったらお前の指詰めるぞ!……って事を絶対社長は言うからさっさと子供は駅員に預けるなり警察に突き出すなりしといてね!」
あまりの剣幕に猪狩は電話中ずっと受話器を持つ手の震えが止まらなくなってしまった。散々怒鳴られ尽くした猪狩はの震えを押さえながら受話器をかけて二人の元へ戻ろうとしたのだが、振り返った途端目の前に二人がいたので驚いてしまった。
二人は無言で猪狩を見た。恐らくさっきのやり取りを全て聞いていただろう。真理子はそばで震えるモエコを抱えながら私に問いたげに見ている。そしてモエコは再び目に涙を溜めながら今にも泣き出しそうな顔で、猪狩が連れていけないと言おうものなら、すぐさま大袈裟な身振りで崩れ落ちようとしていた。ああ!今にして思えばその時のモエコの心情は痛いぐらいにわかるのであった。恐らく彼女は電話口で自分の運命が決めらようとしている事を察したのだ。もし猪狩が事務所の言う通りモエコを駅員か警察にでも突き出そうとしたら彼女はすぐに線路から飛び降りていただろう。それはのちにモエコ自身が猪狩に散々言っていた事だ。
「ああ!猪狩ちゃん、あの時アンタが私を駅員に突き出そうとしたなら、私はアンナ・カレニーナのように線路に身を投げていたでしょうね。そして今頃は多分幽霊になってあなたを呪い殺していたかも知れないわ」