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《連載小説》全身女優モエコ 芸能界編 第二十話:三日月の差し入れ

前話:第十九話:濃厚接触! 第二十一話:モエコ史上最大の屈辱

 猪狩は目の前で震えるモエコを見て彼女と南狭一がスタジオの楽屋でばったり出くわした時に悪い予感がした事を思い出してゾッとした。あの時自分が感じた不安は間違いではなかったのだ。もう少し自分が注意していればこんな事にはならなかったのに。火山モエコがいくら天才と褒められようが彼女はまだ十七歳だ。しかもど田舎出身で演技以外のことなどまるで知らない少女なのだ。そんな彼女が男の欲望を体ごと浴びてまともでいられる訳がない。

 ああ!確かにモエコは子供の頃から歳の離れた男たちとお友達ごっこと称した危険な交流をし、男たちから金までもらっていたが、肉体関係まではいっていなかった。勿論あの事件が起こらずそのまま男たちと交流を続けていれば絶対に肉体関係を迫られていただろう。しかし純粋すぎる彼女はこの汚らわしい彼らでさえ純粋な友達だった信じていた。ああ!当時のモエコは全くといっていいほど男に免疫がなかったのだ。

 モエコは南に果てしなく濃厚接触させられた時男がいかに獣じみた存在であるかを嫌というほど知ったに違いない。ああ!あの時南の奴はモエコを力任せに抱きしめて自分の体を押し当てていた。恐らく下半身の接触もあっただろう。初めて知る男の剥き出しの欲望に彼女が纏っていた女優の鎧はあっさりと剥がれてしまった。

 その南は自分の出番の撮影を終えると、次の歌番組の出演のために皆に撮影頑張って下さいと挨拶をして現場を去った。猪狩はモエコを連れて次の収録までの待機のために再びロケバスに戻ったが、モエコはその間一言も口を聞かなかった。彼女は猪狩の顔さえ見ず、彼が話しかけたらピクリとして慌てて目を逸らした。ああ!まさか彼女は猪狩までまで怖くなったのだろうか。普段あれほど怒鳴り散らしている彼でさえも。


 ロケバスに移動してもモエコの震えはまだ治らなかった。時間が経つごとに震えは一層激しくなり椅子から音まで鳴り始めた。心配した何人かのスタッフが体調が悪いのかと声をかけてきた。猪狩もモエコに向かって大丈夫かと聞いた。無理なようなら収録を後日に変えてもらうように相談すると彼は話したのだが、それを聞いてモエコは急に怒り出し、「ふざけんな!そんなことしたら愛美ちゃんが悲しむじゃない!今のモエコはモエコじゃなくて杉本愛美なの!あなたそんなこともわからないの!」と彼を激しく罵った。猪狩はこのモエコの言葉を聞いて彼女の決して揺るがぬ女優魂に感服したが、同時に彼女がこれから演じるシーンを思い浮かべ暗澹たる気持ちになった。果たして今のモエコにこれから撮影するあのシーンを演じ切る事ができるのだろうか。

 キャバレーのシーンに出演していた役者たちは去り、代わりに次のシーンに出る役者たちが続々とバスに入ってきた。猪狩は彼らのチンピラみたいな格好を見て彼らが何を演じるかをすぐに察した。ああ!コイツらがモエコとあのシーンをやるのか。コイツがモエコを……

 チンピラの格好をした連中は揃ってモエコの所に挨拶にやってきたが、モエコは彼らを見て目を剥いて震え出した。ああ!モエコはこれから彼らとあのシーンを演じなければならない事に怯えているのだろうか。モエコはもしかしたらお友達の事も思い出したのかもしれない。あのお友達も自分と濃厚接触したかったのかもしれない。だから地主の息子は自分を包丁で刺したのだろうかと。

 だがモエコにどうしたらいいのか。不安に苛まれ女優としての意地だけでどうにか自分を支えているこの少女をどうしたら救えるのか。今彼女をこの恐怖から救うにはすぐにでもドラマを降板するしか道はない。やはりお前には無理だったと彼女に降板をのんでもらうしかない。しかしそれは不可能というものだった。猪狩には全身女優火山モエコがこのドラマ降板することなどあり得ない事がわかっていたからである。彼女から役を取り上げる事は死刑宣告に等しかった。今ここでモエコに向かって杉本愛美役を降板しろと言ったら彼女はその場で舌を噛んで死んでいただろう。彼が今やるべき事はモエコの不安を取り除いて現場に向かわせる。それぐらいしかできなかった。

「安心しろ。俺はずっとお前を見守って……」

 猪狩がこう言いかけ時、モエコがいきなり身を乗り出して入り口の方を見た。彼も何事かと思って入り口を見たが、なんとそこにあの三日月が立っていたのだ。三日月はスタジオでの荒れっぷりが嘘のような晴れやかな笑みを浮かべてそこにいた。しかしスタジオで収録しているはずの三日月エリカがなぜここに来たのか。

「あらぁ〜!皆さん今晩わぁ!三日月エリカで〜す!遅くまで撮影お疲れ様で〜す!皆さんに差し入れ持ってきましたぁ〜!」

 三日月は思いっきりの作り笑いでブリブリのぶりっ子ぶりをかまして座っている役者たちに差し入れを渡し回った。役者たちは起立して三日月に媚びへつらうように口々に大袈裟な言葉を並べて礼を言い三日月の差し入れを褒めたたえた。そして最後に三日月はモエコの元にやってきた。彼女は満面の笑みを浮かべて差し入れを渡すとぐっとモエコに顔を近づけて励ましの言葉をかけた。

「モエコちゃん撮影頑張ってね。エリカも応援しているから。だけどモエコちゃんは本当に偉いわぁ。エリカだったらあんな汚くて酷いシーンなんか台本読んだだけで怖くなって逃げちゃうもの。なのにモエコちゃんは逃げないでちゃんとここにきてる。エリカ本当にモエコちゃんを尊敬するわぁ!」

 ああ!いつものモエコだったら三日月のこの励ましを装ったあからさまな嘲笑に激怒して飛びかかったであろう。だが今のモエコはそれどころではなかった。未だ体にこびりつく男の感触に体を震わせ、気力だけでどうにか自分を支えている状態だった。三日月はそのモエコを見るなり目を剥いて喋り出した。

「まぁ、モエコちゃん顔が青いわよ!こんなに震えて!ああ!モエコちゃんやっぱり怖いの?我慢しないでエリカには正直に言って!力になってあげられるかもしれないから!」

「うるさいわね!いい加減黙ってなさいよ!」

 モエコはそう叫ぶと三日月の差し入れを彼女に向かって投げつけた。車内はこの騒ぎに騒然となり、皆モエコと三日月の元に集まった。しかし三日月は投げつけられた差し入れを拾い、ニッコリと微笑むみくるりと一回転してお辞儀をして私は大丈夫だと両腕を広げてアピールしながら言った。

「エリカは大丈夫よ!モエコちゃんは次のシーンのことでちょっと苛立ってるだけ。ごめんね、モエコちゃん!大事なときにお邪魔して!じゃあみんな収録頑張ってね!エリカもそばで応援してるから!」

 三日月はそう言うと手を振りながらバスを降りて行ったが、猪狩はその時彼女が一瞬モエコを見て不気味に笑ったのをハッキリと見た。

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