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《連載小説》全身女優モエコ 芸能界編 第十四話:恐るべき悪だくみ

前話 第十三話:衝撃の挨拶

 モエコたちがセットでスタッフからシーンの段取りの説明を受けている時、猪狩の所にスタジオで見かけなかったプロデューサーがひょっこり現れて妙に明るい表情で話しかけてきた。

「いやあ〜、猪狩ちゃんさっきは怒ってゴメンねぇ〜。で、モエコちゃんは大丈夫?海老島先生たちと仲良くやってる?」

「いや、モエコは大丈夫なんですが……」

 と言って猪狩はセットの方に頭を向けた。セットの前では海老島がモエコを憎さげに睨みつけていた。プロデューサーはそれを見てなり慌てて目を伏せた。ああ!多分プロデューサーは今モエコを起用した事を激しく後悔しているに違いない。彼はモエコをただの生意気な新人だと考えていた節がある。三日月とバトったものの、それはあくまで子供同士の喧嘩。言って見ればお遊戯だ。しかしモエコがまさか海老島権三郎にまで楯突くとは思わなかったのだろう。だがモエコは生まれながらの全身女優。噴火したら止まらない活火山。いったん噴き出したら全てを燃やし尽くしてしまう女なのだ。いくらこの男が手練れのプロデューサーでも火山をコントロールすることなど出来ない。プロデューサーは頭がおかしくなったのか突然手を合わせてブツブツ拝み出した。

 実際スタジオはモエコと海老島たちのぶつかり合いのせいで激しい緊張感に包まれ、喋ることさえ憚れるほどだった。段取りを説明するスタッフなど緊張のせいで何度も噛み、その度に海老島に怒鳴られていた。

「え、えび……先生はか、かっぱ……えびせ……」

「バカやろー!俺はお菓子じゃねえんだ!テメェなめてんのか!ハッキリものを言え!」

 しかしそんな皆の視線を浴びてもモエコは腕を組んで平然と立っていた。海老島の憎しみの眼差しにも、三添の値踏みするような冷たい眼差しにも、三日月のゾッとするほど冷たい作り笑いにも全く動揺せずそのモエコは不機嫌な顔で腕を組みその場に立っていた。この、全く新人らしさのかけらもないでかい態度にスタジオは再びざわめいた。芸能界の先輩たちの自分に向けられる視線など気にも留めず尊大な態度で立つスプの素人同然の新人女優。先程の挨拶といい一体何者なのだ。業界人たちはもう他の役者を無視してこの新人女優を凝視した。

 皆が一斉にモエコを見つめる中、またもやあの空気の読めぬあの南狭一がモエコに近寄ってきた。

「モエコちゃん、そんなに緊張しないでぇ〜。ボクが一緒にいるから安心してぇ〜」

 ああ!コイツはそう言いながらベッタリとモエコに寄り添ってきやがった。そしてコイツはモエコの肩に手を当てながら他の役者たちに向かって言ったのだ。

「みんなぁ、モエコちゃんを温かく迎えてやろうよぉ〜。彼女はボクらの新しい仲間なんだからぁ〜」

 突然男に肩を触れられたモエコは動揺を隠しきれず一瞬ビクッと肩を震わせた。南はそのモエコを見て何かを悟ったのかヘラヘラと笑みを浮かべて例のイモリのような目で激しく彼女を凝視した。海老島たちはこの空気の読めぬアイドルを呆れたような目で見た。しかしこの南という男なんという心臓の強さか。こんな空気の中でモエコに近づいてくるとは。だが今の猪狩には南の魔の手からモエコを救いに向かう事は出来なかった。すでにカメラはセットされ後は監督の号令を待つだけだったからだ。

 撮影はぶっつけ本番である。俳優たちのスケジュールの兼ね合いでリハなどやっている暇がないからだ。ドラマ撮影に慣れているはずの他の俳優はそれに難なく対応できるだろう。だが本格的なドラマ出演は始めてであるモエコにとってそれはあまりにも厳しすぎるものだ。彼女は無事にやり遂げられるだろうか。海老島や三日月たちのプレッシャーにも負けずやり遂げることができるだろうか。猪狩はモエコの成功を祈るしかなかった。

 俳優たちがそれぞれの位置に移動しはじめた。その時何故か海老島がモエコに近づいて笑顔で声をかけたのだ。モエコはこの海老島の予想もしなかった行動に驚いて一瞬立ち止まって彼を見た。その海老島を見て猪狩の隣にいたプロデューサーは不安げな表情でつぶやいた。

「ああ海老島先生、またやるつもりだ……」

 そのプロデューサーにつぶやきを聞いて猪狩は何事かと彼の方を見たが、プロデューサーはその私に向かってこう説明した。

「海老島先生がああやって本番前に笑顔で共演者に挨拶する時は絶対そいつをいぢめるんだ。猪狩ちゃん覚悟したほうがいい。この撮影は間違いなく長くなる。モエコちゃんには気の毒だが、いぢめに耐えてもらうしかない」

 海老島権三郎が自分の言うことに従わない、あるいは単に気に食わない若手の共演者を、全スタッフが見ている本番で徹底的にいぢめるという事は芸能関係者の間では有名だった。海老島は本番になるとわざとアドリブを入れて若手を困らせ、そして相手がNGをだすと徹底的に責め立てるのだ。それをうんざりするほど繰り返しとうとう根を上げた若手が号泣して彼に土下座をすると、海老島は仏のような顔でこう言うのだ。「分かってくれりゃいいんだよ。さあ、次はちゃんとやれよ」

 今、それがモエコにたいして行われようとしていた。大俳優海老島権三郎による公開モエコいぢめである。あの海老島権三郎ほどの大俳優がモエコのような新人女優をいぢめるわけないではないかと疑う人もいるかもしれない。だがそういう人は芸能界というものが分かっていないのだ。芸能界は生き馬の目を抜く世界なのだ。油断していたらいつの間にか自分の地位が取られる。そんな世界なのだ。大俳優海老島権三郎といえどそれは例外ではない。だから海老島は自分の脅威となりそうな俳優を尽く潰していたのだ。たとえ女子供であろうとも。

 猪狩は今から行われるであろうこの公開モエコいぢめから彼女を救ってやれないのが悔しかった。彼女は海老島にいぢめ尽くされて杉本愛美を演じることを忘れてしまうかもしれない。そして最悪な事に女優火山モエコであることさえ捨ててしまうかもしれない。いぢめ尽くされて玉ねぎのようにまずは杉本愛美の皮を剥かれて、そして火山モエコの皮まで剥かれて最後にはただの田舎娘の檜山萌子でしかなくなる。だが今の猪狩にはもう何もすることは出来なかった。ただ願うしかなかった。モエコよ、せめて自分を保ってくれと。

 海老島はレストランのセットに入り座席に座った。三添と三日月もそれに続いて座る。三添は含み笑いをする海老島を見て呆れた顔をして見せた。まあ、あんな小娘をいぢめなくてもいいじゃありませんか、とでも思っていただろう。三日月は海老島を見て上機嫌に微笑んだ。彼女はその邪悪な笑みを満面に輝かせながらにっくき田舎の豚が海老島にいぢめられてブヒーブヒーと号泣しながら謝る姿を想像していたに違いない。

 監督から本番の声がかかりカメラが回ると同時にセットの脇に控えていたモエコ演じる杉本愛美と南演じる上代達夫が姿を表した。このシーンはモエコ扮する杉本愛美が初めて登場する大事な場面であり、新人女優であるモエコにとっては決して失敗してはならない場面でもあった。猪狩はモエコが脇に引っ込んでいた時、南になにかいたずらをされたのではないかと危惧したが、目の前の愛美になりきって堂々と闊歩するモエコを見て恐らくそのようなことはなかったと一安心した。しかしこれからが本番なのだ。いぢめようとモエコを待ち構えている海老島、そしてその海老島の隣で笑う三日月。この二人を見て彼はこれからモエコを待ち受けている地獄を想像して頭を抱えた。モエコ耐えるんだ!あんな爺の海老島と性悪女の三日月なんかに負けるな!

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