刹那先生
「わからないことを無理にわかろうとしなくていいの。それはあとでわかることもあるし、一生わからないかもしれない。だけど人生なんてそんなものだよ。何もかも理解できたり、何もかも手に入れたりできないんだから」
刹那先生はたまに切ない表情で僕らにこう言っていた。僕たち男子はこんなことを切ない表情で語る刹那先生にときめいたものだ。それは初恋だったのかもしれないし、あるいはただの憧れだけだったのかもしれない。いずれにせよ、ハッキリ言えるのは刹那先生が当時の僕らにとって一番近くにいた大人の女性だったということだ。
僕は刹那先生の語る人生論は納得できたもののやっぱり少し反発した。そんなのただの諦めじゃないかって反論したくなったことだって何度もある。刹那先生なんでそんな切ない顔で人生を諦め切ったこと言うんだよ。先生だってまだ若いじゃないか。他の女教師みたいにババアじゃないだろって言ってやりたかった。理解することを諦めちゃそれで終わりだよ。人は理解しようと努力することで成長するんだって。
でも刹那先生にそう言う勇気も機会もなかった。彼女は二学期の終わりに学校を退職する事になったのだ。最終日の別れの挨拶で刹那先生は今までにないぐらい切ない表情で理解の不毛さを語った。
「今まで私はずっと何かを理解しようとしてきた。だけど気づいたの。私は結局何も理解できないし、何も伝えることも出来ないんだって。全く呆れちゃうよね。こんな人間が教師やってたなんてさ。あなたたちと一緒に過ごした時間は短い間だったけどとでも有意義な日々だった。みんなありがとう。私はあなたたちと過ごしていた日々の中でとても大切なことを学びました。最後に言わせてください。みんなこの学校を卒業してそれぞれの道を歩き始めた時きっと壁にぶち当たると思います。だけどそんな時は私がいつも言っていた言葉を思い出してください。理解できない事は無理して理解しなくていい。それはあとでわかることもあるし、一生わからないこともある。本に正解が書いているかもしれないけど、それをわかるには時間がかかるかもしれないってことを」
こう述べた時の刹那先生は美しかった。夕日に照らされた刹那先生の顔は下手な例えだけどモナリザみたいだったし、本当にマドンナのようだった。彼女は最後に僕らに向かって深く頭を下げて駆け足で教室から去っていった。多分泣くのを見られたくなかったせいだと思う。僕らは刹那先生を追わなかった。ただ自席で呆けていたように立ち尽くしていただけだ。
刹那先生の理解できないことは理解しなくていいという言葉は僕にとって日々重みを増していた。学年が上がるにつれて彼女の言葉は重しのように僕の頭にのしかかってきた。理解できないことは理解しなくていい。あとでわかることもあるし、一生わからないこともある。僕はこの刹那先生の言葉を何度も反芻して考えるのだ。彼女は本当は何を言おうとしていたんだろう。僕は刹那先生が自分の人生への諦めからこんな言葉を発したのかと思っていた。だけど何度も反芻して考えるうちにひょっとしたら彼女は別のことを言おうとしていたのではないかと思うようになった。刹那先生の担当の授業でテストの紙をペラペラとさせながらの切ないため息。自分が差して立たせた僕の答えにもういいわと言った悲しげな顔。僕は大学入試のテストの最中に突然刹那先生の言葉を思い出して頭を抱えた。『理解できないことはしなくていい。あとでわかることもあるし、一生わからないこともあるから』
「ああ〜!九九わかんねえよ!九かける八はなんだよう!こんなことあとで理解すればいいって問題じゃねえよぉ〜!」