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フォルテシモ&ロマンティック協奏曲 第七回:二枚の写真

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 大振は諸般に向かって必死で呼びかけた。ああ!これほどにこの皇帝のように傲慢な男が無心の心で他人に手を差し伸べたことがあっただろうか。大振は生まれて初めて慈愛というものを知ったのだ。諸般はこの大振の態度に衝撃を受けて涙さえ止めてしまった。大振はその諸般を熱く見つめて諸般の言葉を待った。すると諸般はボロボロの貴族服のポケットから一枚の写真を取り出して大振に見せた。

「これが僕の凋落のすべての原因さ」

 大振はその写真に写っている男を見て驚きのあまり何度も写真を確認した。なんと写っているのはあのデブのホルストではないか!そう写真の男はあの因縁のデブと髪と肌の色以外まるで瓜二つだったのである。写真のデブは金髪のホルストと違い輝くばかりの黒髪で、肌は白デブのホルストと違い見事に日に焼けていた。大振はもしかしたら本人ではないかと思った。コイツはイメチェンしたに違いない!あの呪わしい『トリスタンとイゾルデ』の開演の前に奴はダイエットに成功していた。それて調子に乗ってラテン系に成り済ましたのだ!ラテンの熱い魅力で再びイリーナを口説き落とそうとして!ああ!イリーナ!イリーナ!君は今どこにいるんだ!だがこの男は本当にあのホルストなのか?イメチェンしたホルストなのか?大振は諸般に尋ねた。

「この男は誰だ!もしかしてホルストとかいうバイエルン人じゃなかろうな!」

 諸般はこの大振の問いを聞いて一瞬何事かと訝しんだが、すぐに何事か察していわくありげに微笑んだ。

「残念ながら写真の男は君の愛するホルストじゃないよ。まあ、名前は多少似ているけどね。この男は、僕が唯一愛した恋人、ホセ・ホルスさ」

 この諸般の衝撃的な告白に大振は唖然とした。まさか貴様がゲイだったとは!いや、なんとなく身振りからもしかしたらそうではないかと思っていた。男らしさのかけらもないその扇風機で髪を靡かせたロマンティック気取りの薄っぺらなスタイルはまさにバメリカンのゲイそのものだ。ゲイの作曲家がほとんどいないクラシックの世界にもたった一人例外がいる。それはあのチャイコフスキーだ!チャイコフスキーは自分が呪われしゲイであること悩んで自ら命を絶った。こいつもゲイに悩んで自ら命を絶とうというのか。だが俺がそんなことはさせん!何故なら貴様は芸術家ではなく、薄っぺらなバカメリカンのピアニストでしかないからだ!貴様など俺のこの指揮棒で串刺しにして一生この世に留めてやる!

「そのホルスとやらはどうしたのだ。何故一緒に日本に来なかったのだ」

「君はそれを僕に聞くのかい?残酷な人だね君は。僕のホセは、あのチカーノの天使は、このメキシコのメドゥーサに奪われてしまったんだぁ!」

 諸般はこう叫ぶと服のポケットからもう一枚の写真を出して大振に投げつけた。

「そいつが僕からホセを奪った憎きメドゥーサ、イザベル・ボロレゴだ!」

 大振は床に落ちた写真を拾って諸般のいうメキシコのメドゥーサとやらの顔を見た。彼はボロレゴなんてアホな名前からしてどうせラテン系のバカ女に違いないと写真を一瞬だけ見て返そうとしたのだが、写真を見た瞬間ホルストどころじゃない衝撃に思わず気を失いかけた。ああ!写真に写っているのは、愛しいイリーナ・ボロソワその人ではないか!確かに写真の女は黒髪に褐色の肌をして我がイリーナとは全く違う!たがその瞳、その口元、その肉感的な体すべてがイリーナだった。よく考えれば名前までイリーナに似ているではないか!ああ!なんてことだ!イリーナよ!どうしてお前は俺をここまで苛むのだ!俺は何度もお前との思い出を捨てようとしているのに、いつのまにか戻ってきて、今度はこんな売女のラテン女姿で現れるのか!ああ!耐えきれぬ!この地獄は俺には到底耐えきれぬ!大振は地面に這いつくばって泣き崩れた。ああ!大振の号泣ぶりに影響されて諸般も号泣し始めた。まさか指揮者とピアニストが涙の二重唱をするとは誰も思わぬだろう。しかしここでそれが起こってしまっていた。病院内はこの涙の二重唱で機材にトラブルが続発し、助かる命も助からない異常事態を迎えたが、幸いにも誰も死ななかった。

 散々涙の二重唱を歌い尽くした後、諸般は大振に向かって微笑み、多分君も僕と同じように失恋したんだねと言った。大振はそれに対し衝動的に諸般の写真の女によく似たイリーナ・ボロソワとの出会いから舞台上で振られるまでの経緯をトイレ休憩三回ほど挟んで涙ながらに語ったが、それを聞いた諸般は大振を真から憐れみ、我がソウルブラザーと叫んで抱きつこうとした。しかし、大振は冷静にその手を撥ね退けて早く貴様のことを教えろと言って諸般をじっと見た。

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