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全身女優モエコ 第二部 第十三回:そして悲劇の幕が上がる

 モエコ達演劇部員のいる控え室に演劇大会のスタッフがやってきてそろそろ準備だと呼び出しをかけてきた。モエコたちはとうとうこの時が来たかと立ち上がり、皆で円陣を組んだ。みんな覚悟は決まっていた。さっきモエコが言っていたようにあくまで県大会は通過点。後にはブロック大会が待っている。目指すのは勿論全国大会の最優秀賞だ。正直に言って演劇部の面々は最初はここまで高い目標を持っていなかった。精々ブロック大会に出れればいいだろうとしか思っていなかった。だが演劇の面々はモエコの熱に当てられたのか今では部員たちの合言葉は全国大会で最優秀賞になってしまった。そのためにはまずはこの県大会の審査員たちを圧倒する舞台を見せなければならない。部員たちはそれぞれに覚悟を決めて移動の準備をはじめた。

 その最中に突然ドアが開いて、外から汗をびっしょりかいた教頭が飛び込んできた。部員たちは一斉に教頭を見たが、彼はすぐさまモエコのもとに向かった。御曹司からモエコと交わした恐るべき約束を聞いた教頭はモエコに今すぐ舞台をやめろと怒鳴りつけて学校に連れ戻そうとしたのだ。だが彼はカルメン姿のモエコを見るなり黙りこくってしまった。いま目の前にいるモエコの凄まじい表情に言葉すら発することが出来なかったのだ。モエコはその表情で彼に向かって部外者は早くここから出て行けと訴えていた。。教頭はその表情に圧倒されて思わず後ずさり、ただこういうことしか出来なかった。

「舞台……がんばるんだぞ」


 教頭は控室から会場へと戻る途中ずっとモエコのことを責め続けた。このままだったらモエコはあの御曹司にひん剥かれてそのまま処女を奪われてしまう。一体モエコはなんで演劇の背景ごときのために貴重な処女を犠牲にするとは。ヌード画だって?モエコよ、なんであんな男とあんな取引をしたのだ。お前は何をしようとしているのかわかっているのか。二人きりの部屋で男に向かって裸になったらどうなるかちょっと想像すればわかるじゃないか。私だってそうなったら冷静ではいられなくなる。この醜い皺だらけの体でお前を襲ってしまうかもしれないのだぞ!お前はそんなことをしようとする人間をお友達だと思っているのか?お前は金のためなら何でもする女なのか?教頭はその時しばらく前に校門でモエコを待っていた豚みたいな男を思い出した。ああ!モエコは金のためにあんな豚ともお友達になれるのだ!ああ!あの見境のない貧乏人の淫売娘は金のためなら見境なく男を漁るのだ!

 だが彼はふと冷静になり、先程控え室で見たカルメンのモエコを思い出した。あの時のモエコは舞台しか見えていなかった。もしかしたら私の存在さえ気づかなかったかもしれない。モエコよ、お前はそこまで舞台が好きなのか。その好きな舞台のためならヌードになることも厭わないのか。もしかしたらと彼はさらに深く考えた。

 もしかするとモエコの奴はアイツを信じ切っているのかもしれん。あの唖然とするほど世間知らずのモエコだ。彼女はアイツが芸術家だと心の底から信じ込み、お友達として奴の芸術活動のためにヌードになろうとしているのではないか。ああ!そうに違いない!モエコは気は強いが中身は呆れるほど子供なのだ!世間知らずで夢見がちで一人で放っておいたら勝手に暴走してしまうのだだ!やはり自分が彼女を救わねばならぬと教頭は決意した。しかしモエコ救うと言ってもどうすればよいのか。彼は考えれば考えるほど自分の力の無力さに絶望した。その時彼の頭に悍まし一瞬悍ましい考えが閃いたが、慌てて頭を振りかぶって打ち消した。


 教頭は会場に入り自分の高校の席の方に向かったが、彼はそこで再び御曹司を見たのだった。御曹司は女子生徒相手に喋りまくっていた。教頭はその姿を見て、先程一瞬頭を掠めたものが再び現れてくるのを感じた。彼はその場に立ったままありったけの憎悪を込めて御曹司を睨みつけた。すると御曹司はその視線に気付いたのかハッと教頭の方を向くと、ニヤつきながら彼に近づき「これは失敬。つい長居してしまいました。僕は大人しく自分の席に戻りますよ。いやぁ、大会後が楽しみだなぁ〜」と言い教頭の肩を叩いて自席に戻っていった。その戻る途中で御曹司はたまたま嗅いだ匂いが気になったらしく大声でこんな事を言った。

「おい、ここは豚骨ラーメン屋かよ。なんかどっかで豚みたいな匂いがするぜ!」

 その御曹司の言葉に客も反応して確かに臭いと騒ぎ出した。観客たちは匂のもとをクンクン嗅ぎ出したが、その時場内から「もう少しで次の演目が始まりますのでお静かにお願いします」との注意のアナウンスがあったので皆一斉に黙ってステージを見つめた。

 すでに次の演目『カルメン』の舞台の準備は始まっていた。舞台の背景担当の部員たちが次々とセットを運んできたが、観客はその高校生の舞台にしては豪華すぎるセットが運ばれてくるたびに感嘆のあまりため息を漏らした。そして背景の幕が下された時観客は一斉に感嘆の叫びをあげた。その反応を見た御曹司は凄い背景だねぇ、高校生の舞台とは思えないよ!とわざとらしく大声をあげて褒めちぎった。御曹司の声を聞いた瞬間教頭は彼がこの背景の発案した事を思い出して思わずステージから目を背けた。

 全国高等学校演劇大会では共通のルールとして上演時間は六十分、そして舞台の設置と撤去は三十分以内と決められている。その制限時間を一分でも超えた高校はその場で失格となる。だからセットの設置に戸惑っていたら芝居すらさせてもらえなくなってしまうのだ。しかしそんな制限時間など今の演劇部には関係なかった。舞台は部員たちの驚くほどの手際の良さであっという間に出来上がってしまった。そしてステージには誰もいなくなり、やがて会場の照明が落ちると観客席は静まり返った。後もう少しで舞台が始まるのだ。


 舞台の袖でモエコたち演劇部は今か今かと開演を待っていた。モエコは待っている間、今まで立った舞台の事を思い出していた。初舞台のシンデレラから地区大会までのいろんな場面が彼女の中に去来した。演劇というものを体で知った初舞台のシンデレラ。ああ!あのモップで私をいぢめたあのブサイクな同級生たちは今どこにいるのだろう。改心した彼女たちは少しは綺麗になっているのだろうか。中学の演劇部で私の言うことを少しも聞かなかった、これもブサイクな部員は今どこにいるのだろう。彼女たちは今私の言う事を聞いておけば少しは綺麗になれたのにと後悔しているのだろうか。そして去年のあの恥さらしの舞台の脚本を書いたあのどうしよう!(同士よ!)の元部長は何をしているのだろうか。今も何をどうして良いか分からずマゴマゴしているのだろうか。モエコは今目の前にいる部員たちを見て思った。私ずっと演劇をやってよかったと。彼女にとって今ここにいる部員たちこそかけがえのない仲間たちだった。思えば自分はずっとこんな素敵な仲間を求めていた。今こうして目の前にいる部員たちを見ているとモエコは溢れる感情に耐えきれなくなり思わず震える声でこんな言葉を口に出した。

「みんな……ありがとう」

 部員一同はモエコの言葉を聞いて一斉に彼女の方を向いた。部員たちはそこにカルメンの衣装で涙を流しているモエコを見たのである。彼らは普段気の強いモエコが涙を流しているのに驚いたが、すぐに笑いながらモエコのそばに寄り、「モエコも感傷に耽る事があるのね」とか「バカヤロ、お前のやめにやってんじゃねえよ。俺のためだ」とか「まだ上演前じゃねえか。あんだけ俺たちに演技に集中しろとか言ってんのに肝心のお前が泣いてどうするよ」とか次々と声をかけた。

 そんな部員たちを見てモエコは改めて思った。この演劇部のみんなと舞台をやってきて本当によかったと。彼女は顔をあげると部員たちに向かって言った。

「もう大丈夫よ。みんな今日は最高の舞台にしようね!」

 演劇部員は一同無言で深く頷いた。






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