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フォルテシモ&ロマンティック協奏曲 第一回:自殺寸前のカリスマ指揮者 

次回

 カリスマ指揮者大振拓人は今人生の危機に直面していた。

 先日大振拓人はオペラ『トリスタンとイゾルデ』の指揮をしていたが、その舞台で大振はイゾルデ役を務めるイリーナ・ボロソワへの溢れる思いに耐えきれず、とうとう第三幕で彼女を我が物にせんと指揮棒を放り出して全裸でステージに駆け上がり、何故か同じく全裸となっていたトリスタン役のホルスト・シュナイダーとくんずほずれつ全裸の絡み合いをしてしまったのである。この二人に自分の見せ場をぶち壊されたイリーナは怒り狂い、ステージで大振を罵りそのまま日本を去ってしまったのだ。

 この大失恋は大振を激しく悲しませた。しかもそれは時を経ても癒える事はなく、却って酷くなっていった。大振は一度その失恋から立ち直るために武道館で自ら作曲した『交響曲第二番『フォルテシモ』』を指揮をした。しかし大振はその渾身のシンフォニーの第四楽章を演奏している最中愛するイリーナを思い出して泣き崩れてしまい、溢れる悲しみを堪えきれず、クライマックスで「抱きしめたぁい〜!」と見事な美声で即興の歌ってしまったのだった。翌日各媒体が一斉に大振の歌を色物扱いで取り上げたのだが、それが彼をさらに光の届かぬほど深い絶望へと追いやった。

 彼は呪わしいものでしかないイリーナを完全に過去のものにするために、某廃刊寸前の名門音楽雑誌で連載している作曲家とその名曲を扱ったエッセイで、彼女と共演したトリスタンとイゾルデをはじめ彼女に関するものを悪し様に罵しり、イリーナの出身国であるチェコの国民的大作曲家のドヴォルザークに至っては執筆すら拒否した。だがそれでもなおイリーナへの愛の炎は消えず、今もなお自分から永遠に去ったこの音楽の天国から降りてきた天使、チェコからドヴォルザークの魂をボストンバッグに詰め込んで花の都大東京に現れた女を夢見るのだった。

 ああ!イリーナ!君は何故僕の愛を理解してくれなかったのだ!君が「愛の死」を歌っている最中に僕が指揮棒を放り出して全裸で君の元に飛び込んだのは、二人でステージを飛び越えて永遠の愛へと旅立ちたかったからではないか。決して君をほっ散らかしてホルストなんかと裸同士でくんずほつれずしたかったわけじゃない。僕の愛は君にしかない事はわかっているだろうに。イリーナ!イリーナ!今すぐに僕の元に帰ってきておくれ!そして今度こそ永遠なる愛の海へと船出しよう!ああ!君なしの僕はフォルテシモできない惨めなただの天才大振拓人でしかない!僕がもっとフォルテシモするには君がどうしても必要なのだ!

 だが、大振がこれほど愛の復活を願ってもイリーナは帰ってくる事はなく、彼女は大振との事などなど忘れたかのようにかのヨーロッパの地で華々しく活躍していた。一人日本に残された大振にはもはや死しか待っていないように思われた。幼き頃に毎夜夢に出てきた三階の屋根裏に住み着く幽鬼のような老人。あれが死なのであろうか。大振は恋に敗れて自死するロマン派の物語の主人公たちを思い出し、恋のために死ぬならそれも悪くないと自嘲したが、しかし彼は今世紀最大の芸術家で未来の全芸術の希望である天才の自分が死んだら、世界中の全芸術が恐竜のように絶滅してしまう事に気づき、生きて全芸術を未来に繋ぐために必死に死の誘惑に耐えた。だが死の誘惑はなおも大振を深く苛み、毎夜の如く彼を苦しめた。

 そのように死の境界線上でどうにか堪えていた大振の指揮を見ていた彼のファンは悲嘆にくれた。大振ファンはトリスタン事件以降暗くなっていた彼の指揮が自作の交響曲のコンサートで一瞬持ち直した時は素直に喜んだが、コンサート後にその大振の指揮が以前よりさらに深く光さえ届かない病みの底へ沈んでしまったため完全に絶望してしまった。

 しかしそれでも大振の忠実すぎるにも程があるファンたちは毎回コンサートに駆けつけた。ファンは毎回絶望のフォルテシモを撒き散らして指揮する大振を見ているうちに大振が今生と死の間にいる事を感じとってしまった。ああ!拓人はもうすぐ死んでしまう。彼の運命も未完成も悲愴も悲劇的も死出の旅立ちの準備にしか聴こえない!だめよ!一人でイッちゃ!あなたは私と一緒にイクんだから!

 いつからかネットでは大振が近いうちに自殺するとの噂が流れた。大振ファンはそれに激しく反応し、ファンは一斉に大振の個人事務所である『フォルテシモタクト・プロダクション』のビルに駆けつけ、死ぬ時は私もイッしょに連れてイッてと悲痛な声で叫んだ。ある金持ちのお嬢様のファンに至っては自分と大振との心中のために小舟まで購入し、小舟を積んだトラックを指差して今すぐあの舟で私をあの世までイカせて下さい!と叫ぶ始末だった。

 現代最高のカリスマ指揮者大振拓人の自殺騒動はもはや太宰治や三島由紀夫以上の騒ぎであった。騒動はSNSだけでは収まらずもうテレビニュースでさえ取り上げられた。今日本一のカリスマ指揮者大振拓人が自殺するかもしれない。本人はあからさまに自殺を匂わせ過ぎているし、彼のファンもまた彼の自殺を思いっきり煽っている。さらに今度はテレビを代表するマスコミまで食いついてきた。流石にクラシック業界もこの偉大なる指揮者、この誰にも代えがたい金づるの自殺を止めようと大振に対していろんな事を試みた。

 例えばイリーナとホルストのダッチワイフを作ってどちらがいいか選ばせようとしたり、イリーナとホルストのそっくりさんを連れてきて同じように選ばせようとしたり、それでもダメならイリーナとホルストの筆跡を真似て「あなたとよりを戻したい」とか書いてそれぞれ手紙を送ったりしたりいろんな事をしたが、当然ながら全て逆効果であった。ダッチワイフやそっくりさんを見せたら大振にフォルテシモに殴られ、バレぬと思っていた手紙さえ受付印が思いっきり東京であったのでバレてしまい、偽造を行った関係者一同が怒り狂った大振に高層マンションのベランダから投げられた。

 事態はもはや打開不可能だった。「後は大振が死なぬのを祈るしかない」関係者は一応に口を揃えてこう言った。 


 YouTubeである動画が評判になったのはそんな時だった。恐らく海外で作られたその動画は、いや動画といっても作曲者らしき人物の名前が並べられた画像に、二人がそれぞれ作曲したらしき曲をマッシュアップした音源が付けられたものだったが、この中で使われているオーケストラの曲が大振のあの『交響曲第二番『フォルテシモ』』の第二楽章だったのである。

 もう一つのピアノ曲は画像の名前から見て外国人のものであるが、その曲は大振の交響曲に負けず劣らずの複雑なものであり、しかも超絶技巧を使いまくりの、恐らく現役のプロでもまともに弾ける人間はごく少数といった曲であった。しかし曲もさることながらピアノ演奏はそれ以上に凄まじいものであった。たった一台のピアノであの大振のフォルテシモなオーケストラと互角に渡り合っているのである。一体このピアノ曲を作曲して演奏するChopan Romantic Risztとは何者であろうか。と考えているとある男の名が浮かんできた。まさかこのchopan Romantic Risztなる男はあの諸般リストの事ではないか!いや大振とここまで渡り合えるピアニストなんてあの男しかいないではないか!

 しかし、このマッシュアップの素晴らしさはピアニストの正体等どうでもよくさせるほどのものであった。ただ大振の交響曲とChopan Romantic Risztなる男のピアノ曲をマッシュアップさせただけの曲がこれほどまで素晴らしいピアノ協奏曲になるとは!しかもこの動画で使っている大振の交響曲の音源は、ネットでも生中継されたあの涙々の熱唱コンサートのものであり、Chopan Romantic Risztの音源もまたどこかの会場で行われたコンサートのものであり、共に騒音だらけで音源だけではとても聴けない代物だ。にも関わらずこのマッシュアップ曲は我々を激しく感動させてしまうのだ。二人の曲は奇妙な程似ていた。まるで歌謡曲みたいな……いや、バカにでも第一級の芸術だとわかるフォルテシモなほどロマンティックなメロディと、そのロマンティックを全開したフォルテシモな演奏はまるで双子のようにそっくりであった。

 この動画は最初にとあるユーザー海外のどこかのクラシック音楽サイトに上げられ、それからしばらくして別のユーザーがYouTubeに転載したものだが、YouTubeに上げられてからあっという間に1000万PVを超えてしまった。あらゆるネットサイトでこのマッシュアップ動画は大振と諸般のファンの「フォルテシモ!」「ロマンティック!」の熱い書き込みと共に話題となり、業界関係者もこれに注目する事になった。ああ!これを現実でやらせたらとんでもないことになるだろう!しかしこの二人をもう一度共演させるなんて不可能だ。初共演があんな酷いことになってしまったのだから。

 この大振拓人と諸般リストの初共演については以前記事に書いたのでここでは詳しく語らない。詳細を知りたい方は以下のリンクの記事を読んでいただきたい。

 とにかく大振と諸般は初めて会った時から険悪だったが、この初共演の出来事以降二人して業界のみならず、全メディアに向けて相手の名を自分と並べる事を禁ずる通達を出すほど、互いを忌み嫌うような状態になった。

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