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長男ダイスケの成長③

3度目の正直

きちんと時系列で書きましょう、はい😉

第2回で
・舌の感覚でなんでも確かめる
・ハイハイを始めてからの、普通じゃない行動
などなど書きました。

今回は
・歩き始めるまで
・喋り始めるまで
それだけでも、
てんこ盛り書くことありますが。

歩き始めたのは
いつだったのか定かではないですが
まず、
一人で立ち上がれなかった時期が長い
ずっと
這ってきて何かにつかまって立ち上がっていました

そして
足先がバレリーナよろしく
180度に開いた状態で
両手をバンザイして

バランス取れないので
ドドドドっと
倒れ込むように2.3歩歩いて
前に倒れる、、、

想像して頂けますでしょうか

そんな風に
歩いておりました

なので
どうしてもハイハイの期間は長かったです

股関節脱臼というのをよく聞くので
整形に連れて行きましたが
脱臼ではない

段々
歩けるようになり
長女が生まれる頃には
一人で立ち上がって歩けるようにはなりました

でもやはり
不安定なので
家の中で顔から柱に向かって倒れて

前歯が中に減り込み
顔はおでこから目を通って頬まで
キズができて
1歳半で、
しばらくワルの顔をしていました😎

言葉についても
年子の妹が喋り始めるのと
ほぼ変わらず

しかも何を言っているのかわからない

「おやすみ」と私が言うと
「み!」

「ごちそうさま」は「ま!」

ある時、自転車の前に長女
後ろにダイスケを乗せて
線路際の道を走っている時

「じんだ!じんだ!」と叫ぶのです。

じんだ???

わからずにいました。

そしたら前に乗っていた長女が
電車を指差して
「じんだ!」と。

妹は兄の言葉が通じていた🌟

電車のことか〜〜〜!そうか〜
そうだったのか、と
感慨深かったのを思い出します。

でも、なぜ
「電車」が「じんだ」になったのか。

その謎は
のちに分りました。

ある日の朝、
ダイスケがギャアー‼️
と泣き叫びながら起きてきたのです。

あやしても、
何聞いても、ギャアギャアなくばかり。
もー!なんなんや!
と思っていたら
ひとこと、「いたい」と
耳を押さえて言ったのです。

中耳炎か!

それから耳鼻科通いう大仕事が
日々に加わりました

とても良いお医者さんで
滲出性中耳炎になりかけてるからと、
ちゃんと空気を通す治療を
根気よくしてくださるのですが

長女を背中におぶって
ダイスケを膝に乗せて受診すると
嫌がるダイスケに押されて
私の背中にいる長女が押しつぶされ
後ろでもぎゃあ〜!
前でもぎゃあ〜!
3人とも汗だくになっての受診でした。

今思い返すと
結構笑える図なのですが
その頃はもうヘトヘトのクタクタ💦

先生も看護婦さんも
よく対応してくださったと感謝です。

自転車が耳鼻科の方向に向かうだけで
イヤヤァ〜‼️と
大泣きするダイスケを乗せて
週に2回
通い続けて

10歳になった時
ようやく
もう来なくていいよと
お医者様から言っていただきました。

長かった〜!

10歳というのは節目のようです。

それまで
思い出したように
腸の後遺症で激しい腹痛と吐き気を訴えて
救急に駆け込んだり
耳鼻科通いが欠かせなかったりが
10歳を機に
パタっと止みました

はー、
思い出すだけで大変で

ホンマに
過去の私、ようがんばった🌟

さて、次の回は
・保育所に入れてもらえない件




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