全身女優モエコ 第四部 第二十七回:ドラマ崩壊の序章
時代劇の衣装の海老島権三郎、アイドルの衣装の南狭一、悪インテリの蟹谷新三。この三匹の子豚どもは今火山モエコの前で目を地走らせて互いを睨みつけていた。スタジオは途端には緊迫感に包まれ、皆一斉にモエコと三匹の子豚を囲んだ。しかしモエコは平気の平左で興味深そうに睨み合う豚たちを高みから眺めていた。
だが突然火蓋は切られた。切ったのは意外にも蟹谷である。
「君たち突収録中に入ってきてなんだ!この収録は僕とモエコちゃんだけしか出ないのだよ!さぁ、部外者は大人しく出ていきたまえ!」
「何が部外者だ!俺はこのドラマの主役の一人だぞ?お前こそ出て行け!お前は三添のババアとネチョネチョやっていればいいんだよ!」
「君はいつから先輩にそんな口を聞くようになったんだ!都立日の丸学園の二年後輩だった鈴木太郎君!」
「うわぁ!本名と学校の事を言うのはやめろ!俺はお前よりもずっと芸能界長いんだぞ!」
「黙れ鈴木太郎君!何が芸能界だ!君は若き頃にしでかしたあの不祥事を私に救ってもらった恩を忘れたのか!君はあの時土下座して頼んできたではないか!無理矢理同衾した女に強姦で訴えられた。このままじゃ俺の役者生命は終わる。先輩のお父さんのお力でなんとか出来ないかって!私が警察官僚だった父に君を救うように言わなかったら自分はどうなっていたと考えているのだ?その恩を忘れ、私をお前だと?鈴木太郎君!君はそこまで薄情になり仰たか!」
「やめろぉ!それ以上言うなぁ!昔は昔じゃねえか!大体それこれとは違うだろうが!」
「何が違うのだ鈴木太郎君!人をお前呼ばわりしくさりおって!」
「確かにお前呼ばわりしたのは悪かったが違うんだ!」
「違うもクソもあるか!鈴木太郎君、これは侮辱だよ!多大なる侮辱だ!」
蟹谷と海老島が子供みたいな喧嘩をしている中、アイドル衣装の南は私をガン無視してモエコに近づき目を潤ませながら話しかけた。
「モエコちゃん昨日ぶりだね。ボクはあれからキミのことが思い出されてしょうがなかったんだよ。目を閉じるとあのボクを受け入れてくれたモエコちゃんのことを思い浮かべてさ。ボク恥ずかしいけどキミに恋してしまったんだよ。モエコちゃんボクは……」
だが南がモエコに話しかけているのに気づいた海老島と蟹谷が激しく彼を怒鳴りつけた。
「おい南!俺を差し置いてモエコを口説くんじゃねぇ!テメエぶち殺されたいのか!」
「南君!ここは仕事場なのだよ!モエコちゃんを不快にする事はやめたまえ!」
南は二人の罵倒に対して激しく言い返した。
「アンタたちおぢいちゃんの方がよっぽどモエコちゃんを不快にさせてるよ!ボクはアンタたちから絶対にモエコちゃんを守る!」
三者三様、欲望剥き出してモエコに迫っていた。私は突如訪れたこのカスタロフにどうしていいかわからなかった。だが彼らの欲望の餌食となっているモエコは表情もただ言い争う三人を表現も変えずに見ていた。彼女の目にはこの醜悪極まりない男たちの争いはどう映っていたのか。
「何が守るだ!テメエモエコに無理矢理生チン突っ込んだくせに!モエコが妊娠していたらどう責任取るんだ!中絶費用全額負担するってのかぁ?」
「南君、君はベッドシーンでモエコちゃんと本物の性交をしたからって彼女が君を好きになったと勘違いしてないかね?あれは演技なのだよ!演技!大体モエコちゃんが君のような軽薄な男に惚れるわけないではないか!」
「黙れ黙れ黙れ!ボクは本気なんだぁ!モエコちゃんのためなら今の事務所なんかやめたっていい!こんな気持ちになったのは生まれて初めてなんだよ!モエコちゃんは誰にも渡さない!ボクだけのものなんだぁ〜!」
その時スタジオ内に鋭い靴音が響いた。私は音の出元を見てハッとした。モエコが踵で思いっきり床を蹴ったのだった。
「いい加減にしなさいよ!アンタたち!今はまだ収録中なのよ!これからモエコはまだまだ演技しなきゃいけないのよ!アンタたちに構ってる暇なんかないんだから!」
このモエコの一喝に三人は一斉に黙り込んだ。スタジオ内は大俳優二人と人気アイドルを一声で黙らせたモエコという存在に心底驚いた。しかしこの火山モエコってのは何者なのか。ただの新人女優の声がここまで人を圧するなんて。いやそもそも彼女は新人女優なのか?ここまで大俳優や人気アイドルの頭を押さえつける新人なんて絶無じゃないか。恐らくスタジオにいた誰もがそう思ったに違いない。かくいう私もモエコの姿に圧倒されただただ動けなかった。
三人は黙り込み激しく互いを睨みつけていた。監督やスタッフはその睨み合いに臆してか近寄れず、ただ監督とスタッフで困った顔で何やら話し合っている。スタッフは時々腕時計を見て慌てた顔で何かを監督に尋ねている。だがその時海老島はスタジオ中に響くほどの大声で「お前らプロデューサーを呼べ!」と叫んだ。
監督をはじめとした撮影スタッフは大俳優の激怒にビビりすぐさまプロデューサーを探しに行った。するといくらもしないうちに彼らは半分ズボンを下ろした格好で新聞を持ったプロデューサーをふん捕まえてきた。どうやらプロデューサーはトイレに隠れていたらしい。
「コラ!ケツ丸出しで俺から逃げやがって!どういう事なんだ!俺はお前に言ったよな?モエコと俺のカラミ増やせって。なのにどうしてコイツとモエコを絡ませるんだ!脚本的におかしいだろうが!コイツの役は三添のババアの不倫相手だぞ?モエコと大して関わりねえじゃねえか!絡ませるんだったら俺だろ!この海老島権三郎だろうが!」
「鈴木太郎君!今度は私をコイツ呼ばわりか!許せん!君の悪行をマスコミにばら撒いてもいいんだぞ!」
「うるせいな!今はお前には話しかけていねえんだよ!」
「お前だどぉ!」
「二人とも黙れよ!なんでモエコちゃんがアンタたちおぢいちゃんと絡まなきゃいけないんだよ!一番絡むべきなのはボクじゃないか!なのに台本に載ってるベッドシーンはあれ一回こっきりじゃないか!ボクとモエコちゃんは恋人役だろ?恋人だったら何度も激しく愛を確かめ合うべきじゃないか!それこそ毎日精力が続くまで!ボクはあの時のリベンジがしたいんだよぉ!あの時ボクは終始モエコちゃんにリードされて全然愛してやれなかった!彼女の割れたフルーツを舌で味わう事も出来なかった!だから今度はボクがモエコちゃんを愛してあげたいんだよぉ!たっぷりいろんなところを触ってあげて彼女を気持ちよくさせて愛のミルクを注いでやりたいんだよぉ!わかるだろ?プロデューサーさん、ボクのこの演技に対する思いが!」
「何が演技だ!お前は演技にかけつけてモエコとただヤリたいだけだろうが!お前は一回ヤッたんだろうが!俺はまだモエコと一回もヤッてないんだぞ!」
「本当にバカだな君たちは!ドラマは台本があって初めて成り立つものだろうに!その台本の世界を無視してドラマを作ることなど出来ないのだよ!南くん、君はあのベッドシーンを見事やり遂げたじゃないか。あれでドラマ的には十分なのだよ。あとはモエコちゃんと恋人同士として肩でも並べて歩いていればいいじゃないか!そして鈴木太郎君!なんだね君は。君は本来誠実な人間で今までずっと上代家の大黒柱として頑張ってきたけれど、妻の浮気の発覚で自分を見失い親しい女の部下に癒しを求めるって役じゃないか。その誠実な君がホステスのモエコちゃんとも関係を持つのか?おかしくないかね?そんな事をしたら人物設定が崩壊してドラマとして到底成り立たなくなるよ。というわけでモエコちゃんと関係を持てるのは私しかいないのだよ。私はこのドラマでは詐欺師の極悪人の役だからね。君らに比べたら遥かに設定が自由なのだ。だからドラマの設定上モエコちゃんと寝る事が出来るのは私だけなのだよ!」
この蟹谷のあまりに無茶苦茶な屁理屈に一同唖然となった。私も唖然とした。少なくともこの三人の中では一番まともそうに見えた蟹谷がここまでの変態だとは思わなかったのだ。
「と、とにかくだ!おいプロデューサー!今すぐ脚本家ここに呼んで台本書き直させろ!俺が息子の彼女のモエコに一目惚れして彼女に迫るって話だ!ヘッヘッヘ、蟹谷先輩よぉ、アンタ文学齧ってるんだから人間には裏がある事ぐらいわかるよなぁ〜。人間ってのは表では誠実を装っててもその裏にはどす黒い欲情を抱えているもんだぜ。まるで今のアンタみてえになぁ。そういう人間の有り様を全部曝け出すのもドラマじゃねえのか!」
「貴様ぁ!そんな馬鹿げた事はさせん!私こそこのドラマ最大の悪役なのだ!プロデューサーさん、悪役の私にモエコちゃんを無理矢理性交をさせてください!そうしたらこのドラマは衝撃の人間ドラマとして視聴者から大反響を呼びますから!くれぐれも誠実な上代家の大黒柱に汚れ役などさせないように!」
「テメエどこまでも屁理屈並べやがって!」
「おぢいちゃんたち何言ってるの?自分が頭がおかしいこと言ってるのわかってるの?もっと冷静に自分の年考えろよ!二人がモエコちゃんと付き合うなんて言っても世間は信じてくれないよ!大体モエコちゃんの恋人役は上代家の長男のボクなんだからね!蟹谷さんがさっきベッドシーンは一回だけで十分だって言ってたけど、みんな一回じゃ満足出来ないよ。恋人同士なんだから毎日くっつきあって時々いつもと違う体位に挑戦したりして愛を育んでいくんだよ!プロデューサーさん!お願いだから僕とモエコちゃんのベッドシーンを入れてよ!毎回ドラマの初めには愛し合う僕とモエコちゃんを映すんだ!ああ最高だよ!若い僕らの愛をこれでもかって視聴者に見せつけるんだ!それは過去を乗り越えて未来へ進むっていうドラマのテーマ的にも正しいじゃないか!」
もう醜悪の極みだった。私は芸能界の奥底を少なくとも地底百メートルぐらい知った。一人の少女とセックスに台本を変更させようとするほど執心するとは。私は今すぐモエコを連れて逃げようかと思った。プロデューサーは今青筋立てた三人に詰められていた。三人とも早く脚本家を呼べと怒鳴りつけさっき各々が言った事を繰り返している。もうとても撮影どころではなかった。
私はとりあえず一旦モエコを楽屋に連れて行こうと隣を見た。しかし私はモエコを見た瞬間ギョッとなった。モエコは顔を真っ赤にして震えていた。それが怯えでない事はあまりにもあからさまであった。これは紛れもなく噴火の予兆であった。ああ!怒れる女優火山モエコが噴火しそうだ。ああ!逃げろ!しかし三バカの子豚は、モエコが噴火寸前であるのに、ま〜だ気づかずプロデューサーにモエコとのベッドシーンを迫っていた。
「おい、脚本家はまだ出ねえのかよ!俺は今日は台本に俺とモエコのベッドシーン追加するとこ確認するまで帰んねえからな!」
「私は待つよ。私とモエコちゃんのベッドシーンが書かれるその時まで!」
「ボクは信じてるよ。脚本家のおぢいちゃんがボクとモエコちゃんのベッドシーンを書いてくれることを!」
「ウギャアー!」とけたたましい雄叫びがスタジオに轟いた。全員がこのゴジラみたいな雄叫びはなんだと首をキョロキョロさせた。だがその雄叫びの主であるモエコは間髪入れずに三バカの子豚の元に突っ込んだ。ああ!マグマのような血しぶきが辺りに飛び散る。もはや噴火状態のモエコはボッコボコのボッコボコに三バカの子豚を滅多打ちにする。スタジオの人間は誰もが三バカは殴られて当然だと思っているが、しかし大俳優と人気アイドルがボッコボコに殴られているのに。何もしないのはなんなので申し訳程度に「やめてくださ〜い」と間抜けな声を出して暴行を止めようとする。だが当然モエコは全く無視して散々三バカを殴り倒した後、血だるまになって倒れている三人をマグマのような突き上がる声で怒鳴りつけた。
「誰がお前らなんかとベッドシーンやるかぁ!」
それからモエコは怒鳴った後すぐに思いっきりドアをぶっ叩いて憤然としてスタジオから出た。今は楽屋で帰り支度をしている。モエコはさっさとこんなとこから出ていくわよ!ああ!久しぶりに全力で腹が立ったわ!と言ってさっきまで着ていた役の衣装を思いっきり踏んづけて私の荷造りを待っていた。
私はこれで全てが終わったと思った。モエコに百パーセント正当性があるとはいえ、大俳優と人気アイドルにあれだけ暴行をしたのだからもはや芸能界で活動していくのは不可能だ。だがこれも全て私のせい。あの鶴亀の押し付けを全力で断れなかった私のせい。ああ!モエコよすまん私は……。
「遅いわよ!何してんのよ!モエコこんな所すぐに出て行きたいんだから!とっとと荷造りしなさいよ!」
とモエコは悩める私を怒鳴りつけた。私は流石に腹が立って文句を言ってやろうとしたが、彼女は途端に笑顔になり私に「早く次の仕事探してね。モエコ今度はこんな変態だらけの連中がいない本当にゴージャスな所で演技がしたいわぁ」と言った。私はそのあまりに眩しく笑うモエコを見て悲しくなった。そうして帰宅の準備が出来私たちは楽屋の外に出た。
「モエコ、俺これから海老島さんと蟹谷さんと南くんに謝ってくる。それにプロデューサーをはじめいろんな人に謝って来なくちゃいけない。それが終わったら社長にも報告しなくちゃいけないからお前家まで一人で帰れ」
「なんでアイツらに謝んなきゃいけないのよ!モエコに謝るのはアイツらでしょ?アイツらはモエコとベッドシーンやりたいからって台本まで書き換えようとしたのよ!許せない!鬼畜よ!」
「でもそれが芸能界のルールなんだ。お前にはまだわからないだろうけどな。フッとにかく家で待ってる真理子によろしく言っといてくれ。じゃあな」
「アンタがいくんだったらモエコも行くわよ!モエコがアイツらにちゃんとわかりやすく自分がとんでもない事をしたかお説教してあげるわ!」
「バカやめろ!お前が出てくるとひっちゃかめっちゃかになるんだから大人しく家に帰れ!」
「うるさい!モエコ行くといったら行くの!」
ああ!なんてバカなガキなんだ!私はこのバカガキを無理やりタクシーに連れ込もうかと思い羽交い締めしようと組み組み塞ごうとしたが、その時血まみれの三バカが再び現れたのでビクッとして手を止めた。私はああ!モエコが殺されると思い彼女を守ろうとしたが、その途端三バカはいきなり土下座しはじめたのだ。
「モエコちゃん!ごめんなさい!二度とあんな事は言いません。だから許してください!」
前代未聞の出来事であった。あの先生と呼ばれなければ気が済まない海老島権三郎と、インテリ俳優の蟹谷新三と、人気アイドルの南狭一が揃って土下座しているのである。三人とも泣いて必死にモエコに許しを乞うているのだ。私はあまりの出来事に震えが止まらなかった。だがモエコは自分の足元に這いつくばる三人を轟然と見下ろして一人ずつその頭を踏みつけながらこう言い放ったのだ。
「じゃあここで誓いなさいよ!あんな事は二度と言わない、しないって!じゃなかったらこの踵で頭蓋骨まで貫くわよ!いい?」
「はい、わかりましたぁ!」
凄まじい場面であった。せめて誰も見ていないのが救いだった。このそれぞれのジャンルで名をなした三人がただの新人女優の足元に這いつくばって頭を踏まれているのだ。こんな事が漏れたら間違いなく大スキャンダルであっただろう。しかし今になってあの頃の事を考えると見ていた人間はやはりいたに違いないと思うのだ。あれだけ人の出入りが激しいスタジオの廊下でこんな騒ぎが起こったら皆注目するはずだからだ。だが実際には誰もこの事は口にしなかったし、噂すら飛んでいなかった。恐らくそれはあの頭を踏みつけているモエコの姿が目撃者に無言の圧力を加えていたのではないかと思うのだ。
だがこれで事態は一件落着とはいかなかった。むしろこの事件がドラマ崩壊への序章だったのだ。
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