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全身女優モエコ 第三部 第三回:モエコ東京に立つ!

 とはいっても、その時の私は実の所、この派手なドレスを着た少女を連れてどうするかなどほとんど考えていなかった。勿論あの時の私だってモエコの存在に尋常でないものを感じてはいた。だがそれとこれとは別である。現実問題としてこんな身元の怪しい少女を連れてゆくことなど本来あってはならない事だ。しかしその私が白星真理子に同調してこの少女を連れて行こうと決心したのは、彼女に対する憐れみではなく、真理子と同じように私もまたモエコに何か得体のしれないものを感じていたからであった。その得体のしれないものがなんであったかは今の私にはわかる。君たちもわかっているだろう。あの時私が女優になりたいとのたまう田舎の無邪気な少女の中に垣間見たものは後の全身女優火山モエコの姿だったのである。

 そういうわけで私はこの派手なドレスを着た少女をとりあえずは一緒に連れてゆくことにしたのだった。この私の決断に二人は喜んだ。普段あまり感情を出さない真理子が珍しく喜びをあらわにして、モエコによかったね〜、と頭をナデナデすると、モエコのヤツも大袈裟な身振りであなたは地上に降りてきた天使よ!と言って真理子に涙ながらに感謝して抱きついていた。私は彼女たちに事務所にモエコの事を報告するために電話してくると言って二人をその場に待たせて駅の公衆電話へと向かった。二人は私の不安げな表情を読み取ってか、こちらを心配そうな表情で見ていたが、いざ事務所に電話をかけてみると、やっぱりというか断られるどころか思いっきり怒鳴りつけられた。

「ゴラァチンポ野郎!おんどれ、ガキ連れて何しとるんじゃボケ!ウチの事務所は保育園やないんやぞ!さっさとそのガキ捨ててこんかい!こんかったらお前の指詰めるぞ!……って事を絶対社長は言うからさっさと子供は駅員に預けるなり警察に突き出すなりしといてね!」

 あまりの剣幕に電話中ずっと受話器を持つ手の震えが止まらなくなってしまった。そしてようやく通話が終わったのだが、私はどうにか手の震えを押さえながらようやく受話器をかける事が出来た。私はそれから彼女たちの元へ戻ろうとしたのだが、その時目の前に二人がいたので驚いてしまった。

 二人は無言で私を見ていた。恐らくさっきのやり取りを全て聞いていただろう。真理子はそばで震えるモエコを抱えながら私に問いたげに見ている。そしてモエコは再び目に涙を溜めながら今にも泣き出しそうな顔で、私が連れていけないと言おうものなら、すぐさま大袈裟な身振りで崩れ落ちようとしていた。ああ!今にして思えばその時のモエコの心情は痛いぐらいにわかる。恐らく彼女は電話口で自分に対する運命が決めらようとしている事を察したのだ。もし私が事務所の言う通りモエコを駅員か警察にでも突き出そうとしたらすぐに線路から飛び降りていただろう。それはのちに彼女が散々私に言った事だ。

『ああ!猪狩さん、あの時あなたが私を駅員に突き出そうとしたなら、私はアンナ・カレニーナのように線路に身を投げていたことでしょう。そして今頃は多分幽霊になってあなたを呪い殺していたかも知れないのよ」

 だが当然私はそんなことはしなかった。私は先ほどモエコに得体の知れないものを感じてから、彼女を今逃したら一生後悔することになると思いはじめたのだ。もしかしたらこの少女はダイヤモンドの原石かも知れぬとも考えた。しかし不思議な話だ。恐ろしく派手なドレスを着た明らかに頭のおかしい家出少女に対してこんな想像をするなんて。しかし天才とは凡人にはおよそ理解できぬものだ。そしてモエコはその天才たちの中でも一番まともではなかった。その事についてはいずれ話すとして、今は私がモエコたちに言った事を話すだけでいいだろう。私は彼女たちにこう言ったのだ。

「心配ないさ。まぁ事務所の連中はおかんむりみたいだから今日はやめてとりあえず明日か明後日にまた相談するさ」

 私の言葉を聞いて二人は喜びはしゃいでいた。まったく不思議な事だ。大体があのどちらかといえば人見知りで、初めての人間とあまり会話しない真理子が、何故かモエコとだけはあっというまに意気投合して、まるで長年の友人みたいになっている。一体真理子はこの少女のどこにそんなに惹かれたのだろうか。明らかにバックグラウンドも違う。本来なら関わりに合うことすらないだろうこの少女に。そして一番不思議だったのはこの自分だった。さっきまであれほどこの少女を追い出したがっていたのに今では彼女を留めておかねばならぬと思い込んでしまっている。この少女は一体何者なのだろうか。ただの猛烈に勘違いした田舎の少女に過ぎない彼女にどうしてここまで惹きつけられるのか。その時の私は無邪気にはしゃぐモエコを見ながらそんな事を考えていた。


 散々ないないとモエコが騒いでいた切符だが、あっけないほどすぐに見つかった。モエコが歩き出した途端ドレスの裾からヒラヒラと切符が落ちてきたのだ。それに気づいた真理子は早速拾ってモエコに渡したが、モエコは渡された切符を見た途端、ああ!と大袈裟に喜んだ。これで駅から降りられるわ!ああ!東京がモエコを待っている!と叫び、真理子はそんなモエコの手をとってよかったわねぇ〜、と喜んでいた。私は呆れたものだと思ったが、しかしいくら切符が見つかったからといってモエコとさよならをすることは今の私には出来なかった。

 私たちは駅を降りると早速ターミナルのタクシー乗り場へと向かったが、田舎者のモエコは駅の構内をキョロキョロ見渡してあちらこちらの土産物屋にいってそのたびに物欲しげな顔をして立ち止まって私たちを見るのでその度に何か買わざるを得なかった。モエコは抱えきれないほどの土産物の袋を持ちながら駅の構内を見渡して感嘆の叫びを上げるのだった。

「ああ!これが東京なのね!東京に行けば欲しいものは何でも手に入るって本当だったんだわ!だってモエコ今欲しいものを山ほど買ってもらったんだもの!」


 タクシー乗り場に着くとそこに一台タクシーが止まっていたので早速私たちはタクシーに乗った。私は助手席に乗り、バッグを持ったモエコと真理子は後部座席に乗った。モエコはタクシーの窓から見える東京の景色にいちいち感嘆の叫びをあげ、あのドラマで観た光景だわ!とかあそこでドラマの主人公とヒロインはキスしたのよとか田舎者丸出しの無邪気な反応を見せていた。

 私は真理子とモエコをどこに泊めるかを相談した。しかし真理子のやつはどうしましょうとか困ったわぁとか言うばかりでまるで頼りにもならなかった。

 そうして我々を乗せたタクシーは走っていたが、どうやら渋滞に巻き込まれてしまったようだ。タクシーは遅々として進まなくなってしまった。しかしそれは東京の景色にすっかり魅了されていたモエコはそんなことはまったく気にせず窓から見えるビルやデパートをただうっとりして眺めていた。しかしモエコは突然叫び声を上げた。私と真理子はその叫び声に驚いて彼女を見た。モエコは指でビルの看板を指し示した。

「あ……あ、まさかこんなところで会えるなんて」

 私と真理子はモエコの差し示す方を見た。そこには近日公開と予告の打たれた神崎雄介の『火山に果てる』の看板があったのだ。モエコは看板を見るなり涙を流しながらロケで出会った神崎について語った。私と真理子はその話を聞いてハッとした。彼女は昨日九州の某県の火山地帯で起こった噴火の被害者である事がわかったからである。私と真理子は顔を見合わせて彼女になんと言えばよいか共に考えた。すると真理子が突然モエコに近寄って声をかけた。

「ねえ、モエちゃん。神崎さんの映画の隣に看板あるでしょ?舞台の看板なんだけどわかる?」

 モエコは真理子に促されて隣の看板を見た。そこにはなんとあの三日月エリカかニッコリと笑って写っており、その下に白抜きのエレガントなフォントでデカデカと主演者と舞台のタイトルが描かれていた。

『特別公演舞台:シンデレラ 主演:三日月エリカ』

 これまた久しぶりに聞く名前であった。この三日月エリカも神崎雄介と同じくロケでやってきたのだが、その際にこの女はわがまま放題に喚き散らし、挙げ句の果てにモエコの愛する村の自然まで侮辱し始めたので、モエコは怒り狂ってこれが山の神の裁きだと三日月を思いっきり殴り飛ばしてやったのだ。それがあまりにもクリーンヒットしたので、モエコはそれからしばらく三日月の顔に後遺症がないか心配していたが、看板を見て心配が杞憂であることがわかってホッとした。看板の三日月はシンデレラのドレスを着てゴージャス極まりない舞台の背景をバックにニッコリと微笑んでいた。モエコはそれを見て小学校の頃のシンデレラの貧相な舞台を思い出して思わず顔を赤らめた。彼女は恥ずかしさと悔しさに悶え、自らの運命の不条理を呪った。ああ!本来ならシンデレラは私のような純粋で心清きものが演じるはずなのに、どうして神様はこの自然を冒涜するような性格の卑しい人間にシンデレラを演じさせるの?ああ!こんなことならもう一発ぶち込んで前歯を残らず折ってしまえばよかったんだわ!

 モエコはそのままずっと看板を見つめていたが、そのモエコに向かって真理子が続けた。

「私ね、あの舞台に出るのよ。シンデレラのお姉さん役で」

 真理子の言葉を聞いたモエコは目が飛び出そうなぐらい驚いた。実際一瞬両目が垂れてしまったほどである。彼女はしばらく口をパクパクさせて自分を落ち着かせようとしているようだった。そうしてしばらく幾分かは落ち着きを取り戻した彼女は真理子に向かって叫んだ。

「ええーっ!あなた女優だったのぉ!ウソよ!モエコ信じられない!」


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