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全身女優モエコ 第四部 第九回:大女優三添薫現る!

 ああ!いきなりの試練が来た。モエコにまともな挨拶なんて出来るわけ無いではないか。この田舎者の、世間知らずにも程があるモエコに挨拶なんて出来るわけ無いだろ!ましてや相手はあの海老島権三郎だぞ。大俳優海老島権三郎の性格の悪さは業界に広く知れ渡っている。彼は手下や後輩の俳優たちに自分を先生と呼ばせ、自分を先生と呼ばない俳優、挨拶をしに来ない俳優、またはその挨拶が彼のお気に召さなかった俳優をその権力を使って徹底的にいぢめまくるのだ。そんな事を知らないモエコはプロデューサーに向かって能天気にこう抜かした。

「いいわよ、モエコその海老島おぢいちゃんに挨拶しに行ってあげるわ。正直に言ってあのおぢいちゃんの事あんまり好きじゃないけど、行けと言うなら行ってやるわよ」

 私はこのモエコの能天気っぷりに呆れ果てて、思いっきり注意してやった。

「いいか?海老島先生は気難しい方で有名なんだぞ!礼儀作法に無茶苦茶うるさい方なんだ!だからドアをノックして返事が来たらそっと開けて部屋に入ったらちゃんと両手をついて『海老島先生、お初にお目にかかります。私、新人女優の火山モエコと申します。女優としてまだまだひよっこの私ですが、本日はご指導御鞭撻よろしくお願い致します』と、これだけ言って後は丁重に頭を下げて静かに部屋から出てこい!今から少しリハーサルするかモエコ?」

「バッカじゃないの!なんでモエコがあのジジイにそんな畏まった挨拶しなきゃいけないのよ!モエコはあのジジイの息子の恋人の役なのよ!ジジイの弟子の役とかじゃないのよ!そんな奴になんで頭下げなきゃいけないのよ!」

「バカヤロー!役とかどうでもいいんだよ!お前は今から芸能界に入るんだぞ!郷に入れば郷に従えって言葉があるだろ!」

「うるさいわね!何が郷に従えよ!郷ひろみみたいなこと言ってんじゃないわよ!」

 この馬鹿め!と私が言い返そうとした時、プロデューサーが私たちの中に割って入ってきた。彼はもう今にも土下座せんばかりに私にちに頼み込んできた。

「もうケンカはやめて!今すぐ海老島先生のとこに挨拶行かなきゃ!揉めてる暇はないんだよ今は!海老島先生は気が短いんだ。ちょっと怒るとすぐブチ切れて出ていっちゃうんだから。モエコちゃん、そんなに嫌がるんじゃないよ。演技だと思ってちょっと挨拶してくればいいんだよ。君は女優だろ?女優だったらどんなシュチュエーションでも演技しなきゃダメじゃないか。君なら完璧にこなせるよ。ねぇ、今からちょっと試しにやってみよう。さっきの猪狩君が言った事覚えてる?あれ今やってみせて!僕が海老島先生になるから君は楽屋の外から挨拶に来るんだ。いくよ!」

 モエコは演技だと聞いて俄然張り切りだした。私はプロデューサーのモエコの扱い方のうまさにまたまた感心してしまった。やはりベテランのプロデューサーだけの事はある。モエコのような単純な田舎者を操縦することなど訳はないのだろう。

 モエコは私に言われた通りドアをノックしてプロデューサーの入れと返事を聞くと静かに楽屋のドアを開けた。そして靴をゆっくりと脱ぎ畳に乗ると淑やかに両膝をついて両手をついて軽く頭を下げて先程私が言った台詞をそのまま述べた。

「海老島先生、お初にお目にかかります。私、新人女優の火山モエコと申します。女優としてまだまだひよっこの私ですが、本日はご指導御鞭撻よろしくお願い致します」

 そしてモエコは深く頭を下げて静かに立ち上がるとそのまま靴を履いてドアへと向かい、ドアの前でもう一度お辞儀をして出る。

「おおなんて完璧なんだ!これだったら海老島先生も気に入ってくれるはず!モエコちゃんよろしく頼むよ!絶対だよ!」

 プロデューサーはモエコに向かってこう褒め、そして私の所まで来て海老島権三郎の楽屋の場所を教えると、じゃあよろしくと言って私たちの元から去って行った。モエコはすっかり鼻高々で、「こんな事簡単よ。さぁ海老島のジジイの所行くわよ」とか抜かしていた。全く呆れるほど単純な奴だ。私はモエコを連れて早速海老島の楽屋へと向かった。


 海老島の楽屋に着いた私とモエコは、入り口の辺りに三人ほど並んでいるのを見た。どうやら彼らも海老島に挨拶に来たらしい。私は一番後ろにいた男に並んでいるのかと聞くとやはり並んでいると答えた。そして私に話しかけてきた。

「いやあ、参ったよ。さっさと海老島先生に挨拶済まそうと朝一で来たら、先生ずっと三添薫さんと話し込んでて挨拶できねんだよ。ところでおたくらは何者?」

 私は彼らに挨拶するのを忘れていた事に気づき、慌てて名刺を取り出して挨拶した。

「挨拶遅れて申し訳ありません。私は杉本愛美役の女優火山モエコのマネージャーの猪狩鎮保と申します。そしてここにいるのがその火山モエコです。本日はよろしくお願いします。モエコこの方たちに挨拶しなさい」

「火山モエコよ。今日はよろしくね」

「よろしくね、じゃないだろ?よろしくお願いします、だろうが!」

「いちいちうるさいわね。そんな小姑みたいな真似やめなさいよ!」

 彼らはモエコを見て一様に驚いた。互いに顔を見合わせてそれからモエコを見る。今度は真ん中の男が私に話しかけてきた。

「ヘェ〜っ!この子が新しく杉本愛美役に抜擢された火山モエコさんなんだ。いやぁ凄いなぁ、なんかオーラ出まくりで。あの、僕らレストランのウェイター役なんです。メインキャストの方はお先にどうぞ!」

「じゃあお言葉に甘えてお先に楽屋に入るわね」

「バカヤロ!この方たちは芸能界の先輩なんだぞ!いくら相手が譲ってもそれを遠慮するのが礼儀だろ!」

「この人たちのいう通りでしょ?モエコはメインキャストなのよ。脇役は主役に座を譲るべきよ」

「お前はどこまで失礼なんだ。いやすみません。この子は田舎から出てきたばかりでろくに礼儀作法を習ってないんです」

 私がそういうと、彼らは「ああ……いいんですか」と言って申し訳なさそうに私とモエコを見た。そうして私たちはそのまま三添薫が出てくるのを待っていたが、三添薫は一向に出てこない。そうして待っているうちに俳優たちが続々とやって来た。俳優の一人が「ちょっとどいて」と言ってモエコの前に並んでいる三人の前に並んでしまった。さらに別の女優がやって来てその俳優の前に並んでしまい、私とモエコは一瞬にして海老島の楽屋から遠く引き離されてしまったのである。これにはモエコは激しく怒った。モエコは三人組にアンタたちどうして簡単に譲るのよ!と文句を言い、さらに先に俳優や女優たちの前まで行き、

「アンタたち後から来たんだから私たちの後ろに並びなさいよこの礼儀知らず!この杉本愛美役をやる火山モエコさんですらこうして最後尾で待ってるのよ!」

 と怒鳴りつけた。私は慌ててモエコを「バカ!今すぐ謝れ!」とモエコを叱って連れ戻そうとしたが、モエコはテコでも動かず、俳優たちを睨みつけていた。すると女優の一人がモエコの所に進み出て来て言った。

「ねぇ、アンタらどこの事務所なのよ。私らフタプロよ。活火山燃えるだかなんだか知らないけど、代役風情が調子に乗るんじよないわよ!」

「何よそんなお鍋の蓋みたいな名前の事務所!モエコは鶴亀事務所なのよ!鶴は千年亀は万年のおめでたい事務所なのよ。羨ましいでしょ!」

「何それ、そんな事務所聞いたことないわ!あなた何も知らないのね。フタプロってのは芸能プロダクション最大手の双葉プロダクションのことよ!アンタんとこのちっぽけな事務所なんか今すぐ潰せるんだから!」

「うちの事務所バカするな!確かに社長の鶴亀おぢいちゃんは自分の指二本切ってるけど、すっごくいい人なんだから!社員の中にも指のない人や顔に傷がある人がちらほらいるけどみんないい人たちなのよ!」

「ひいっ!それじゃヤクザの事務所そのまんまじゃないの!うわぁ、こんなおっかない人と共演なんかしたくないわぁ〜!」

 その時だった。楽屋のドアが開く音が鳴り、そこから大女優三添薫が出てきたのだった。皆緊張して一斉に頭を下げる。モエコと揉めていた女優もモエコなど無視してひたすら畏まって背筋をピンとさせて立つ。その彼らにむかって三添薫は「お待たせしてこめんなさいね。海老島さんとついお話が盛り上がってしまって」と謝りながらゆっくりと歩く。モエコは皆がどうして急に態度を変化させたのか飲み込めず棒立ちになっていた。私はそのモエコに早く自分の居場所に戻るように言ったが、一足遅かった。三添薫はモエコを見とがめて注意したのだ。

「おや、あなたも海老島さんにご挨拶なさるんでしょう?皆さんと一緒にお並びなさい」

 そして三添薫はゆっくりとその場を立ち去った。

 とんでもないど迫力であった。モエコでさえ何も言えず大人しく自分の所に戻った。三添薫は若い頃は清純派の青春女優として活躍し、今では良き母親役を演じる世間的には良妻賢母の女優として知られるが、今我々が見たのはそのイメージとは似ても似つかない、芸能界の魑魅魍魎をくぐり抜けてきた強き女そのものであった。モエコも若くして死ななければ今頃は三添薫のような大女優となっていただろうか。となりのモエコは目を剥いて棒立ちになっていた。自分の目の前に現れた大女優の存在に慄いてこう呟いた。

「モエコは今からあんな恐ろしい人と戦わなくてはいけないの?」

 三添薫が去った後、役者たちが呼ばれ始めたが、その時向かい側の通路から派手な格好をした若い男がやって来た。私は男の姿を見てコイツが南狭一だと確信した。なんだがイメージ通り女みたいな所作で行列の先頭の連中と話している。その時一瞬南が遠く離れている我々を見た。おそらくモエコを見たに違いない。南は行列の先頭に入り、すぐに呼ばれて中に入った。

 そうして役者たちが次々と海老島に呼ばれ、とうとう残ったのはモエコと彼女の前の三人組を残すのみとなった。













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