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《連載小説》全身女優モエコ 芸能界編 第八話:芸能界という伏魔殿

前話 第七話:モエコドラマ出演決定! 次話 第九話:モエコスタジオ入りする!

 女優の降板騒動以降いろいろすったもんだしたドラマ『海辺のバイブル』だったが、やっと杉本愛美役の代役が新人女優の火山モエコに決まった事が発表された事でとりあえず騒動はおさまった。視聴者は報道によって代役に火山モエコという全く名前を聞いた事のない新人女優が選ばれた事を知って、突如現れたこの『火山モエコ』なる新人女優の名前に首を捻り、ドラマの後半から登場する最重要人物杉本愛美をデビューしたての新人女優が演じることに不安になった。この杉本愛美がドラマの鍵を握っていることはドラマの脚本家の山川正二も事あるごとに語っていた。それほど重要な役になんで素人同然の女優が選ばれたのか。女優なんて他に沢山いる。いくら代役だからってなんで無名の女優なんか選ぶのだと皆ドラマの行く末を心配した。しかしドラママニアの中にはモエコかちょい役で『情熱先生』に出ていた事を覚えているものもいた。彼らはあのドラマで見せた強烈な存在感を思い出して、もしかしたらこの子はこのドラマで大ブレイクするかもしれないと夢想したりした。

 モエコが杉本愛美役になったと発表されたのは契約を交わしたその翌日だった。まだ他のキャストと顔合わせすらしていないのに、あまりにも早すぎる発表であった。鶴亀とプロデューサーはあえて大々的に発表することによってはモエコを逃げられないように考えたかもしれないが、それは今となってはわからない。とにかくモエコがこの代役で杉本愛美を演るというニュースは衝撃をもって伝えられ、彼女は一夜にして注目の的となったのである。マスコミは突如キャスト一覧に載った火山モエコなる未知の女優の正体を突き止めようと芸能プロダクション各社に突撃した。うちの事務所にも電話はかかってきた。だが根っからの狸オヤジである鶴亀は「そんな子うちにおらんわ」とすっとぼけて見事煙に巻いた。

 火山モエコは何者かとマスコミが彼女を東西奔走して探している中、当のモエコは騒ぎを知ってか知らずか、街中で我こそが火山モエコだと喚きまくっていた。彼女は「今あなたの目の前にいる私が今度杉本愛美を演じる火山モエコなのよ!あなたサインもらおうと思わないの?」と通行人を羽交い締めにして必死に自分の存在をアピールしていたが、誰もこの浮かれきった少女が火山モエコだとは思うはずもなかった。

 猪狩はモエコのドラマ出演の発表後彼女が急激に注目されてゆくのを見て不安を覚えた。事務所でプロデューサーが別れ際に言った言葉を思い出したからである。

 あの時のプロデューサーの言葉を聞い時猪狩は一人の人間を思い浮かべていた。それはモエコ扮する杉本愛美役と恋仲になる達夫役の南峡一だ。南狭一は当時非常に人気の高かったアイドルであるが、今では彼を知らない人もいるだろうから少し語っておくことにしよう。南狭一は男性アイドル専門事務所所属のアイドル歌手で中性的なルックスを売りにして人気を博していた。彼はよく歌番組に出て自身のヒット曲を歌っていたが、その振り付けはとんでもなく扇情的なものであった。彼に『リボン』というヒット曲があるが、彼はピチピチの衣装で登場するとサビでリボンをくるくる回しながら自分の腰まで回してこう歌うのだ。

『リボ~ン、リボ~ン、君はボクのリボ~ン!君を回してぇ~!君もボクを回すのさ〜!』

 当時から南はゲイだと思われていたが、それを知ってか知らずか、彼は自ら歌詞を手掛けた曲『悪魔なボク』で当時噂になっていた事務所の社長との関係を露骨に匂わせるようなことを歌っていた。

『ボクはぁ~嘘つきなのさぁ~!アイツを~愛してるなんてぇ~!愛は~お金じゃない。お金じゃない。お金じゃない。ボクが好きなのはぁ~君だけなのさぁ~!』

 猪狩はプロデューサーの態度から南が女優に肉体関係を迫ったと察した。コイツはゲイと噂があったが、芸能人なんてイメージで判断できるものではない。嘘偽りが芸能人であることの証だ。清純派のアイドルがサラ金社長の愛人だったっていう話もある。芸能界に関わってから約三年。彼はこの業界の人間がどんな連中であるか擦り込むほどわからされた。『海辺のバイブル』はゴールデンで放送されている人気ドラマである。なのに、いくら強姦や濡れ場のシーンがあるにしても、降板した女優の代わりが全く見つからず、挙げ句の果てにこの間ちょい役でデビューしたばっかりのモエコに出演を依頼しに来るとは。猪狩はこれからモエコに起こりうる事態を想像してゾッとした。子供の頃から芸能界で活躍している南にとって田舎者の単純なモエコなど騙すのは簡単だろう。いや、やはりモエコをドラマに出させてはいけない。だがすでにモエコの出演は発表されてしまっており、もう後戻りはできない。

 そんな猪狩の心配をよそにモエコのやつは撮影をまだかまだかと待ちわびていた。モエコは猪狩に会うたんびに撮影はまだなの!共演者の皆さんに会いに行かなきゃ!とか散々喚き散らした。モエコの喚きぶりには真理子でさえ困り果てていた。モエコは完全に杉本愛美になってしまい、真理子と二人で夜食を食べている最中に突然立ち上がり「ああ!もうキャバレーに行く時間だわ!」と杉本愛美そのままに本当にキャバレーに行こうとしたのである。撮影が近づくに連れてモエコの役への没入はますます度を越していき、ある時たまたま通った不良達を見るなり突然「愛美を犯しやがって!モエコが敵をとってやる!」と叫んで殴りかかろうまでしたという。

 ドラマの撮影を明後日に控えたが、課題は山積みだった。まず他の共演者への挨拶まわりだ。今まで散々話したとおりモエコほとんでもないトラブルメーカーである。大御所俳優達とトラブルになることは容易に考えられる。しかも今回はそれだけではなく、なんとあの三日月エリカもいるのだ。絶対に確実にモエコと三日月は揉める。いやバトる。そうなったらあの『シンデレラ』の稽古の大乱闘の再来だ。そうなったら今度は確実にモエコは芸能界から追放される。ああ!そうなる前にモエコをしっかりとしつけてやらねばならない。そして最後に南狭一のことだ。コイツをモエコから遠ざけようとしても無理がある。南とモエコは恋人同士の役であり、しかも思いっきり肌を合わせるのだ。その撮影の間に南がモエコに迫って来たら……。そんな不安に苛まれていた猪狩の元に電話がかかってきた。電話の主は社長だった。

「おい、猪狩。モエコの撮影明後日やろ。モエコどないしてんねん」

 鶴亀は乾いた声でこう尋ねてきた。猪狩はモエコはいつもと変わらないと、いやいつもよりよっぽどモエコらしいと正直に言おうとしたが、寸前で言葉を飲み込んだ。彼が何も言わないので鶴亀は「どうしたんや?」と聞いてきたので猪狩は勇気を出して鶴亀に杉本愛美役の女優の降板の真相を聞いた。

「なんや、今更そないなこと聞いてどうするんや」

「僕、杉本愛美役の女優が何故降板したのか気になったんですよ。もしかして南狭一が原因じゃないですか?アイツがおかまのくせに女好きだって事は社長だって知ってるじゃないですか!やっぱり南のヤツが本来杉本愛美を演るはずだった女優になんかして、それで耐えきれなくなった女優が自ら降板を申し出たってことじゃないんですか?」

「だったらどうなんや!」

 鋭い一喝だった。ヤクザ時代の鶴亀を思わせるそんな一喝だった。猪狩は震え上がり声さえ出なくなってしまった。その私に向かって鶴亀は話を続けた。

「モエコはこれから芸能界でいろんな経験をするんや。芸能界に入ったらきれいなまんまでいられへんのやぞ。お前も芸能界に入って三年になるんやからいい加減わかるやろ。モエコには経験が必要なんや。あの子が女優として大成するためには芸能界を身を以て知らなあかんのや!」

「じゃあアンタはモエコが南狭一のおもちゃにされてもいいっていうのか!アンタもしかして最初からモエコを南に売ろうとしてたんじゃないだろうな!」

 怒りのあまり思わず怒鳴ってしまった。やはり社長は知っていた。しかしそれでもモエコを南狭一と共演させようとしている。つまりはじめから仕組まれていたのだ。鶴亀は南にモエコを売った。事務所を儲けさせるためにワガママで手のつけられない新人女優を売った。ああ!なんでこんな事に気づかなかったのか!猪狩はあまりの醜悪さにブチ切れてそのまま電話を切ろうとした。しかしその時鶴亀が再び、今度は打って変わって異様に落ち着いた声で言った。

「なに言うとんねんお前は。お前ワイを何やと思っとるんや。このワイがそない女衒みたいな真似するわけないやろ。確かにプロデューサーには言ったわ。モエコやったら何でもイケるでってな。せやけどそれはあの子を信じてのことや。あの子やったら芸能界の荒波に揉まれても溺れへん。きっとどんなことがあっても、いや、むしろその経験を糧としてあの子は本物の女優になっていくんや。せやのにそのモエコを支えるお前が何をビビってるねん。モエコを南に売ったぁ~!とかなっさけない声出して。お前はモエコのマネージャーやろ。マネージャーやったら南にビビらんでやるべき事をやらんかい。モエコを芸能界の荒波を乗り越えられるよう支えてあげんかい。それがお前の努めやろうが!」

 猪狩はこの鶴亀の無茶苦茶な言葉に納得がいかなかったが、最後に彼に言われた言葉は身にしみた。自分がモエコを支えてやらねばならぬ。それがマネージャーとして自分のやるべき事だ。猪狩はこう決意したのだった。

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