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ノーセキュリティ
長い欠勤から復帰した後輩はなんだか別人みたいだった。欠勤前は太り気味のバカヲタクそのもののキモいやつだったのにすっかり痩せてちょっとイケメン?って感じになってた。仮病だってみんな噂してたんだけど、病気ってのはやっぱり本当だったんだとみんなその痩せ切った彼の顔を見て思った。私は君ちょっと変わったよね、もしかして整形したの?なんて聞いたら彼超びっくりして、ボクそんなに変わって見えますかなんて超キョドっていた。あれ?こんな可愛い反応見せる子だったっけ?と私も同僚も少し驚いた。前は私たちが何を言っても二言三言か酷い時はガン無視して汚い垢だらけのスマホいぢくっていたのに。
しばらくすると課長が彼の名前を呼んで自分の所に来るように言った。まぁどうせ長い間ろくに連絡もしてこなかったから説教だろう。だけど彼は名前を呼ばれてもぼぉっとして自分の席に座ったまんまだったので、私が肩を叩いて課長の所に行くよう伝えた。彼は何故か首にかけている名札を見てああっと声を上げた。私はそれを見てもしかして自分の名前忘れちゃったのと冗談を言ったら、彼はまだ人からこの名前で呼ばれるのにまだ慣れてなくてとか冗談を言い返して来た。私はこれにまたまたびっくりした。あのキモヨタが人に冗談を言うなんて。
私の予想した通り、彼は課長に思いっきり説教されていた。ああだこうだ欠勤の連絡は、とかホントに病気だったんなら診断書出せとかいろいろ言われていた。彼はその無駄に長い説教を真剣な表情で聞き、最後に頭を深く下げて今回は誠に申し訳ありませんでしたと声を張り上げて謝った。今日の彼には驚かされることばかりだけど私たちはやっぱり驚いてしまったのだ。いつもだったら課長の説教なんかろくに聞かないでだるそうにヘラヘラ笑いながら投げやりに相槌打ってるだけだったのに。彼もしかして病気になった事で反省して生まれ変わったのかもしれない。課長も彼の変わりっぷりに驚いて彼を下がらせた時、近くの部下にあいつどうしたんだと聞いていた。
彼は本当に生まれ変わったみたいに仕事をしまくっていた。本当にどうしたの?ってぐらいの仕事ぶりだった。確かに最初は病み上がりである事と、長い休暇のせいでPCのIDとパスワードさえ忘れているほどで何もできない状態だったけど、一応マニュアル開いて思い出したと言うか、改めて覚えましたっていった感じでどんどん案件を片付けて行った。彼の激変ぶりにはうちの課全員びっくりしてこの一ヶ月超の欠勤で何があったのかと彼を質問攻めにした。
「ひょっとしてお前誰かと入れ替わってるんじゃないだろうな」
なんて先輩の一人が冗談言ったけど、彼はその言葉に対してちょっと慌てた感じで違いますよと返していた。ホントに彼はどうしてこんなに変わったんだろう。この一ヶ月の間に彼に何が起こったんだろう。
仕事が終わって会社のビルのゲートの前で彼に出くわした。彼はゲートの前でカードを手に戸惑っていた。どうやら出方がわからなくなってしまったらしい、私は彼に「まさか、ゲートの通り方も忘れちゃったの?来る時はどうやって通ったのよ」と小言を言いながら彼にカードを当てる場所を教えて上げた。すると彼はありがとうございますと言って異様に丁寧に教えた場所にカードを当てた。その彼の挙動は新入社員そのまんまだった。本当にこの一ヶ月で今までのものを全てリセットして、今また一からやり直ししているみたいだった。その姿を見ていると彼が産まれたての新生児みたいに見えてきて母性本能的なものが湧いてきた。
「ちょっと駅まで一緒に帰らない?」
とビルから出た所で誘ってみた。こんな事当然ながら今までのかれだったらするはずもなかったことだけど、何だか今日はその気になった。といっても普段のコイツはどうしょうもない汚物見たいなヲタクなんだろうけど。先輩の思わぬ誘いに彼はびっくりした顔をした。普段自分を叱かってばかりのこのキツめの美人がどうしてってキョドりまくっていた。彼はああとか言って迷っていたみたいだったけど、しばらくして戸惑いまくりの表情でこう言った。
「それは構いませんけど、駅ってどこの駅ですか?」
「いやだなぁ、駅ってこのビルの前にある階段の下の地下鉄よ。あなたいつもそこから帰っているでしょ?」
この彼のトンチンカンな言葉に思わず笑ってしまった。なんで私が彼に彼の帰り道を教えてやんなきゃいけないんだろうか。ってか私なんで彼の帰り道知っているんだ?
「ああ、そうでしたすみません。あっ、今日はいろいろ教えてくれてありがとうございます。いやぁひさしぶりの仕事だから慣れないことばっかりで」
「あなた、ホントこの一ヶ月休んでいる間になんかあった?朝の課長とのやりとりもそうだけど、仕事だってちゃんと出来てるし、そして今の発言よ。あなた今まで人に対して挨拶もそうだけど、ろくにお礼も出来ない人だったでしょ?病気してなんか思うとこあったの?やっぱりこれからは真面目に生きなきゃって考えたりした?」
「ええ」と彼は真剣な眼差しで答えた。「そろそろ真面目にしなきゃなってのは本当に思いました。このままじゃいけないって思ったし、今も強く思っているんです」
「へぇ〜、人ってやっぱり変わるんだね。病気でそんなに痩せる様な状態になって覚悟とか出来たりしたのかな」
彼は私の言葉に何も答えずただ笑顔で相槌を打った。私はその彼に微笑んで別れの挨拶をした。
「あっ、付き合わせてごめんね。明日もよろしく。後、近いうちにあなたの回復祝いやろうよ。みんなにも言っとくからさ」
一ヶ月前はこんな事言うとは思わなかった。普段はどうしようもないヲタクで私の一番嫌悪する人間以下の男だってわかっているのにこんなに親しく語るなんて。やっぱり私も変わっていっているのかもしれない。
「いえ、僕なんかにそんな事していただかなくても。皆さんとはほとんど話したこともないし、ではさようなら」
そう言って手を振って彼は階段を降りて行った。なんか今日は無茶苦茶機嫌がいい。復帰した彼を見た時に感じたいや〜な気分が嘘みたいだった。今の彼なら受け入れられそうな気がする。先輩後輩のいい関係になって、先輩として彼の汚物以下のヲタク趣味を矯正して、そうしたらってくだらない事考えて顔が赤くなった。いやだ私何考えているんだろう。とにかく私は上機嫌な気分になったのだ。
その翌日、オフィスに入って真っ先に彼の席を見たらまだいなかった。私は自分のこの行動に「おいおい、十七歳じゃねえだろ」と軽くツッコミんで時計とドアを交互に見ながら彼の出社を待った。そうしていたらドアから彼……じゃなくて課長が入ってきた。課長は何だか深刻な顔をしていた。私は挨拶に行って何かあったんですかと声をかけた。すると課長は重苦しい表情でこう言った。
「あのな、アイツはもう出社せん。逮捕されたんだ。何でも人から見ぐるみ剥いで別人を装っていたって話で」
「えっ⁉︎ とびっくりマークを埋めてその上からさらにびっくりマークを書いたぐらいびっくりした私は全力で前のめりになって課長に尋ねた。
「何だかわかりません!別人を装ってたってどういう事ですか?彼は誰から見ぐるみ剥いで誰のふりをしていたんですか?」
「いや、アイツがアイツから見ぐるみ剥いでアイツのフリしてこの会社に来てたって事だよ!」
「課長、何を言ってるんですか?彼は彼じゃないですか!課長だって昨日彼に説教したじゃないですか!自分で自分のもの盗んで逮捕されるなんてバカな事がこの世界のどこにあるんですか!」
課長は私の問いに混乱したのか「ちょっと待て」と私を制して言った。
「悪い、俺もさっき警察から事情聞かされたばかりで無茶苦茶混乱してるんだ。今頭ん中で整理してるとこなんだから」
と、課長はまたしばらく黙ってから私と、いつの間にか集まっていたうちの課のみんなに向かって彼の事について話し始めた。
「つまり昨日いたヤツは全くの別人なんだよ。その別人のヤツがうちの社員のろくでなしのヤツの身ぐるみ剥いでヤツのスーツとカバンに入っていたもん全て身につけてうちの社員のヤツになりすましていたんだよ」
私は課長のあまりに訳のわからない話にブチ切れて課長の机をバンと叩いて思いっきり詰め寄った。
「あのキモヲタのバカの身ぐるみ剥がすってのはわかるけど、なんで彼はその剥がしたキモヲタにバカになりすまして会社に来てるのよ!どう考えてもおかしいでしょ!」
「そんなこと言われたって俺にわかるか!一応警察から詳細も聞いたが、それ聞いても何だかわかんねえよ!とにかく警察の取り調べて昨日のヤツの自供した事話すとだな、昨日のヤツは一ヶ月ぐらい前に某一流企業をクビになってな、それで毎日やけ酒煽っていたらしい。で、一昨日、昨日のヤツは街でやけ酒煽って街をフラフラ歩いていた時、偶然推し活に失敗してメイド喫茶の看板の前で寝ているうちのクズのヤツに出会ったんだ。昨日のヤツはそれを見てイタズラしてやれと酒の勢いでうちのクズのヤツの身ぐるみ剥いで、そのまんまうちの会社に来てたんだよ。今思いかえせばどう考えてもアイツうちのクズとはまるっきり別人じゃないか!顔とか背格好は似てるけど、あのクズはまともに人の受け答えができる人間じゃないだろ。おい、お前らだってそう思っただろ?」
たしかに今から思えば、いやわざわざ思わなくてもおかしい所だらけだった。自分の名前さえろくに覚えていない人間なんているわけがない。だけど昨日の私は彼をあのキモヲタのクズだと信じ込んだんだ。もしかしたらそれはどっかであのクズに対して期待していたからかもしれない。
「まぁ、昨日のヤツは早朝に自首したらしい。ヤツは自供の最後にこれからは真面目に生きなきゃって強い調子で言っていたそうだ」
課長から彼の自首した際に発した言葉を聞かされて私はハッとした。彼、多分私が帰りに言った言葉で自首を決めたんだ。真面目に生きなきゃって。全くあんかキモヲタなんか裸にした事に罪悪感なんて感じなくていいのに。むしろあんなヤツのフケだらけ、垢だらけ、淋しい病気さえありそうな服を着ちゃった彼が可哀想。ああ!彼が本物の後輩だったらどんなによかったか!
「その時ヤツが身につけていたあのクズのスーツとその他のクズものは全部クリーニングしてたそうだし、カバンや財布からは何も抜き取っていなかったどころか、迷惑料として財布に万札10枚入っていたそうだ。クズが実際に受けた被害は素裸でこの冬の寒空に放り出されたぐらいだ。しかしあのクズ、仮病だってのはとっくにわかってたけど、まさかその最中にメイド喫茶に入り浸ってたなんて全く呆れるにも程がある!アイツが正社員じゃなかったら今すぐクビにしてやるのに!」
私は課長の話を聞き終えると八割以上のマジ顔でこう提案した。
「課長、あのキモヲタクズをクビじゃなくて依願退職させましょうよ。そしてキモヲタに被害届取り下げてもらって、キモヲタの代わりに彼を雇えばいいんですよ。課長だって昨日の彼の仕事ぶり見たでしょ?たった半日程度で大体の業務おぼえちゃったんですよ。あいつなんか二年経っても殆ど何も出来ないのに!」
この私のマジ顔の提案に課長をはじめとしたうちの課のみんなは一斉に気まずい顔をした。だけど全員の顔はあからさまに私の提案に同意していた。