見出し画像

絵画教室

 東京渋谷区某所にある絵画教室は結構有名で、かつての生徒の中には画家やイラストレーターとして活動しているものが多数いた。よくメディアなんかにも取り上げられ、最近では某カリスマロックバンドのフロントマンとコラボ企画が話題になった。

 そんな絵画教室で毎年六月に開催される展覧会のための公募が行われる事になった。この展覧会は教室主催のもので、生徒たちだけでなく、教室に在籍していた画家やイラストレーターの作品も展示される。なのでアート関係のメディアもよく取材に来る。なので生徒たちの作品だって注目される機会がある。今人気のイラストレーターの中にはそうやって注目されてデビューしたものもいる。だからもし選考に受かり作品を展示できれば普通の一般人でも人気者になれるかもしれないのだ。

「ですから皆さん、是非応募して下さい。今回展覧会に出展してくれる〇〇さんも、△△さんも元々はあなた方と同じような普通の生徒だったんです。それが展覧会で注目されてあっという間に人気ものになりました。この二人は元々美術教育を受けていないズブの素人だったんですが、教室に入ってからメキメキと画力が上達してあっという間にプロになることができたんです。皆さんだって入った頃に比べたら大分上達している。それにです。まぁ自慢話じゃないですが、この二人は私が直接指導したんですよ。自慢じゃないですが、私は教え方が上手いのかどうなのか、教え子の中にプロになる人が多いんです。皆さんだってプロになれるかもしれない。なんてったってこの私の生徒なんですから」

 只今教室でこう自慢げに話している男はこの絵画教室の講師のひとりである。本人も画家であった。しかし彼は画家としてはイマイチ売れず、知り合いの同業者つてでこの教室の講師となったが、彼は画家としてより教師の方が向いているらしく、教え子は続々とプロになった。今では画家よりも講師として世間に知られている。

「ただです。応募するのは自由ですが、やっぱりプロを目指すならそれなりの作品を仕上げてもらわないと展覧会に展示することはできません。皆さんも知っているようにこの展覧会は現在プロで活躍している、かつてのOBOGも出展します。そんな展覧会で普通の絵を描いたところで誰も見向きはしません。私が展覧会に選ぶのはプロに負けないオリジナリティあふれる絵です。皆さんは長くて三年、新しい人でも二か月はこの教室で学んでいます。ですから絵の基礎は大体習得しているはずです。この展覧会に出展するにふさわしい絵、それはオリジナリティあふれる絵です。上手いだけの絵じゃプロには勝てません。プロでは到底思いつかない奇想天外の発想に満ちた絵こそ展覧会には必要なのです。さぁ、皆さん今すぐ描きましょう。六月まであと一か月、一か月は長いように見えて一瞬です。インスピレーションはひらめいたらキャンバスんいそのままぶつけましょう」


 講師が言い終えると生徒たちがぱらぱらと拍手を打った。生徒たちの殆どは戸惑っていた。インスピレーションのままに描けと言われても、なかなかかけるものではない。ましてやプロを超えるオリジナリティあふれる絵なんてかけるのだろうか。しかし生徒の中にはこの講師の言葉に発奮したものが何人かいた。その中の太った女性は講師に向かって言った。

「私今まで展覧会に挑戦するの遠慮してたけど、今回は挑戦してみるわ。大体私△△ちゃんと同期で、彼女からもよくお上手ですね、美大に通っていたんですかって言われていたのよ。それで私が普通のお嬢様大学だって答えたら彼女目を輝かせて言うじゃない。ああ!お嬢様だなんて羨ましいです!私はこんなにエレガントな絵描けませんよってね。でも自信がなかったの。彼女が私を褒めているのはお世辞だって思っていたし、自分には才能なんてないんだわなんて思い込んでいたから。でも私今の先生の言葉を聞いて私決心したわ。私挑戦してみるわ。子供の頃からみんなにさっちゃんはピアノもヴァイオリンも上手って褒められていたのに、自分に自信が持てなくてどの道にも進むのを躊躇って結局何者にもなれなかったけど、もう迷わない。私立派なアーティストになるわ!」

 太ったブルジョワ女性の演説に他の生徒は一斉に拍手を送った。そして女性の言葉に影響されたのか彼女と同じ年頃の女性たちも次々と名乗りを上げた。私も頑張る。何事も挑戦。挑戦する事に意義がある。そう女性たちは言い涙ながらに互いを励ました。女性たちがそう励ましている最中に一人の青年がおずおずと手を挙げて僕も応募したいと言った。

 青年の言葉を聞いて他の生徒はいかにも信じがたいといった顔で目を丸くして青年をみた。先ほどの太ったブルジョワ女性ははぁ?と大きな声を挙げて青年を嘲笑しはじめた。

「あなた何考えてるの?あなた石膏と静物画しか描けないじゃない。この間の課題作品だって自由課題だって言ってるのに石膏のデッサン画描いてくるんだから。よしなさいよ。あなた確かにデッサン上手いけど無理よ。あの、この間先生にも言われたでしょ?いくら技術を習得してもオリジナリティがなければダメだって。あなたのつまらない石膏のデッサンが先生のお眼鏡に叶うと思って?」

 青年はブルジョワ女性の露骨に嫌味ったらしい言葉にいきり立って言い返した。

「今回は石膏なんて描きませんよ。正直に言って僕は今まで自分に自信が持てなかったんです。小さい頃から絵が上手いって言われて自分でもその気になって美大に受験したけど二連続で落ちて心をへし折られました。今先生がいつも言うように僕は技術はあるけど発想力がない。きっとそれは描きたいものが湧き上がってこないせいだと思うんです。だけど今沸々と何かが湧いてくるような気がしています。もしかしたら……」

 この青年の言葉にブルジョワの中年女性は腹を抱えて笑い出した。

「無理よ!あなたの貧困な発想力で描いた絵なんか誰もみないわ。せいぜいあなたの安アパートの風呂場にいるナメクジみたいに宝くじにでも頬擦りしてアーティストになる夢でもみてなさいよ!」

 青年はブルジョワ女性をキッと睨みつけた。ブルジョワ女性はその視線に慄き「な、何よ。文句でもあるの?」と文句を言ったが、しかし青年はそれでも女性から目を逸らさなかった。

「是非楽しみに待っていて下さい。僕は今ハッキリと自分の描きたいものが浮かんできました。こんなこと生まれて初めてです。これはあなたのおかげですよ。あなたが今言い放った言葉が僕にインピスレーションを与えてくれたのです。先生、そして皆さん。僕は今度の課題作品で皆さんをあっと言わせてやりますよ」

 青年はそう言い終えると他の生徒たちを思いっきり睨みつけた。生徒たちは青年のいつもとまるで違う態度に戸惑いざわめいたが、しかしブルジョワ女性は全く動ぜず、青年に言い返した。

「まっ、楽しみにしてるわ。あなたがあっと言わせるぐらいのつまらない絵を描いてくるかねっ!」

 こうブルジョワ女性が言うとどっと笑いが起こった。青年は憤激のあまり顔を真っ赤に染めて皆に向かって言い放った。

「絶対にあなたたちがショックのあまり言葉すら出せないような絵を描いてやる!僕が今までこの教室で学んだ事をこの課題作品に全てぶち込んでやるっ!」

 青年はそう言い放つと荷物を持ってそのまま教室を出て行った。青年が出ていった後でブルジョワ女性は思いっきり青年を罵倒した。

「あんなキモオタ以下のナメクジ男にろくな絵が描けるわけないわよ。きっと自信の課題作もつまらない写生に決まってるわ」

 このブルジョワ女性の発言に他の生徒たちは大笑いした。ブルジョワ女性はその仲間たちの笑い乗せられて講師に向かって先生もそう思うでしょ?と聞いた。講師はこの言葉に不快になって厳しい顔でブルジョワ夫人をたしなめた。

「いけませんね。同じ絵を学ぶ仲間をそんな風にバカにしては。そうやってバカにしているといずれあなた方は後悔するかもしれませんよ」

「どうやったら私たちがあんなキモオタ以下の人間をバカにしたことを後悔できるんですか?あの子が私たちにいぢめられたとか言って警察に訴えるんですか?まったく恥ずかしい。いくらキモオタ以下でもあの子がそんなお子様じゃないでしょ。せいぜい嫌味を言ってこの教室から出てゆくのが関の山ですよ」

 このブルジョワ女性の発言に再び他の生徒は笑い出した。その生徒たちを見ながら講師は一人こう呟いた。

「芸術をバカにするものは芸術によって復讐されるんですよ」


 日は過ぎて課題作品の発表会の日になった。今月の発表会は優秀賞には展覧会への参加の資格を与えられるので、講師のほかに特別ゲストとして元生徒や、この教室に深くかかわりを持っているアーティストたちも審査員として参加していた。今回の発表会の参加者は五人であった。まずは例のブルジョア女性。彼女は先日自身で話したように教室に入って五年目になるが今まで一度も発表会には作品を出していなかった。この傲慢に見え、事実傲慢そのものの性格をしている女性が今まで一度も発表会に自分の作品を出さなかったのは不思議だが、それはやっぱりプライドの高さゆえだろう。彼女は自分の作品がこっぴどくけなされるのを恐れていたのである。そんな彼女だったが今日は異様に自信満々であった。やはり友達であるらしい△△と先日講師が発表会の募集の時に言った言葉に影響されたのか。二人目の女性もブルジョアで一人目の女性の手下みたいな感じであった。彼女は山彦とあだ名されていた。度々一人目のブルジョア女性が皆に言った事を繰り返すからだ。三人目と四人目はまあ特に語ることはない。ただ気まぐれで発表会に参加したに過ぎない。そして最後の一人は例の青年であった。彼はブルジョワ女性にバカにされてからずっと教室に来なかったが、その間ずっとアパートに籠って発表会のために作品を描いていたのである。

 発表会はまず教室のオーナー夫妻の挨拶から始まり、続いて講師連中とゲスト審査員であるアーティストたちの挨拶で締めくくられた。それからすぐに参加者五人の作品が順に発表された。まずは一人目の参加者であるブルジョワ女性の作品の発表である。彼女は布に包んだカンバスを恥ずかしそうに抱えて壇上に現れた。それから壇上に立ててあったイーゼルにカンバスを描けると気取った態度で思いっきりカンバスから布をはぎ取った。その時生徒たちの間から驚きの声が上がった。驚いたのは生徒たちだけではなかった。壇上の審査員からも見事だとの声が漏れた。

「これはジューンブライドがテーマですの。夫とのバリ島でした結婚式をイメージして描きましたの。ああ!こんな本来こんな下手な絵を人様に見せてはいけないと思うんですが、旅の恥はかき捨てって気持ちでもう恥なんか捨ててこの発表会に出しましたの。皆さんどうぞ笑ってあげてください」

「いえ、私笑ったりしません。やっぱり思った通り奥様はご趣味が本当にいい。色彩の使い方ひとつで育ちの良さが伝わってきますわ」

「まぁ、△△ちゃんたら、そんなにお世辞並べたらもっとあなたにお仕事あげたくなっちゃうじゃない。この純粋な私をこれ以上持ち上げないで」

 このアーティストとパトロンの褒め合いはしばらくの間続き、それから次の二人の目のブルジョア女性の子分の作品が披露されたが、彼女の作品は特に見るべきところがなく、皆通り一片のコメントしか述べなかった。続いて三人目、四人目と同じようなつまらない作品の発表が続き、最後に青年の番になった。青年は緊張の面持ちでカンバスを持って壇上に上がった。そして壇上に立った青年は何故かカンバスをイーゼルにおかず持ったままアトリエにいる人間に向かって語り始めた。

「作品を発表する前に少し語らせて下さい。僕はこの教室に入ってもう三年になりますが、今まで石膏や静物画以外の絵をろくに描いていませんでした。先生にもそのことを指摘され、もっと自分を出したものを描けと注意もされました。だけど僕にはどうしても自分の描きたいものが浮かばなかったのです。それに自分を出す勇気もなかった。だけどです。先日僕は……」

「あなたいい加減になさいよ!審査員の方たちだって忙しいところをこの発表会のためにわざわざ来てくださっているのよ。それなのにくだらない無駄話で時間を無駄にして!いい?二次会だってあるのよ!ここにきているみんなはそれを楽しみにしてるんだから!いいからさっさとあなたのつまらない絵を出してとっとと出ていきなさいよ!」

 ブルジョワ女性は青年の自分語りに頭にきて立ち上がって青年に食ってかかった。しかし青年はブルジョワ女性の言葉に全く動じなかった。

「いいえ話はやめません!もう少しだけ語らせてください!僕はあの日ほかならぬあなたに言われた言葉でやっと自分の描きたいものを見つけることが出来たんです!皆さん、僕の今回の発表作品のタイトルは『ナメクジ』です!」

 ナメクジというあまりにこのハイソな絵画教室に相応しくない画題を聞いてみな固まってしまった。ブルジョワ女性はナメクジという画題から青年が描きそうなナメクジの写実的な絵を思い浮かべて身の毛もよだつぐらいの嫌悪を感じ青年に向かって声を荒げてそんなもの人に見せるなと怒鳴りつけた。

「やめなさいよ!あなたこの発表会を無茶苦茶にする気?ナメクジを描いた絵ですってああ身の毛もよだつわ!先生方こんなナメクジそのものの人間なんか今すぐ叩き出してちょうだい!」

 このブルジョワ女性の叫びに他の生徒も呼応した。

「そうよそうよさっさとこのナメクジ男をこの教室から叩き出して!」

「うるさい!作品も見ずに勝手に作品の内容を判断するな!この作品はあなた方が想像するようなつまらない作品じゃない!この間僕はあなた方にこう言った!僕はあなた方にショックを与えるような作品を描いてやると!僕はそのために教室で学び見た事を全てこの作品に注いだんだ!しかとみるがいい!これが僕の発表作品『ナメクジ』だ!

 青年はこう叫ぶと勢いよくカンバスの布をはぎ取ってそのまま両手で掲げた。その絵を目にした瞬間ブルジョワ女性をはじめとした生徒たちはショックのあまり口を開いたまま動かなくなってしまった。講師と審査員たちは絵と生徒たちを見比べて唖然とした表情で青年を凝視した。青年の発表作品『ナメクジ』に描かれていたのは、青年の言った通り写実的なナメクジではなく、そのナメクジのように舌で金と名誉を嘗めまくるブルジョワ女性をはじめとした生徒たちがグロテスクなまでに写実的に描かれていたのである。ブルジョワ女性をはじめとした生徒たちは完全に我を忘れて今すぐこの絵を廃棄しろとわめきたてた。だが審査員たちは皆このナメクジと題された人間の醜悪さを写実的に描いた傑作の周りに集まって異様に熱い調子で讃嘆していた。講師もまたこの作品に感嘆していた。そしてこの間のブルジョワ女性が青年をバカにしたときに呟いた言葉を思い出して再び呟いたのだった。

「ほら言わんこっちゃない。芸術をバカにするものは芸術によって殺されるんだよ」


いいなと思ったら応援しよう!