フォルテシモ&ロマンティック協奏曲 第八回:呪わしき二人
大振に問われて諸般は涙ながらにホセ・ホルスとの失恋の顛末を語り始めた。諸般によると彼がホセと出会ったのはサンディエゴのコンサートホールだったという。その日コンサートが大成功に終わった諸般はスタッフと共に、打ち上げ会場の有名ホテルに向かうために、ホールの裏口に待たせてあった車に乗ろうとした。そこにホセが飛び込んできたのだ。彼は大袈裟な身振りでまず自分が諸般のファンである事、そして自分がオペラ歌手を目指している事を涙ながらに語った。この突然目の前に現れたビンボ臭い格好のステーキみたいに焼けた男に嫌悪感を感じた諸般はスタッフにつまみ出せと言いつけてそのまま車に乗り込もうとしたのだが、その時突然ホセが歌い出したのだ。
「ああ!あの時のオー・ソレ・ミオと歌うホセはなんと素晴らしかっただろう!その見た目通りの荒々しいテノールは僕をノックダウンさせてしまったんだ!僕はこのロマンティックのかけらもないチカーノに、未来のパヴァロッティを、ドミンゴを、カレーラスを見たんだ!いや、その三大テノールを遥かに超える天才を見たんだ!ああ!僕は信じられなかったよ!こんなチカーノの野蛮人がこれほどロマンティックなヴォイスを持っているなんて!」
オペラ歌手という言葉を耳にして大振は即座にイリーナの事を思い出した。ああ!イリーナ!イリーナ!お前も僕に天使のソプラノを聴かせてくれた!なのに何故お前はここにいないのか!
「僕はホセの歌を聴いた瞬間はもう打ち上げなんてどうでも良くなったんだ。今すぐにこのホセを連れて帰らねばと思った。だから僕は何故か耳を塞いで倒れているスタッフに打ち上げには行かないといって、そのまま彼を乗せてホテルの部屋に入ったんだ。ああ!その部屋でのホセはなんて素晴らしかっただろう!再びのオー・ソレ・ミオの絶唱、続いて僕の伴奏での『サンタ・ルチア』の熱唱、そして二人で互いの肉をシンバルがわりに激しく叩いて歌う裸の二重唱!ああ!思い出すよ!天地が揺れるほど激しいあの二重唱を!僕は彼の焼け爛れ、張ち切れんばかりに膨らんだ愛を差し挿れられて、文字通り360度夜通しロマンティックに回されたんだ!」
大振は諸般が語るホセとの熱い情事にトリスタンとイゾルデで自分とホルストがやらかした大惨事の場面を思い出して吐きそうになった。おおなんと悍ましい!あんな白ブタそっくりの男とそんな醜悪な事が出来るとは!俺は今もイリーナとあの白ブタとを間違って求めた事を激しく後悔しているのに!
「僕らはそれから恋人同士となってアメリカ中を回ったよ。それからヨーロッパに行って。僕はアメリカでもヨーロッパでもホセをオペラ歌手としてデビューさせるために、コンサートのプロモーターからレコード会社の重役まで彼を見せて回ったんだ。だけどダメだったんだよ!この僕の名声を持ってしても、どれだけ大金を叩いても、みんな彼の天才を受け入れなかったんだ!だけど僕はホセの歌唱を生で聴かせてやれば皆一瞬でわかるだろうと信じて、あるコンサートに無理矢理を彼出して僕の伴奏でオー・ソレ・ミオを歌わせたんだ。だけど結果は散々だった。みんなチカーノのホセを忌み嫌い「ユーアージャイアン?」とか「聴覚が死ぬ」とか「そりゃおー、ソレは歌うな」と散々ブーイングを垂れて挙げ句の果てに倒れている奴がいるぞとか言い出して救急車なんか呼んだんだ。全くなんて酷い観客だ!僕のホセのロマンティックヴォイスが理解できないなんて!」
諸般が語るホセへの切ない愛に大振は深く感動してしまった。歌えば客席に一斉にブーイングが起こさせるどころか、急病人まで出すほどロマンティックな歌を披露するホセ。そんな男をロマンティックだとひたすら崇めてデビューさせるために涙ぐましい努力をする諸般。だが大振はその切ない話を聞いて何故ホセがデビュー出来なかったか完全に理解してしまった。要するにホセは歌が下手だったのだ。
「でもそれでもホセとの愛の日々は最高にロマンティックだったよ。僕はパリのショパンの墓をホセと一緒したんだけどその時とんでもなくロマンティックな気分になってスタッフにピアノ持って来させて彼の曲を演奏したのさ。ああ!ショパンも僕の演奏のロマンティックさに墓場から思わず飛び出て来そうだったよ。そしてホセがそのショパンのあまり知られていない歌曲を歌った瞬間、なんと墓が思いっきりドスンドスンとすごい地響きを立てて鳴り出したんだ。僕はショパンもホセのロマンティックなヴォイスに感動しているのかと思って泣きそうになったよ。リストの時も同じだった。ホセが歌い出した瞬間、ショパンの時と同じようにリスト墓をドスンドスンとさせたんだ。僕はそれを見てショパンもリストも彼を認めているのになんで世間は認めないんだと涙したよ。ホセはメトロポリタン歌劇場で喝采を浴びるべき人間なのにって!あ、そうだ。ホセは日本にも連れてきたんだ。君との共演コンサートの時にね」
では俺はそのホセってホルストそっくりな奴に会っているかもしれないってことか!ということはあの悲劇の種はイリーナと出会う前からすでに撒かれていたということだ!ああ!イリーナ!僕らは最初から結ばれぬ運命だったのか!大振は我が身の不幸を嘆いた。だがその時諸般が突然絶叫したのでハッとして我に返った。
「そこに突然あのメキシコのメデューサが現れたんだ!」
痛ましい絶叫であった。その枯れ木のような体が折れてしまうぐらいの大絶叫であった。
「あのメデューサが最初に現れたのはメキシコ公園の帰道に寄ったとあるタコスレストランだった。僕はそこにホセと一緒に入ったんだ。僕はタコスなんて食べないが、ホセがどうしても行きたがっていてね。それで店に入ったらすぐにとんでもなくまるまる太ったデブの女が出てきた。それがイザベル・ボロレゴだ!」
そのデブがイザベルだと?ならイリーナにそっくりの写真の女はなんなのだ。
諸般リストは今度はデブのイザベル・ボロレゴについて語り始めた。彼によるとイザベルは二人が立ち寄ったタコスレストランの従業員で、この夜は彼女しか出勤していなかったらしい。デブのイザベルはホセと諸般に向かってプロレスラーとスーパーモデルのカップルみたいだと褒めちぎった。諸般はこの褒め言葉に感激して頬を赤く染めて彼女に礼を言ったが、彼女は諸般の声を聞いて本当に目が飛び出るぐらい驚いたらしい。どうやら彼女は諸般を女だと思っていたようなのだ。イザベルはその飛び出た目で諸般とホセを凝視した。その後二人はタコスを注文し出来た料理を食べたが、ホセはタコスを食べた途端涙ぐんでイザベルにこれはグランママのタコスそっくりだ。出来ればまた食べに来たいと料理の感想を伝えた。それを聞いた途端デブのイザベルが突然泣き出した。彼女によれば店は今月で廃業で、もうそうなったら自分は路頭に迷って餓死してしまうと餓死しなさそうな体で我が身の不幸を嘆いたという。ホセはそのイザベルに深く同情し、彼女をコックとして雇ってくれと泣きながら諸般に訴えた。
「ああ!今考えればあのデブのイザベルをコックに雇うべきではなかったんだ!あのデブはただのデブじゃなくてメドゥーサだったのだから!」
その後ホセの土下座での必死の懇願に負けイザベル・ボロレゴをコックとして雇うことにした諸般であったが、彼は最初からイザベルを忌み嫌っていた。彼女を嫌うあまり諸般は彼女を自分の家である『ロマンティック・パレス』に決して住まわせず、そばの豚小屋に等しい小屋にぶち込んだ。スーパーモデルの如き美意識でどんな時でも背中の扇風機で髪をロマンティックに靡かせている彼にはこのデブのラテン女と同じ空間にいることすら耐えられなかったのである。彼がそれでもイザベルを受け入れたのはただホセへの熱い想いからだった。諸般はイザベルから元々は歌手になりたかったと告白された時には思いっきり嘲笑した。
「だって笑えるじゃないか。この美のかけらもないバカなデブ女がかつてオペラ歌手を目指していたなんてね。しかもポップスまで歌いたかったらしい!あんなコアラみたいなゲップ声で呆れるよ。だから僕はあのデブに言いつけたんだ。二度と僕の前で歌うなとさ」
笑いながら諸般がこう喋ったのを聞いて大振は思わず目を剥いた。オペラ歌手にポップス?ああ!まるでイリーナじゃないか!ひょっとして諸般も俺と同じような悲劇を味わったのか?
この大振の推測は正しかった。いや正しかったどころか大振のそれをはるかに上回る悲劇が諸般を待っていたのである。
諸般リストとホセ・ホルスの同棲生活はいかにもロマンティック・ピアニストの諸般らしい熱く熱情的なものであった。諸般のロマンティックの結晶であるロマンティックパレスは過剰なまでにロマンティックな愛の巣となった。いつでもどこでも二人はロマンティックに愛を繰り広げた。そのロマンティックから弾かれたイザベルはいつも悔し泣きで二人の愛し合う光景を見ていた。そんなある夜彼女は淋しい病気になる程の淋しさに耐えられず、つい諸般の禁則を破って庭で歌を歌ってしまった。するとその時拍手が聞こえたのである。イザベルが音の鳴る方を見るとそこにホセが立っていた。ホセはイザベルになんて素敵な声なんだと褒め上げた。「まるで天使の歌声のようだった。コアラさえ思わず昇天してしまうほどの」「まあ!」イザベルはホセが褒め言葉に感激して思わず泣いた。ホセは泣いているイザベルに向かって自分の下半身を指さしながらこう言った。「お前がもうちょっと痩せてくれたらロマンティックにコイツをぶち込んでやるのに」これを聞いたイザベルは目を見開いた。「痩せればアンタとロマンティック出来るの?」ホセはそれに対して笑ってこう答えた。「たりまえだろ。あんなオカマ野郎にはもううんざりさ」それを聞いたイザベルは目を輝かせてホセにこう宣言した。
「私絶対に痩せてアンタとロマンティックしてみせる!」