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【物語】すれ違う風景の先

優しげな光が降り注ぐ蒼穹に、私は息を飲んだ。
でこぼこした崖から下を見ると、白波が岩を削っている。
ゴウゴウ、ざばざばと大きな音を立てて、海と岩がせめぎ合う。

私はその様子をじっと見ていた。

荒波の音を聞き、
ちかちかと光る海を望み、
潮の香りを胸いっぱいに吸った。
岩の感触を知りたくて、黒いスニーカーを脱ぐ。
でこぼこした岩は、私の肌を鋭く刺した。足の裏が痛くて、空を見上げた。

「そこで何をしているんだい?」

突然波の音をかき消すほど大きな声で、私は後ろから声をかけられた。

驚いて振り向くと、ビジネススーツを着た若い男性がいた。眼鏡が太陽の光を浴びて白く光っている。眩しくて目をそらしながら、私は答えた。

「海を見ています。」

私は、そっと制服のスカートを押さえながら返事をした。崖の近くは遮るものがないから、強い風が吹く。高校の制服が風でぱたぱた揺れてうっとうしい。

「そうなんだ。僕も海を見に来たんだ。一緒に見てもいいかい?」

男性はそういうと、私の答えも聞かずにこちらに来た。

男性が動いたから眼鏡に当たっていた光の角度が変わった。はっきり見えるようになった男性は、少したれ目で優し気な雰囲気の人だっだ。ちょっと表情が固い気がする。

こちらに来る男性の場所を作るため、私は足元に放置していたスケッチブックを黒いスクールバックに入れた。

それを見ていた男性が、目を開いた。

「もしかして、絵を書いていたの?」

安心したように、驚いた声で男性が私に尋ねた。
少し低くて、ほっとする声だ。

「はい。私、近くの高校の美術部で、、、」
そこまで言って、私ははっとした。

普通なら授業中である真昼間まっぴるまに、崖から下を見ていた私。
しばらく海を見た後、靴を脱いでもう一度空を見た私。
声をかけたら不自然に目を逸らしながら「海を見ている。」と答えた私。

男性から見た私は、だいぶ不自然だ。
勘違いが起こっていないだろうか。

ザパーンと、大きな波の音がした。

「違います!!」

波の音よりも大きな声で私は叫んだ。
隣にいた男性が目を丸くして私を見る。

私はまくしたてるように続けた。

「今日は三者面談があるから、学校が午前中で終わりだったんです!部活も休みの日だったから、文化祭で展示する予定の絵のスケッチをしようと思ってここに来たんです。ここ、有名な観光地ですし、今日は天気がいいから、絶好の機会だと思って!!決して、飛び降りようとか思ってたわけじゃないです!!!」

私の勢いに押されたように、男性が左足を一歩下げた。
私は一歩踏み出そうとした。
その瞬間、靴を履いていない私の足の裏に鋭い痛みが走った。

「いった!!!」

足つぼマッサージの1000倍痛い。
痛みをこらえながら、私はじたばたと靴を履く。

そんな私を見ていた男性は、唖然としていた。
しかし、徐々に事態を理解すると静かに笑い出した。

男性に笑われて、私は恥ずかしくなった。
かぁっと、頬が熱くなってくる。
男性が私の表情を見て、慌てて口を結んだ。

「すまない。勘違いしてごめんね。」

先程よりも柔らかく、優しい声が私の耳に届いた。
無事に靴を履いた私は、改めて男性の方を見た。
勘違いとはいえ見知らぬ私を心配してくれた男性。
海の反射できらきらして男性が眩しく見えた。

「もしよければ、見せてくれないか?君の絵。」

何も考えずにスケッチブックを取り出して、書きかけの絵を見せた。

「仕上げは油絵にしようと思うんですけど、今日は画材がないから色鉛筆で書いていて、、、あ、画材は高校の美術室から借りられるんです。だた、今日は三者面談だから、12時完全下校で美術室に行けなくて。この色鉛筆は私のお気に入りで、青い色がいっぱい入っているんです。あ、今月末の土日空いてますか?完成した絵、文化祭で飾るので、見に来てくれたり、、、」

私は、次に会う機会を作ろうと必死で頭をひねった。

風がゴウゴウと吹き、私と男性の髪をぐちゃぐちゃに荒らす。ザパーンと荒れ狂う波の音が聞こえる。ただ、そんなものより私の心が荒れている。

どくどくと心臓の音を鳴らしながら、私は男性を見た。

一枚一枚丁寧にスケッチブックをめくる男性が、真剣な目で私の絵を見ていた。眼鏡の縁がきらりと光った。

男性は私が見ていることに気づくと、やわらかい表情で微笑んだ。

「ぜひ完成品を見てみたいな。」

私は嬉しくなって、学校から配布された文化祭の招待券を探すため、スクールバックの中を荒らし始めた。




彼女は知らない。
サラリーマン風の男性が、
平日の昼間になぜ崖の近くにいたのかを。

彼女は知らない。
男性がスケッチブックを見て、
その美しく広がる風景をみて、
世界の優しさを思い出したことを。

彼女は知らない。
今月末の土日の約束が、
未来に続くその約束が、
どれほど彼を勇気づけたのかを。


まだ誰も知らない。
10年後、二人がおそろいの指輪を付けてもう一度ここに来ることを。

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