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【物語】見えず聞こえずそれでも守る

―なんてことだ。
―よりによって和樹かずきくんの家が、、、

私は額の三角頭巾ごと、頭を抱えた。


私は先祖霊である。
先祖霊は、自分の血筋の人々を災難から護る役割を持つ。そして、その役割を果たすために、先祖霊にはある程度の能力を得られる。

私、柳新左衛門やなぎしんざえもんは子孫に起きる災難を予見することができる。

それを駆使して、子孫である柳和樹やなぎかずきくんを見守る。それが私の務めだ。

私の子孫である和樹くんは、今年大学生。一人暮らしで、古いアパートの2階の203室に住んでいる。今は大きな板(てれびという)に映る、寄席(おわらいともいう)を見ていた。

その和樹くんの部屋の隣で、あと1時間以内に大火たいかが起きる。私はそれを予見した。
そして今、頭を抱えたのだ。

「如何された、殿。」

私の隣に控える、白井正吾しらいしょうごが慌てたように私に声をかけた。白井は、私の臣下の中で最も真のおける男。死してなお、私と共に柳家を守ると言ってくれた男だ。

私は白い着物の裾を翻し、腕を組んで白井に告げた。

「先程、和樹くんの住まう部屋の隣で、火の難があると予見をした。その火は、和樹くんの部屋を飲み込む大火となるだろう。」

「な、なんですと!」

白井の顔が、私たちが頭につけている頭巾のように白くなった。

火の難。

我らが生きた江戸時代で、最も恐れられていた災難のひとつだった。現代では火を鎮める術が増えたとはいえ、その恐ろしさは変わらない。一度火に飲み込まれたら、無事ではいられないだろう。

一刻も早く、和樹くんを部屋から避難させねばならない。だが、問題があった。


「何故よりによって和樹様なのでしょう。和樹様は柳家の中で唯一霊感がなく、我ら先祖霊を感知出来ぬというのに、、、」

私は深く頷いた。




和樹くんは、霊を感知できない。
幼き頃からそうだった。

和樹くんが遠足で怪我をすると予見した日。
私は、気合を入れて和樹くんの前に立ち、玄関を塞いだ。しかし、和樹くんは私の気配にも気づかず、私を通り過ぎて元気に遠足へ向かった。
その日、和樹くんは足を捻挫して帰ってきた。


和樹くんがリビングで居眠りしてしまった日。
塾に遅刻して先生に怒鳴られることを予見した。昼寝している和樹くんの夢枕に立ったが、和樹くんは「あと5分、、、」を5回繰り返した結果、塾に遅れた。

我々は、和樹くんを災難から守るべく、辛抱強く策を練った。

鏡越しなら見えるかと、洗面台に立っていた和樹くんの後ろに立ったこともあった。
和樹くんは我々に気づかず、のんびり歯を磨いていた。

声なら聞こえるかと、私と白井で交互に和樹くんの耳元で大声を出していたこともある。
我々の喉が潰れても、和樹くんはのんびりテレビを見ていた。

霊が感知できない和樹くん。
しかし、和樹くんは神社やパワースポット巡りが好きなのだ。あちこちからお守りや呪符を買ってくる。おかげで、未だ悪霊からは狙われたことがない。

その上、和樹くんは自分が健康でいられるのはご先祖様が見守っているからだということも知っている。

和樹くんの父親は私の子孫で、その身に霊感を宿している。和樹くんの母親も勘がいい人で、心霊を感知している。

霊感一家の柳家は、先祖霊たる私と白井の存在を感知し、年に一度は必ず親戚たちで我らの墓参りに来てくれる。家族は、和樹くんは幼い頃から御先祖様が自分を見守っているのだと言い聞かされて育ったのだ。

だからこそ、和樹くんは、先祖霊の存在を知っているし、神社やパワースポットへ行って常日頃お世話になっている全てのものに感謝をする。


なんと、健気な若者よ。
現代では、墓参りに行かぬ若者も増えたと聞く。
その中にあって、なんと見上げた若者であることか。


だが、和樹くんに霊は見えない。


和樹くんは今、部屋の中で「ぽてち」なる菓子を食べている。テレビに映っているのは、和樹くんが気に入っている噺家はなしかだ。この噺家はなかなか面白く、私と白井も和樹くんと共に見ては腹がよじれるほど笑った。

だが、今は見ている暇がない。
どうやって和樹くんにこの難を知らせればいいのか、頭を悩まし続けているからだ。

「殿。拙者せっしゃに考えがあります。」

白井が、覚悟を決めたように顔を上げた。
頭の上にある白い三角頭巾も、心做しか凛々しく尖っている気がする。

「申してみよ。」

「はっ。拙者せっしゃの念力により、和樹様の部屋に火がついた瞬間、湯呑みを持ち上げ水をかけるのです。和樹様も、床に水が零れたならば気にして部屋を見回るでしょう。さすれば、火の手が回る前に和樹様が火を消してくださるのではないでしょうか。」

一理ある。


私に予見の力があるように、白井にも力がある。それは念力。つまり、物を浮かせることが出来るのだ。確かに、水で火を食い止める事は可能である。

しかし、、、

「白井。お主、以前も念力で和樹くんに難を知らせようとしたことがあっただろう。しかし、その時は小さな板を5歩分ほど持ち上げるのが、精一杯であったでは無いか。湯呑みは動かせたとして、水が入っている湯呑みなど、動かせるのか?」

「そ、それは、、、」

「なにより、ここには水の入った湯呑みは無い。どのように、湯呑みに水を入れるつもりなのだ?」

「、、、。」

白井は沈黙した。

我ら霊が人に悪さをしないよう、我らの能力には一定の基準がある。白井の念力は心強いが、その分しばりもある。

白井は、ものを動かす時、小さな板(すまほというらしい)くらいの重さのものを5歩分、しかも亀のごとき緩やかな速さで動かすので精一杯なのだ。

水が入った湯呑みなど、持ち上げられるとは考えにくい。

ぱりぱり、と和樹くんがぽてちを食べる音が響く。時々、「やべ、ツボった!!」と言いながら笑う和樹くんの声が聞こえる。
私と白井は、冷汗をかきながら沈黙する。

一人笑う和樹くん。
一切笑えない私と白井。

時を刻む「かち、かち」という音が耳に付く。

どうする、どうすればっ!!!


≪頭を使わんか、軟弱者なんじゃくものども。≫


和樹くんのリュックの中から、男性か女性かさえわからない、不思議な声がした。

私と白井は、思わずばっと振り向いた。声は、和樹くんのリュックからする。

おそらく、和樹くんのリュックに入っているどれかのお守りから聞こえてくるのだろう。

つまりこの声は、神。

私と白井は、和樹くんのリュックに向かって正座をし、頭を下げた。

今はこの神に助言を乞おう。

「神よ。お恐れながら一つ、お教えいただきたいことがありまする。」

≪話してみよ。≫

腹に力を入れて、私は口火を切った。

「我が子孫、柳和樹には霊を感知する術がありませぬ。我々が危険を予知できても、それを我が子孫に知らせる術がないのです。神よ。もし慈悲をくださるのであれば、この未熟者に、子孫を救う手立てを教えてくださらぬか。この柳新左衛門、この命に代えても子孫を守る所存でございます。」

≪お前、もう死んでいるじゃないか。≫

「っ、、、」

白井が少し笑った気配を感じた。
あとで問いただしてやろう。

「あ~、このコンビマジで面白いわ~。涙出てきた。」

テレビに夢中の和樹くんは、先祖霊二人と神一柱ひとはしらに気づくこともなくケラケラ笑っている。

神は我々に告げる。

≪この人間は、年に一度、日頃の感謝を伝えに必ず我のもとを訪れし健気な若者じゃ。加護を込めた守りも身につけている。今回だけは、主らに知恵を授けよう。≫

「ありがたき幸せ。」

私は、一言一句逃さぬよう、耳を澄ませた。
白井からも、気迫を感じる。
神が言う。

≪隣の部屋へ行け。銀の器の上にある小さな白い筒から、煙が上がっておる。それが大火の原因になるもの。それを消せば、大火は起らぬ。≫

「しかし、火を消す術が、、、」

≪最後まで聞け。≫

「し、失礼いたしました。」

焦って、神の言葉をさえぎってしまった。
私は口をぎゅっと絞った。

≪いいか、よく聞け。隣の部屋の間取りは、和樹の部屋と鏡合わせのようになっておる。まずはリビングの壁をすり抜け、隣の部屋のリビングに行くのじゃ。台の上に銀の器と煙を上げた白い筒がある。そして、その台の上に、飲みかけの白い湯呑みもある。そこにはまだ水が残っておる。それをかければよいのじゃ。≫

「、、、。」

確かに、すぐに解決しそうではある。
しかし、問題はまだある。

≪「重くて運べない。」か?≫

ハッと顔を上げてリュックを凝視する。

「お恐れながら、その通りでございます。」

そこが難関なのだ。
しかし、神は少し得意げに告げる。

≪主らは知らんようだな。現代には、「かみこっぷ」なる、紙でできた湯呑みがあるのじゃ。隣のの部屋にある飲みかけの湯呑みは「かみこっぷ」じゃ。そこに、少しばかりの水が入っておる。紙ならば、主の臣下にも持ち上げることができるだろう。わかったらすぐに行くのじゃ。≫

かみこっぷ!
そのようなものがあったのか。

「ありがたきお言葉、感謝いたします。白井!!」
「はっ。」

私と白井は和樹くんに背を向けて、隣の部屋に向かった。

そこには、神のお告げ通り、銀の器に煙を上げた銀の筒があった。その横には、「かみこっぷ」もある。

白井が、「かみこっぷ」に手をかざした。





「あ~、笑った笑った。おもしろいわ〜。」

我々が大火を防ぎ、和樹くんの部屋に帰ってくると、和樹くんはにこにこしながら、テレビに浸っていた。

何も知らない和樹くんの笑顔を見て、胸をなでおろす。先程リュックから漂っていた神の気配は、跡形もなく消えてしまった。

和樹くんは、我々を一瞥することもなくテレビを眺めている。

私と白井は、顔を見合わせてふっと笑った。

そして、和樹くんの左に私、右に白井が腰を掛けた。いつも通り、和樹くんの隣で寄席を見る。


和樹くんは、我々を感知できない。

それでいい。

楽しそうに笑う子孫を見て思う。
その姿を死してなお見ることが出来る。

このひと時を守る。
これ以上の贅沢など、ない。




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勿忘草(わすれなぐさ)
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