《連載小説》全身女優モエコ 上京編 第八話:主役の登場!
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その場にいた全員がこのモエコのこの無茶苦茶で支離滅裂な言葉に圧倒された。当の女優やその他の役者陣、勿論私や真理子も皆彼女を見つめていた。モエコはその場にかがみ込んで誰かが床に置いた台本を手に取った。そして素早くページを捲って読み終えると、何かに取り憑かれたかのように表情を変えた。
「お姉さま酷い!なんでこんなことなさるの?」
稽古場が一斉にざわめいた。皆が今のモエコの演技に驚きを隠せなかった。今のはホントにあの少女が演じたのか?他に誰かがいるのではないか。しかしシンデレラを演じたのは紛れもなくモエコであった。私たちも含めて誰も言葉を発せなかった。ただ真理子が震える声でこうつぶやいただけだ。
「……凄い」
その真理子の言葉に釣られたのか、他の役者陣は一斉に台本を開き始めた。勿論真理子もカバンから台本を取り出した。皆が台本を開いたのを確認すると先ほどの女優はみんなに向かって言った。
「この子の言う通りだわ。私たち役者はいつでも演じられるようじゃなきダメなのよね。みんな、とりあえず今の私たちに出来る事をやりましょうよ」
女優の言葉に皆頷いた。隣にいるあのベテラン役者は先程私に対して言った言葉を謝罪してきた。「あの子をズブの素人扱いして悪かった。あの子とんでもない可能性を持っている。彼女は一体何者なんだ?」
猪狩は初めて見たモエコの演技に役者たちと同じように驚愕していた。彼もまたこの時まで他の人間と同じようにモエコを、何か得体の知れないものはあるが、ただの頭のおかしい田舎者の少女だと思っていた。しかしそれはとんでもない間違いであった。モエコは頭のおかしい少女ではなく、生まれながらの女優であったのだ。
モエコは俳優たちに食らいつくどころか圧倒していた。逆に長年舞台をやっていた俳優たちがモエコに必死に食らいつこうとしていたぐらいである。舞台経験のほとんどない真理子などはついていけずアタフタするだけだった。その真理子に対してモエコの檄が飛んだ。
「真理子!もうちょっと激しい芝居をしてよ!でないとシンデレラの可哀想さがみんなに伝わらないわ!」
そうして稽古は異様なテンションで行われていたが、それは突然の物音で遮られた。一同は一斉に音のした方を振り向いた。するとそこに大勢の人間を連れた派手なドレスをきた小柄な少女が立っていたのだった。彼女は皆を見渡して深くおじきをしてから喋り出した。
「三日月エリカで〜す。皆さぁん、遅れてごめんたそばせ。ホントは真っ先に参上して皆さまをお迎えして差し上げるつもりでしたのに、まぁいろいろありましてぇ。でもようやく解決しましたわ!皆さま、びっくりさせてしまうかもしれませんが、実は演出家の蜂川先生には訳あってやめていただくことになりましたの。蜂川先生の後を継いで演出家になっていただくのは田平ゴリザ先生ですわ。演出も台本もいろいろと変わるでしょうけど、また一からみんなで頑張りましょ!ああ!これでやっと舞台が始められますわ!」
こうして三日月エリカは再びモエコの前に現れた。この三日月エリカこそモエコの生涯の宿敵であった。これから語られるモエコの人生には事あるごとに彼女が現れるだろう。そして大きな壁として立ちはだかるだろう。女優としては勿論、人生そのものに於いても。
三日月エリカがドアを開けて登場した途端、さっきまでモエコとともに稽古に熱をあげていた役者陣は、すぐさま稽古を放り投げて直立不動になってしまった。それぐらい三日月エリカのインパクトは凄まじいものだった。先ほど三日月エリカの悪口を言っていたベテラン役者など緊張のあまり足まで攣って痛いと言って屈み込んでしまった。のんびり屋の真理子などはこの事態にどうしていいか分からずただアタフタするだけだった。三日月はその一同を前にして先程の挨拶をしたのである。挨拶を終えた後彼女はその傲岸不遜な態度で役者陣を見渡した。役者陣も我々もその場にいたものは小柄な彼女の周りを圧するような美貌と、その類い稀なる血統そのままのお嬢様ぶりに皆挨拶すら出来なかった。
モエコもまた皆と同じように彼女の存在感に圧倒されていた。いや彼女が一番三日月エリカの登場に激しい衝撃を受けていた。彼女は本物のお嬢様である三日月を目の当たりにして急に自分が惨めになった。あれほど芸能界に憧れて必死になって舞台に打ち込んでいた自分は何だったのだろうか。今モエコの目の前にいる三日月は圧倒的に光り輝いていた。あの小学校の文化祭のシンデレラ、高校時代の演劇大会のカルメン。彼女が全身全霊で打ち込んできたあの栄光の舞台の日々が三日月の登場とともに急にカビの生えた貧乏くさいものになってしまった。ああ!なんておぞましい!あんな貧乏ったらしいお遊戯に百万以上も費やしていたなんて!モエコは手に持っていたバッグから焼け爛れたシンデレラのドレスと絵本を引きちぎって投げ捨てたくなった。こんなボロっちいものを毎日よく拝んでいたものだわ!まるで浮浪者よ!モエコは完全に三日月に打ちのめされ、やっとのことで立っている状態だった。
三日月エリカはモエコが夢見ていたものを全て持っていた。有り余る財産、女優としての名声、そして悔しいことに認めざるを得ない自分に匹敵する美貌。モエコは美人の真理子でさえ自分より格下に見ていたが、三日月エリカの美貌だけは涙を呑んで認めざるを得なかった。モエコは悔しさに心の中で号泣した。ああ!どうして神様は有り余るお金と名声をこの心の清いモエコじゃなくて彼女みたいな性格の果てしなく醜い豚に与えたの?本当ならモエコがもらうはずだったのに!
すると三日月の後ろからハエみたいな男が現れて手をスリスリしながら挨拶をしてきた。
「皆さん初めまして。私が田平ゴリザです。今回蜂川先生の代わりにシンデレラの演出を務めさせていただく事になりました。こんな大作の演出を務めさせていただくのは初めてですが、皆さんと一緒に三日月さんの初舞台を支えるために全身全霊を尽くします!」
ああ!何という権力への媚びへつらいぶりか!権力の公然たる犬である田山ゴリザは挨拶を終えるといきなり三日月エリカに向かって拍手を始め、さらにスタジオにいたものに対して「さぁ主演の三日月エリカさんに心からの拍手を!」と言って拍手する事を強要したのだ。すると役者陣はさっきまでの悪態とは打って変わって一斉に拍手し始めた。ああ!これも生きるためにはしょうがないことなのだ。人間真っ正直には生きていけない。だから猪狩も無理矢理笑顔を作って拍手し真理子とモエコに拍手する様に促した。真理子は彼の態度に見てとるとすぐさま空気を読んで拍手をしたが、モエコの奴は三日月を睨みつけたまま微動だにしなかった。猪狩はこの事態に慌てふためきモエコに近づいてみんなと同じように拍手をしろと怒鳴りつけようとしたが、その時三日月エリカが喋り出したので足を止めた。
「ああ!皆さんありがとうございます!エリカを快く迎え入れてくれてエリカ感謝感激ですわ!エリカ正直に言ってすごく不安でしたの。あんなわがまま女優なんかに舞台なんかできるわけがない。たかが二世女優が蜂川先生をクビにして何様のつもりだ、美人すぎるからって調子にのるな、なんて皆さんエリカのことを嫌っているかもしれないなんて思ってましたの。だけどそれはエリカの誤解だったようですわ。拍手をしてくれなかった人も、きっと心の中でエリカを喜んで迎え入れてくれたと信じていますわ!」
こう三日月エリカは言い終えると天を仰いで腕を広げさらなる喝采を求めた。役者陣と猪狩と真理子は三日月により大きな拍手を浴びせた。しかしモエコは相変わらず棒立ちで三日月エリカを睨みつけたままだった。猪狩は憮然とした表情で三日月を睨み続けるモエコを見て心臓が凍るような思いだった。先ほど三日月にイヤミを言われたのにかかわらず、またしても拍手を拒否するとは。三日月を怒らせたらモエコは勿論、真理子と自分も叩き出されるかもしれない。そうしたら俺は事務所の連中に東京湾に沈められてしまう。今、三日月エリカはハッキリとモエコを見た。ああ!終わりだ!
しかし不思議なことに三日月はモエコをしばらく見つめたあと、まるで何事もなかったかのようににこやかに役者陣に向かってさぁ稽古を始めましょうと声をかけたのだった。