ムード歌謡歌手二時間ドラマに出る!
ムード歌謡の大御所天極千鳥が二時間ドラマに出演することになったというニュースはたちまちのうちに芸能界を駆け回った。ムード歌謡を歌い続けて数十年、現代の美空ひばりと呼ばれ、歌一筋で役者仕事なんかに目もくれなかった歌謡界の大御所歌手がどうしていきなり二時間ドラマなんぞに出る気になったのか。マスコミは大挙して記者会見に駆けつけた。カメラのフラッシュを浴びている天極千鳥は紅白でおなじみのど派手な衣装を着ていた。天極は開口一番こう宣言した。
「私がドラマの仕事を引き受けたのは昔からの知り合いであるプロデューサーの柿崎さんから是非にとお願いされたからです。もう沈没寸前の二時間ドラマを救って欲しい。柿崎さんはそう言って涙を流しながら私にお願いしてきたのです。とはいえ私はあくまで歌手。いきなり演技なんて出来るわけがありません。だから私はドラマでもあくまで歌手天極千鳥で演じるつもりです。皆さん、ドラマの放送を楽しみに待っていてください」
そんなわけでドラマの撮影は始まった。ドラマのスタッフは大御所歌手天極千鳥の一挙手一投足を緊張して見守っていた。天極はいつものようにド派手な衣装を身に纏ってスタッフが特注で用意してくれたチェアーに座って台本を眺めていたが、突然顔を上げてマネージャーに向かってディレクターを呼ぶように言った。そして天極はやってきたディレクターに向かってこう言った。
「ねぇ、あなた。このセリフに誰が歌メロつけてくれるの?」
「歌メロ?先生ご冗談を。これはドラマですよ」
「冗談?あなた私が冗談を言っているように見えて?私はいつも本気よ。記者会見でも言ったでしょ?私は歌手天極千鳥として演じるって。その歌手が歌メロもないのに演じることが出来ると思って?あなた歌手をバカにするんじゃないわよ!今すぐ音楽監督に歌メロ作るように言いなさい!」
こんな無茶な要求断って当たり前だった。しかし相手は現代の美空ひばりと呼ばれるムード歌謡の大御所天極千鳥なのである。ディレクターはプロデューサーに相談すると言ってすぐにプロデューサーの元に向かった。
プロデューサーはディレクターから天極の無茶な要求を聞いて頭を抱えたが、こちらから再三頼み込んでドラマに出てもらったのに下手に機嫌を損ねたら即降板どころではなく、下手したら自分たちのテレビ局には今後一切出ないと言い出すかもしれない。そうなったら責任はすべて自分が被らなければならない。悩みに悩んだプロデューサーは天極の要求を全て飲み込む事を決意したのだった。
というわけでディレクターと音楽監督が緊急にセリフにつけた歌メロの楽譜を天極に見せたのだが、天極は見た途端突然ブチ切れ出した。
「何これ!こんなとってつけたような歌メロで私に演じさせるの?ああ!これじゃあ演技ができないわ!」
とここまで言った天極は突然音楽監督を指差して言った。
「あなたクビよ。次の音楽監督は花村茂先生にやっていただくことにするわ」
いきなりのクビ通告に音楽監督は勿論ディレクターも大慌てとなった。ディレクターはまたプロデューサーの元に行って相談をしたが答えは先程と一緒であった。音楽監督は天極の要求通り即日作曲家の花村茂に代わった。
花村茂は天極千鳥のヒット曲の作者で最近では「千鳥のため息」をヒットさせている。彼は天極のデビュー当時からの知り合いで天極が先生と慕う唯一の存在だった。いきなり呼び出された花村は「おい千鳥またわがままやったのか」とシワだらけの顔を綻ばせて老人とは思えないほどシャキッとした態度で曲をつけていった。それを見て天極は感激して流石先生だわと涙まで流した。
さて、いよいよドラマ撮影が始まったのだが、ここでも揉め事が発生した。天極千鳥が宣言通りド派手な衣装で歌いながら演技するので主役の刑事役の古城権三がブチ切れたのである。
「こんなんじゃ演技なんてできねえよ!お前変な歌なんか歌ってないでちゃんとまともに演技しろよ!」
古城は役者としてのプライドから、そして自分たちが今まで作り上げてきたドラマが壊されていくのが耐えられず思わず天極を怒鳴りつけたのだが、それはムード歌謡の大御所である天極のプライドをとんでもなく傷付けた。天極はブチ切れてクビだと古城に向かって喚き散らした。だが古城はこのドラマシリーズを長年支えてきた顔である。流石にクビにする事は出来なかった。
だからディレクターたちは自分が降板すると言い出した古城を宥めてとりあえず天極との絡みを少なくし、代わりに天極がお気に召したらしい古城の部下役の若手俳優の坂木充との絡みを増やしたのである。天極はこれに喜んで坂木にべったりと纏わり付きあなたも歌わないの?とか囁き、彼とのベッドシーンがやりたいとまで言い出した。
ディレクターは流石に刑事と犯人役が肉体関係持ったらあかんでしょうと言い天極を宥めたが、彼女は以外にもあっさりと引き下がり貪婪な目で若手俳優坂木充を見て言った。
「まぁ、いいわ。坂木くんには収録の外で付き合ってもらうから」
その後天極と坂木がどうなったのか全くわからないが、翌日の収録で二人は妙に息のあった演技を見せた。天極が歌いながら「刑事さん♫私を犯人だと疑って♫」と「千鳥のため息」のメロディラインでセリフを口ずさむと、坂木も妙にメロディカルに「そんな事はありませんよ。奥さん♫」と答えた。その二人のムードを盛り上げるように花村がこのシーンのために作った音楽が鳴り響いた。このワーグナーもびっくりの濃密な音楽が流れる中、天極千鳥は坂木充をじっと見つめていたが、スタッフはその彼女を見て思わず吐きそうになった。
そんなこんなでドラマの撮影は進み、とうとうラストの崖のシーンの撮影が始まった。古城や坂木をはじめとする刑事たちが天極千鳥扮する夫殺しの犯人を追い詰めるシーンである。今までろくに登場させてもらえなかった古城が自分が主役である事をアピールしようと天極をキッと睨み熱い演技で彼女を追い詰めた。
「あなたは先の証言で自分は事件発生時にはあなたはかねてから関係を持っていた岡崎真斗のマンションにいたと供述した。だが、あなたは出かける時夫の部屋のドアにナイフを仕込んで開けたら飛び出すようサイクをしていたのだ。あなたは事件発生時に夫に電話をかけた。夫は当然部屋を出て電話のある玄関へと向かおうとする。夫がドアを開けた瞬間……」
ここで不安げな音楽が鳴り響き天極は眉間にシワを寄せてセリフを歌う。
「ああ〜、刑事さん♫証拠わぁあるのですかぁ〜♫」
「ありますよ」と古城は天極を殺したいほどの目つきで言い放った。いい加減にしろこのクソババア!還暦近いババアが自分に酔ってんじゃねえ!気持ち悪いんだよ!そして古城は天極が処分したはずの仕掛けを彼女に突きつけた。
「これをどこでぇ♫」
「岡崎が持っていたんですよ」
天極は古城の追求に観念し事件の真相を一から話した。ここで大袈裟の極みみたいな音楽が流れ出した。その音楽にのせて天極はクライマックスの長ゼリフを歌う。
「ああ〜♫望まぬ結婚をした私ぃ〜♫そんな時ぃ〜出会ったのが岡崎でしたぁ〜♫一目見たときからあの人があ~♫あの人があ~♫愛しくてぇ♫許されぬことと知りながら♫知りながら♫胸の熱さに耐えられずぅ~♫契をかわしてしまいましたぁ♫私と岡崎は夫に隠れてぇ♫逢引してましたぁ~♫だけど夫がぁ♫夫がぁ♫嗅ぎつけてぇ♫しまったのですう♫……」
音楽はますます大げさになり、ムード歌謡歌手、現代の美空ひばりと言われる天極千鳥の歌もますます大げさに、うっとおしすぎるものになっていった。このドラマの主演である古城権三はとうとう耐えられずに叫んだ。
「そんな下手な歌やめてまともな演技しろ!」
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